三陸キュンパス旅の備忘録
東日本大震災から13年。元日の能登半島地震も相まって「防災」への意識が高まる中、JR東日本が期間限定で発売した「キュンパス」を使って2泊3日の鉄道ひとり旅を催行した。
1日目 →南三陸町
1日目、旅の出発はJR常磐線・勝田駅。当初は仙台直通の特急「ひたち3号」で北上しながら復興を遂げた鉄路を感じる予定だったが、仙台地区の倒竹や停電の影響で運転再開の見通しが立たず、急遽東北新幹線廻りで仙台まで向かうことにした。なお、東北新幹線も朝から例のオーバーラン事故で運転を見合わせており、先行きが全く見通せない中の出発となる。
「キュンパス」は急の旅程変更にも柔軟に対応してくれて、結局仙台到着は予定より早い到着となった。新幹線が想定より早く運転再開してくれたことも大きい。仙台駅では小休憩として、ずんだ餅とシェイクのセットをいただく。仙台自体は3ヶ月振りの訪問、ずんだの香りが口の中に広がることで東北に来たんだなぁと感じる。
仙台から今日の宿泊地:南三陸への移動もまた難を要した。仙台地区の在来線が降雪などの影響で軒並み減便や大幅遅延となっており、当初予定の仙石東北ライン・石巻経由のルートが使えなくなったからだ。結局、一番先に仙台を出発する東北本線小牛田行きに乗り込み、崩壊した旅程を愉しむことにする。
小牛田からは気仙沼線で、かつ途中の前谷地という駅からは鉄道ではなくBRTを使って北上する。BRTはいつか乗ってみたいとずっと思っていたので、今回の旅の一ポイントであった。とはいえ、今日乗る区間はバスのように一般道をひたすら走るだけだったので、鉄道廃線:バス専用道を走る体験は明日へのお楽しみとなった。
1泊目は南三陸町の「ホテル観洋」にお世話になった。客室やレストラン、大浴場から見える志津川湾は穏やかで美しかった。特に日の出前に早起きして露天風呂から眺める朝焼けは格別であり、少々値段はしたが泊まってよかった:また訪れたいなと思える時間だった。
2日目 南三陸町→久慈
2日目の朝はホテルが震災後ずっと続けている「語り部バス」に乗車し、1時間ほど南三陸町を廻りながら震災について考える時間とした。
かつて集落や学校があった戸倉地区、今は更地となっていて説明が無ければかつての賑わいを感じることはできない。当時住民が避難したという高台も訪れ、「2時48分」で止まった時計を見ながら住民と教師の避難の軌跡を知る。
役場や病院があった志津川地区では、最後まで防災庁舎でマイクを握りながら避難を呼びかけた職員の物語を聴く。被災者でありホテル職員である語り部の方は「各自の防災意識を見つめなおしてほしい」と呼び掛けて締めた。東日本大震災を体験した最後の世代(と勝手に思っている)として、この出来事を次にどうつなげていくか、じっくりと考えてみたいなと思った。
その後はBRTの走りっぷりを感じながら、急遽決めた次の目的地:陸前高田へと向かう。気仙沼や大船渡を走っていた鉄路は廃止され、公共交通はBRTやバスがその役割を引き継ぐこととなった。語り部の方は地元の鉄道に対する想いもまた口にされていた。「鉄道なくして街の発展なし」という言葉もあるが、現代において、地元の細かい需要(病院とか学校とか)を拾いながら動脈となり得るBRTの選択は安牌なのではないかなと、乗客の姿を見ながら考える。もっとも、気仙沼からは一気に「同業者」がたくさん乗り込んできて、その光景は霞んでしまったが。
そんなことを思いながら次の目的地:道の駅高田松原へ。道の駅ではあるがBRTの「駅」でもあり、陸前高田市の観光拠点となっていると思う。このあたり一帯は震災後「津波復興祈念公園」として整備され、震災遺構や資料館、そして有名な「奇跡の一本松」が観光客を迎え入れる。私は行程の都合上1時間半しか居られなかったが、しっかりと向き合えば半日あっても足りないだろうなと思うくらい、この地から感じるものは多かった。
奇跡の一本松駅を出てBRTの終点、盛駅で三陸鉄道に乗り換える。三陸鉄道は連続テレビ小説『あまちゃん』で有名となった第三セクターで、岩手県の三陸海岸をひたすら北上していく。この日は盛から久慈までの全線を約5時間かけて乗り通した。車内は住民よりも「キュンパス」を利用した鉄道/旅行愛好者が多く、鉄道自体が観光となっている様子を見て取れる。とは言え、途中駅からは地元の中学生が複数人乗ってくるなど、しっかりと地元の足ともなっている。
3日目 久慈→盛岡→今別町→
3日目は久慈からスタート。まずJR八戸線を完乗することで、三陸海岸沿いの鉄道とBRTを走破する。
そしてここからは「キュンパス」の威力を精いっぱい発揮することに。当初は大湊線という下北半島を走るローカル線を乗る予定だったが、急に盛岡冷麺を食べたくなったので八戸から盛岡まで新幹線で移動。
冷麺を堪能した後は追加料金を払って本州最北端:1日の利用者が30人に満たない新幹線駅である「奥津軽いまべつ」を訪れた。地元の小学生が新幹線開業を待ち望んでいた様子を記録に収めるなど駅前を軽く散策したり、駅併設の道の駅で応援の意味も込めて奥津軽の郷土菓子を購入したりと、人気のないステキな地を味わった。
ここからは文明の発達にあやかり、新幹線で一気に仙台まで行き、仙台からは常磐線特急「ひたち」で3時間かけて茨城へ帰る。「キュンパス」の影響もあり新幹線は青森から満席、「ひたち」も中々の乗車率で、コロナ禍が明けて人々の移動が本当に戻ったんだなと実感しながら、充実したひとり旅を終えた。
追記
2024/03/12
語り部バスの説明の中で登場した「戸倉小学校」について、語り部の方とほぼ同じ説明がNHK for School『学ぼうBOSAI』にて紹介されていた。興味のある方はぜひ。
地震津波に限らず、いつどこで災害に見舞われるか分からない中、防災減災意識を日常生活にどう落とし込んでいけば良いのか、非常に考えさせられる。上掲の動画タイトルには「被災者に学ぶ」とある。過去の災害「を知る」に留まることなく、「から学ぶ」ことをこれからも続けてゆきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?