TokipapaRoro

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文章を書くことが好きなシングルマザー。時々ライターしていたりします。コラムニスト、エッセイストにもチャレンジ中。執筆依頼随時受付中。掲載記事の無断転写はお断りしますが、掲載希望の記事があれば別途ご相談ください。 ブログを綴っています↓。 https://tokipapa.com/

最近の記事

あるがままの自分と付き合えば良い

家事や仕事でクソ忙しい時に、世界平和についてどうすべきかなんて考える事は出来ない。 仕事でミスをして怒られた帰り道に、幸せを独り占めしているみたいな出来立てホヤホヤカップルを温かく見守ってあげることなんて出来ない。 それは心が狭いとか、そういう問題じゃないんだと私は思う。 他者を思えない自分が悪いわけでも、心が狭いわけでも、ましてそんな自分に嫌気がさす必要もありはしない。 そんな状態の時は、自己嫌悪になんて陥らず、ただ単純に、 「あぁ、エネルギーがなくなってるんだな

    • 読書感想文なんて怖くない!

      夏休みも終盤です。 宿題に追われる日々をお過ごしのお子さんをお持ちの方も多いのではないでしょうか。 例に漏れず我が子もその中の一人なのですが、今年の読書感想文の宿題の字数をみてびっくり! なんと原稿用紙4枚半から5枚だと言うじゃないですか。字数にしたら1800字~2000字です。 私が日頃ブログ等を更新する際に目安としている文字数が1500文字(以上)なのですが、それよりも多い文章量を中学生が、しかも決まったお題(本の感想)で書かなければいけないと言うのは、とても酷な話

      • 国語力

        国語力、と言う言葉がある。 一般的に国語力とは、読む事、書く事、そして論理的思考の事を指している。 漢字や熟語が扱える事は勿論、論理で裏付けされた文章を読み解く事(=読解力)、つまり論理的思考が出来ると言う事である。 教科としての国語の得意不得意は大雑把に言ってこの能力の差であり、この能力の差は今後国語だけに留まらず、数学の文章題、理科社会における記述問題、はたまた社会に出てからのパフォーマンス力、相手との交渉力、選択に対する決断力、引いては人生においての舵取りの能力と

        • 自分の「大したことない」は、誰かの「凄い」で成り立っている

          私の母は、洋裁が得意である。 幼い頃はよく洋服を作ってくれたり、七五三に兄と揃いでフォーマルを作ってくれたりした。けれど、子供特有の狭い視点でしか物事を考えていなかった私は「母は洋裁が得意」と言う事に気付くのが随分と遅くなってしまったのである。 私はずっと「母親とは洋服を作れて当然」なのだと思っていた。 しかし私が娘を産んだ時、当然のように洋裁は出来なかった。洋服はおろか、巾着一つ縫った事さえないのだ。 母になると自動的に備わると思っていた洋裁のスキルは、ついに私に身

        あるがままの自分と付き合えば良い

          後悔

          嫌いなものを挙げればキリがないが、その中でも最も嫌なものは何かと問われたら、私はきっと「後悔」だと答えるだろう。 私は昔から何故か「後悔」と言うものが極端に嫌いだった。それには恐怖心さえ抱く程で、私はどんな選択をする際にも「後悔しない方」と言う選び方をする程に、後悔する事を極端に恐れていたのだ。だから、極力それを味わう事がないように最善の注意を払ってきた。 まさしく後悔は先に立たず、味わったが最後、一生消えることはない。月日を重ねる事でいくらか薄らいでくる事はあるものの、

          自分にも外付けハードディスクの用意を!

          職場に行けば仕事をこなし、家に帰れば母になる。そんな二重生活を余儀なくされたかと思えば、今度は副業解禁。給料の減り分や将来に備えての蓄えは副業で補えと・・・。 簡単に言ってくれるじゃないか。 日中8時間仕事に取られて、通勤に往復2時間。そこから睡眠時間を7時間取ったら、残りはたった7時間ですよ。その7時間で子供の夕飯を作ってお風呂に入れて、明日の保育園の準備と部屋の片付け。 私の子供はもう保育園児ではないけれど、だからと言ってかける時間が少なくなったでしょと思われるのは

          自分にも外付けハードディスクの用意を!

          学歴の時代は終わった! を本当の意味で理解しているか?

          「世の中、もう学歴社会じゃない」 この言葉を聞いて、びっくりする人がどれだけいるだろうか。今やそんな事、当たり前の常識以外の何者でもなく、それこそこの言葉を全く聞いたこともなく一心不乱に高学歴を目指している人がいるとしたら、逆にお目にかかりたいものである。それ位、ありふれた言葉になってしまった。 でもね、私は思うのだ。もう学歴社会の時代は終わったのだと皆は言うが、結構な割合で勘違いしている人は多いんじゃないかなと。だって、「学歴社会ではない」とは言っているが、「学歴は必要

          学歴の時代は終わった! を本当の意味で理解しているか?