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世の中に未来永劫続くものなんてない。それを学ばせてくれた小さなカフェの物語。『デタラメだもの』

世の中に未来永劫続くものなんてないはずで、飲食店もそのひとつ。つい先日までそこにあった居酒屋や喫茶店がなくなってしまうというのはよくある話。よくある話と言えども、愛着を感じている景色がこの世から姿を消してしまうことに、ただただ悲しみを覚えてしまうわけです。

その昔、稼ぎの少なさから貧乏ひとり暮らしをしていた頃の話。ひっそりとした住宅街の中にあるマンションに住んでいたわけだが、その近所に小綺麗なカフェがオープンした。店頭のショーケースにケーキ類が並べられて、ティーと共に食せるタイプのカフェ。

時間を潰せる手頃な場所が近隣になかったことから、僕は思い切ってそのカフェに足を運んでみた。オープンしたばかりのその店はとても清潔感に溢れ、オーナーは20代後半といったところのオシャレな女性の方。近隣に住まう客とのコミュニケーションは大切にしなければとの思いから、来店した客と軽い会話を交わす。そんな場面がとても好印象なカフェだった。

何やらその女性の方、カフェをオープンするのが長年の夢だったらしく、正社員として働きながら貯金を蓄え、念願の夢を叶えカフェをオープン。華々しく店を装飾したり贅沢な設備を手配したりする資金面での余裕はなかったらしく、店内には手作りを感じさせる部分も多かった。が、逆にそれがハンドメイド感を演出し、またオーナーの人柄ともマッチし、とても居心地のいい空間が広がっていた。

オーナー曰く、近隣のママさんたちの集いの場、憩いの場になれれば幸い。そんな思いから、女性にこそ価値を感じられる店づくりを心がけていらっしゃった。

純喫茶ならまだしも、少し値段の高いカフェに足繁く通えるほどの財力がなかった僕は、オープン直後に店を訪れてからしばらくの時間を経て、二度目の訪問を果たした。が、何やら店内の様子が変わっていた。

近隣のママさんたちが賑わうカフェを目指すと語っていらっしゃったオーナーのビジョンとは裏腹に、店内には作業服を着た屈強な男たちが、半ば大声で談笑しながら寛いでいた。

どうやらカフェのすぐ近くにある工場で働く屈強な男たちが、寛ぎと憩いを求めてそのカフェに辿り着いたらしい。

僕は店内の隅っこで本を読みながら会話に耳を傾けていたのだが、「なぁなぁ。この前言ってたカレーの提供って、いつ頃スタートするのん?」「ランチタイムは毎日店に来たるわな」といったように、とても男性的で粗暴で野蛮な会話が飛び交っていたのです。

おおらかな性格の持ち主であるオーナーの女性は、そんな男どものガサツな会話にもニコニコと相づちを打ち応対。そんな対応に男どももとても気を良くしている様子だった。

どうやらそのカフェを利用する中心的な客が工場の屈強な男たちとなり、そのために腹ペコな男どものためにカレーを拵え提供する予定まで立てていたそう。工場の近隣にそういったオアシスがない男たちは、さぞ喜んだことでしょう。来る日も来る日も、腹をすかせてカフェに足を運ぶ様子が目に浮かぶ。

それから数日後、男たちの願いが叶ったのか、どうやらカレーの提供がスタートした模様。店前を自転車で通った際に店内に目をやると、店の中は作業着の男たちで埋め尽くされていた。もちろん、寛ぎと癒やしを求めて集うママさんの姿はどこにもなかった。

オープン直後に店を訪れたときに聞かせてくれたオーナーの夢。手作りで一生懸命作り上げた店内。ママさんたちに愛用してもらうための店づくり。愛らしい食器や休息に彩りを添えてくれるケーキたち。

