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世の中に蔓延る巧妙な駆け引き。心理テクニックを駆使した交渉がいかに多いことか。『デタラメだもの』

世の中には巧妙な駆け引きというものが多く存在する。これはある種、心理テクニックを応用したものだと思うけれど、その術中に自分がかけられていると気づいた瞬間には、なんとも不快な気分になるものだ。

僕が最も苦手な駆け引きは、心理的な駆け引きを仕掛けられた上で、回答を1択にされてしまうアレである。ご存知の方もいると思うし、経験された方も多いと思う。そう、アレである。

例えば、電話が鳴り、出る。もしくは、電話が鳴り、誰かにそれを取り次いでいただき、最終的に、出る。その刹那、先方はこう言う。

「現在ご利用いただいているサービスの件で重要なご説明がございまして。今、お時間ございますでしょうか?」

この、お時間ございますでしょうか? と問われるのがめちゃくちゃ苦手。僕の最も苦手とする駆け引きのアレである。

どういうことかと言うと、ひとまずはこうして電話に出てしまっている。もしお時間がないとすれば、電話には出ない、もしくは出られないはず。にも関わらず、電話に出てしまっている時点で、電話に出る意思はあったはずだし、電話に出てもいいという時間的余裕があったと解釈される。

その時点で、「お時間ございますでしょうか?」の問いには、必然的に「はい──」しか答えられない状況に追い込まれているわけだ。

ありがたいことに、日々、やらなければならないこととやりたいことで、ほとんどの時間は埋まっている。たとえ空き時間があるとしても、それは事前に、ここで空き時間を確保しようと誓い、それに合わせて行動しているからして、突発的な空き時間を作ることは相当に難しい。

なので、本心で言わせていただくと、「お時間ございますでしょうか?」の問いには問答無用で「ございません」なわけである。が、例の心理合戦に負けてしまっているため、「はい──」と答えざるを得ない。

それだけじゃあない。奴さん、現在ご利用いただいているサービスの件で重要なご説明がございまして、と冒頭に付しておられる。ということはだ、ここで僕がこの電話をムゲにしようものなら、「お前が利用しているサービスで且つ重要な説明にも耳を傾けない無能な人間」というレッテルを、即座に貼られてしまうことになる。

そして、この電話に応対しなかったがために、後世、何らかのトラブルに巻き込まれたとしてその刹那、「あの時、この重要な事項を説明しようと試みたにも関わらず、お前自身がそれを拒んだんじゃないか。自業自得じゃないか。サービス提供側には、何の落ち度もないぞ。ボケナス」と言われることは目に見えている。

ほら、電話に出るしかないじゃないの。回答が1択しかないじゃないの。この駆け引きを迫られるのが、とてもとても苦手なわけです、はい。

洋服屋さんとかでもよくあるよね。ある洋服を手に取って眺めていると、店員さんが寄ってきて、「その服、めちゃくちゃ人気ですよ。結構、皆さん購入されてらっしゃいます」などと言われる。

これも駆け引き。皆さんが選ぶ服を手に取っているお前、人並みのセンスをちゃんと持っているよ、という賛辞。もし、手に取った服をハンガーラックに戻し購入を見送ったとしたならば、お前は皆さんを下回るセンスの持ち主。それを購入された皆さんには到底及ばない程度のセンスしか持ち合わせていない人間だということが決定づけられるよ、さぁどうする? という脅迫。

答えを1択に絞られるのを回避するため、僕はもがく。あがく。ジタバタする。そして震える声でこう言う。「あっ。でも、僕、誰も着てないような、誰ともカブらないような服を探してるんで──」

そんなひ弱な応戦で相手を倒せるわけがない。すかさず相手はこう攻めてくる。「めちゃくちゃセンスある個性的で奇抜なお客さんも、その服、選ばれますよ! あと、着こなし方次第で、誰ともカブらないアレンジができるのも、その服のいいところなんですよねー!」

