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ひらくまで、あかない(自分の話をする事について)

まんが「実録・解離性障害のちぐはぐな日々」を刊行して半年。人前で自分の話をする機会が何度もありましたが、その分、自分が話したくない質問を受ける機会も多くあり、そのたびにどうしたものかと考え込んでいます。うーん。なんだろうなあ。

話すのは誰のため?

私は基本的に「自分が傷ついてまで社会や人の役に立たなくても良い」と思っているので、漫画にしても取材にしても、自分が苦しくなる質問は完全にお断りしています。しかしながらそもそも「話すと苦しくなる」という事自体を理解して頂けない場面が少なくありません。

そこで、相手に背を向けて黙って去る、関係を断つ…という事も出来るのでしょうが、出来ればそれ以外の方法で話す事はできないのかと刊行当初からずっと考えています。(これは私の性格なので、相手に背を向ける事が最善な人はそうした方が良いと思います!精神衛生上…)

解離は、持ちきれない感情を分散させたり放り出す事から発生するものだと認識しています。しかしそもそも「持ちきれない感情を放り出す」「自分を分割して対処する」という感覚がわからなければ、このつらさを理解するのはかなり困難だろうと思います。それゆえに、なかなか怒る気にもなれず、かといってスルーも出来ず、もやもやとし続けているわけです…

「理解してもらう」という言葉

精神障害について「理解されない」と話す時の「理解」というのは何なのかとよく考えてきましたが、もしかしたらそれはメカニズムや、障害による苦しさなど具体的なものを把握してもらうことではなく「よくわからないけどとりあえず受け入れてもらう」という「受容」なのかもしれません。
だとしたら「理解してもらう」というのは相手の気持ちによるところが大きく、そう簡単ではなさそうです。

私は、自分が言える範囲のことを書く/言いたくない事は書かない、というスタンスを保持するために漫画という表現方法を選びました。けれども、いざ出版されてみると、読む人がたくさんいればそれだけ、自分の予想外の出来事や価値観に触れる機会が増えるのだということに気がつきました。

「傷ついてまで人の役には立たない」という先述の姿勢は崩さず、自分も相手も傷つかない形で話すにはどうしたら良いんでしょうか。あるいは、それは不可能なのでしょうか。

散々考えた結果「やっぱり無傷で人と向き合うなんて無理なのよ…」という事になるかもしれません。というか「傷つけ合わずに済む方法」を考えている時点で、私は結構傷ついてるじゃん、あらやだ…と書きながら発見してしまったんですが、まあ…。
七転び八起き、苦あれば楽あり、待てば海路の日和あり。止まらなければ、どこかへはたどり着くから、そのうちなんとかなるでしょう。のんびりじっくり考えます。


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