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タイ移住10年を振り返って思うこと Vol.2

サワディー・クラップときつるです。皆さんはお元気でしょうか⁈
まあ、どうでもいいんですけど。

前回からの続きになります。タイ移住して早10年が過ぎました。
定年を目前として10年過ごしたタイの状況を振り返ることにしました。
よろしければ、最後までご覧ください。

では早速行ってみましょう!

1.タイに本移住

・いよいよタイに移住します

2013年、3月末のことでした。
日本では10年以上賃貸で借りていたマンションを引き払い、日本最終日は
駅近のネットカフェで時間をつぶしていました。
空港までの高速バスにあわせて、ネットカフェの料金を払い空港に向かいます。ボッチのとても淋しい旅立ちになってしまいました。

旅立ちイメージ

空港にはかなり早めに到着しました。
待ち時間が嫌いだった私は、通常結構ギリで到着することが多かったのですが、今回は、日本最終日(チョット大げさですかね?)をかみしめてみようと思っておりました。

飛行機のチケットも溜まっていたポイントで、ビジネスにアップグレードしました。しばらく日本に返ってくる予定はなかったので、ポイントもすべて使い切りたかったんですよね。

夕方の便に乗ったので、タイに着いたのは確か夜11時くらいだったと思います。タイに到着して空港の外に出てきたのは、夜中の12時を回っていて
既にエアポートリンクは終了していました。
仕方がないので、タクシーでと行きたいところですが、東南アジアに極度の恐怖心を持っていた私は、リムジンでボロアパートに行くことにしました。

空港からボロアパートまでは、30KM程度なのでタクシーであれば、高速代を含めて400THB程度でしょうか。リムジンでは1500THBかかりました。
ボロアパートの前では、そこに住んでいるマレーシア人とタイ人たちが
1Fのベンチに座ってビールを飲んでいました。

突然、駐車場に緑ナンバーのリムジンが入ってきたので、ビールを飲んでいた住人は車の誘導を始めます。そこから荷物をドライバーに持たせた私が下りてきたので、みんなキョトンとした目で見ていました。

今日からこのボロアパートでお世話になるものだということを伝えて、
お土産に日本で買ってきた煙草をひとつづつ渡しました。

・新生活スタート

いよいよタイでの新生活がスタートしました。
住み始めたボロアパートの状況と住人を紹介します。
50%くらいがタイ人の労働者です。
バンコクのプラティナムと呼ばれるエリアに近く、この辺りは服の問屋が
多いせいかアパレル関係者が多く住んでいました。

出稼ぎのイメージ

そのほかは出稼ぎに来ているミヤンマー人がいて、数人で一部屋を借りて住んでいました。仕事は知りませんが夜勤もあるようで、夕方から出かける組もあったりして一日中部屋からは生活音がしていました。部屋の壁は薄く話し声がもぞもぞ聞こえてくるので、精神的に疲れましたね。

あとは謎のマレーシア人が住んでいました。
結構羽振りのよさそうなことを言っていましたが、このボロアパートに住んでいる時点で、8割がたは嘘だと思っていました。
そいつと仲が良かったのが、アパートで仕事をしていたタイ人のガードマンでした。いつも8時くらいからビールを飲み始めて、帰ってくる住民の車の誘導をしていましたが、アパートのオーナーに飲酒が見つかってあっさり
クビになりました。

うそつきのイメージ

地域性の問題か⁈アパートの問題かはわかりませんが、頻繁に停電がありました。私の部屋は7階(最上階)だったのですが、停電になると暑くて部屋にはいられません。1Fまで下りてアパートの隅にある売店でビールを買って飲みながら、電気が復旧するのを待ちました。
すると同じような奴らが集まり、やがて宴会に発展します。みんな食べ物を持ち寄って電気が通ても飲み続けていました。

そんなアパートだったので、結構みんなフレンドリーな付き合いでした。
もしもその時、私がもっと若かったら楽しいタイ生活を送っていたと思います。しかしすでに年齢は50才手前だったので、そんな能天気にはなれませんでした。今思えば、どこかで少し距離を置いていた気がします。

・休みの日

土曜の夜は毎週Mayちゃんの実家に遊びに行きます。
*「タイ移住10年を振り返って思うことVol.1」からの登場人物です。
といってもMayちゃんはそこには住んでいません。仲良くなったのは、
Mayちゃんの家で働いているタイ人の夫婦です。
まだ、若いのですが言葉も通じない私にとてもよくしてくれました。
名前はRekといいます。年はまだ30才前だったと思います。