先の会話で人と同じものが嫌と言った僕。そして、個性的なものを探しているという回避に対し、個性的な人も買っているという一手。人と同じものを着るのが嫌という主義主張に対し、着こなし次第でオンリーワンになれるという一手。要するにお前のセンス次第だという宣告。

「あっ、じゃあ、これにします……」

なるよね。なるよね。だって、答えは1択なんだもの。買う以外、ないよね。心理合戦に負けてんだもんね。仕方ないよね。

あまりに悔しくて、帰宅後、購入した服のいたる部位をハサミで切りつけ、左右を完全に非対称にし、首元もダルダルにし、果たしてこれは服だろうか? と疑問が湧くほどに原型を崩し、俺はパンクだ俺はパンクだ、などと叫びながら洋服に個性を出してやろうと試みた。が、結果的に、外界に着ていけるクオリティを担保するのは難しく、家着と化したのは言うまでもない。

居酒屋などでもよくある。ジョッキやグラスが空っぽになっていたり、食べ物のお皿が空っぽになっていたりするときに言われる、「何かご注文、聞きましょか?」というアレ。

シンプルにそう尋ねてもらえる分には、「あっ、また後で言います」などと時間を稼げるのだけれど、ここにも心理合戦を持ち込んでくる輩が、この世にはなんと多いことか。

「あれ? 今日、ペース遅くないですか?」とボソッと言われたり、「どないしたんすか? 今日、体調悪いんですか?」とか心配する素振りをされたり、「さすがにまだ飲めるでしょう?」などと狡猾な表情で煽られたり。もう嫌だ嫌だ、今すぐ逃げ出したくなる。

これも同様、答えを1択に絞られている。ペースが遅いと指摘されるということは、情けない飲み方をしているということだ。となると、情けなさを払拭するためにペースを上げねばならない。そりゃドシドシ注文するしかなくなるわな。

体調悪いなんて心配された日にゃ、なんか身体がすっげい弱い奴に見られているようで、なにくそ、シャカリキになってしまう。本当に体調が悪かったり、日々、体調を崩しがちな身体をしているなら、その指摘もすんなり飲み込める。が、当の本人、基本的に体調を崩すことなどほとんどないからして、そりゃシャカリキにならざるを得ない。

さすがにまだ飲めるでしょう? は恐ろしい。断った時点で、それまで自分が築き上げてきたものの大半が崩れ去るような気すらしてしまう。社会的落伍者。自分に打ち勝てない意思の弱い人間。敗者。敗北者。そんな言葉が脳裏によぎり、気づけばシャカリキになってしまっている。

僕は素直に思うわけさ。心理テクニックを用いなければ相手が納得しない商品・サービスなんざ、この世になくていいもの。生きるうえで特に必要のないもの。だから人は、それを売りつけるために必死になり、心理テクニックを駆使して善良な市民を追い込もうとする。

僕の可処分所得の6割近くは、心理テクニックに敗北したために支払った金銭。嗚呼、泣けてくる。

クソッ。だったらこっちだって心理テクニックを駆使して答えを1択にしてやる。優位に交渉を進めてやる。そう思いつき、お客さまに対して心理合戦を挑んでみた。

「もしもし。あっ、今お時間ございますでしょうか? 御社に取って重要なソリューションのご説明がございまして。あっ、ありがとうございます。

こちらのソリューションはですね、御社のような企業様の多くが導入しているだけでなく、業界の中でも特に業績の良い企業様が導入されていらっしゃいます。カスタマイズ次第で、御社独自のシステムを構築することもできます。はい。

あれ? ご興味ない感じでしょうか? もしかして体調でも悪い感じでしょうか? あっ、大丈夫ですか。すみません。いやいや、しかし御社くらいの企業様でしたら、さすがにこれくらいのソリューションは導入できるでしょう──」

投げつけるようにして電話は切られた。

『デタラメだもの』

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