それを知っている僕は胸が苦しくなり、呼吸も乱れるわ、脈も乱れるわ、夜中に呑む缶ビールの本数は増えるわ、部屋は散らかるわ、会社も遅刻気味になるわ、上司からは怒鳴られるわ、給料は上がらないわ、ボーナスは出ないわ、風呂場の電球は切れるわで、とにかく生活が荒れ果てていったものだ。

それから少しの月日が流れ、三度目の訪問を試みた僕は唖然とした。なんと、店が潰れてる。つい先日まであったその店が、潰れてしまっている。日常の景色から、オーナーの夢であるカフェが消失してしまったのである。

あかん。俺はもうこの町にはおれん。悲し過ぎる。この道を通るたびに息が詰まりそうになるだろうし、涙が止まらなくなるやもしれん。この町を出なければ。そう思い、僕は夜行列車の切符を買いに行ったわけだが、どこの駅から夜行列車が発っているのかを知り得なかった僕はそれを断念し、トボトボと帰宅した。

店を閉じることを決意した日のオーナーはどんな気持ちだっただろうか。オープンして1年半ほどで長年の夢に幕を閉じなければならなかったオーナーの気持ちはどんなだっただろうか。作業着の屈強な男たちを見て、何を思っていたのだろうか。どんな気持ちでカレーを拵えていたのだろうか。容器にカットレモンを入れて提供していた上品な水を、まるで水道水をゴクリゴクリと飲むように胃袋に流し込んでいた男どもを、どんな気持ちで眺めていたのだろうか。そして今、オーナーはどこで何をしているのだろうか。

できれば別の場所で、長年の夢の続きを楽しんでいてもらいたい。

そんなカフェの跡地にはその後、千円ほど払えばベロンベロンに酔えるようなタイプの立ち呑み居酒屋ができている。店の前を通ると、酔っぱらい特有の陽気な叫び声が響く。それはそれで悪くはない。悪くはないが、切なくなってしまう。

この居酒屋は居抜きの状態で店を構えたのだろうか。だとしたら、オーナーの夢が詰まったハンドメイドな店内の設えも、引き続き利用されているのかもしれない。それをオーナーが喜ぶか否かは別として、もしかするとその居酒屋に足を運べば、遠き昔の名残りに出会えるかもしれない。そんな風にも思う。

飲食店にはドラマや思い出はつきものだ。だからこそ、店の常連になってしまうと、サヨウナラの日が来たときのショックが大きすぎる。できれば未来永劫、僕の景色の中に存在し続けて欲しいと願うものの、先のカフェのように望んだターゲットに棲み着いてもらえる確約もない。小さなカフェと言えど、立派な飲食店経営だからだ。

そしてここ数年、馴染みの安居酒屋が相次いで潰れていった。あの日あの場所で語ったことや笑ったこと、それらを懐かしむ権利は剥奪されてしまった。あの映像は脳内で再生することしかできない。切ない。哀しい。やるせない。

だけど僕らは今日も前を向いて歩いて行く。どんなに嫌なことがあろうと、前に向かって進む時の流れに沿うように、力強く前進して行く。悲しみもやるせなさも全部飲み込んで、立派に生きて行くしかないんだ。

そんなことを考えながら歩いていると、目の前に新しくオープンした居酒屋が一軒。店先の看板に目をやると、昼間は破格な値段でビールを提供しているじゃあないの。それに気を良くした僕は後輩を呼び止め、「見て見て! ビールめっちゃ安いで」と高揚する。すると後輩は「先輩──まだ昼間ですよ」と呆れ顔。それを見た僕は、「今という時間は二度と戻ってこない。未来永劫続くものもない。この瞬間のビールはこの瞬間にしか味わえない!」と、いかにも無能な社会人よろしく、後輩を連れてその店に足を踏み入れた。

店内の様子を見て僕は安心した。なぜなら、僕たち同様、昼間っから酔っ払ってしまいたい、そう望む屈強な男どもで溢れかえっていたからだ。

デタラメだもの。

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