2013年の年末には、自分の実家に招待してくれました。
実家はウドンタニというところで、バンコクから600KM以上離れたところです。バスで行ったのですが、ずーっと自分の家に泊めてくれて毎日食事をふるまってくれました。友達のいなかった私にとってはとてもありがたい存在でした。

今ではMayちゃんもRekも会わなくなってしまいました。
忙しさに甘えた、私自身のせいだと思います。
Mayちゃんはアメリカ人と結婚して幸せに暮らしているそうです。
Rekはまだあそこで働いているのかな⁈…..。

・移住して半年後

生活のルーティンは朝起きた後、近くの公園で少し運動をします。
シャワーを浴びて、駅近くのモーターサイ乗り場からタイ語学校まで
送ってもらいます。タイ語学校は9時から3時間程度なので、昼過ぎに学校が終わると近くのデパートで昼食を取ります。
通常は100THB程度で済ませるのですが、週1くらいでCOCO壱でカレーを
食べるが楽しみでした。

タイ語学校のイメージ

タイ語学校のクラスは、5人~6人態勢で1か月ごとにメンバーが変わります。私が仲良くなったのは、40才くらいのドイツ人でした。もう一人は、
服屋をタイで立ち上げたいといっていた40才過ぎの日本人もいました。
私を含めた3人で毎日のようにのみに出かけていました。
飲むといっても屋台でビールの大瓶を買って、少しつまみを買って飲む程度ですけどね。1日300~400THBあれば、結構楽しかったですね。

タイ語学校の友達ができるとボロアパートのメンバーとは疎遠になっていきました。自然の流れだったのかもしれません。
いつも飲みに行くのが、オンヌットというバンコクのチョット外れにある屋台でした。今のボロアパートからだと移動に片道1時間くらいかかります。
不便だということで、オンヌットに引っ越すことにしました。

2.オンヌットでの生活

新アパートは、駅から2Kmほど離れた場所にありました。
歩くと結構かかりますが、モーターサイに乗れば5分ぐらいです。
家の前にはソンテウと呼ばれている乗り合いバスも走っていてとても便利でした。家賃は5000THBから7500THBになりましたが、毎日のようにこの辺りまで来ていたので、交通費を考えれば安いくらいです。

仲の良かったドイツ人もオンヌットに住んでいたので、彼と飲む頻度は多くなりました。アパートには小さなジムもあったので、毎日のように体を鍛える日々を送っていました。人生の中で一番健康だったかもしれません。

自由な生活イメージ

しかし、そんな生活も長くは続きませんでした。
理由は簡単です。タイに滞在できる期間が迫っていました。
あと数ヶ月で、日本に戻るか?タイで生活をする手段を考えなければなりません。日本には戻りたくなかった私は、タイで働くために人材派遣会社に登録をすることにしました。

3.現地採用

人材派遣会社数社に登録しました。
登録は簡単です。ネットで調べた人材派遣会社にメールを送り、あとは日程を決めて簡単な面接を受けるだけです。その後は、派遣会社からの連絡を待つだけでいいということでした。

現地採用のイメージ

2014年になり私のビザも残すところ2か月弱です。
派遣会社からは1件の連絡もありません。
気軽に考えていましたが冷静に考えれば、そろそろ50才に手が届く訳の分からない人間にそんな多くの連絡が入るわけがありません。
と思っていた矢先、タイのローカル企業から連絡が入りました。
早速面接に出かけます。

暑いけどネクタイを締めて、タイのローカル企業にタクシーに乗っていきました。場所はラムルッカという場所です。周りには何もなく、タクシー代も片道300THBくらいかかりました。往復600THB…毎日⁈交通費出るかな?
とか思いつつ、まずは面接と思い話を始めましたが、10分もたたないうちに
お互い無理だろうって雰囲気になってきました。
理由は言葉が全然わからないんですよ。ということで、あっさり不採用でした。

それからいつまでたっても派遣会社からの連絡はありません。
もうだめか…と思っていた時に1件連絡が入りました。
今度は日系メーカーです。場所もバンコクの中心地で、通勤も便利そうです。これが最後のチャンス!絶対に働きたいと思っていました。

面接風景イメージ

結果はあっさり採用!
1時間程度の面接の後、いつから働ける?って感じでした。
本当にありがたかったです。感謝、感謝。
ということで、日本に帰る必要が無くなりました。

2014年春、タイでの新生活が始まることになりました。

最後までご覧いただきありがとうございます。
次回は、現地採用で働き始めた苦労と喜びなんかをBlogにしていこうと
思います。また、次回のBlogでお会いしましょう!
バイバイ。




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