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誰からも煙たがられる人

以前、ある患者さんが入院中に問題を起こし、弊社スタッフも同席のもと、主治医の先生とお話をしたことがあります。そのとき、先生が患者さんに「このままじゃ、頭が悪くて性格の悪いおじさん(おばさん)になっちゃうよ」と諭したことがありました。

言葉尻を捉えられる現代では、ともすれば「ハラスメント」と批難される発言かもしれません。しかし実際のところ、その患者さんが院内のルールを無視してわがままを言い、思い通りにならないと他の患者さんや病院スタッフに迷惑行為を行っていたことは事実で、先生の言葉は本質をついていたと思います。

最近は、パーソナリティ障害や発達障害といった病名が周知されるようになり、一方でその乱用も気になるところです。たとえば、一昔前なら「そんなことをしていたら皆から嫌われるよ」と指摘された言動も、「あの人は病気だから」とすることで、見ない振りができるようになりました。「病気だから」の眼差しは、一見すると優しさや気づかいに思えますが、それ以上の関わりを拒絶する免罪符にもなっています

さらに日本の精神科医療の現場では、パーソナリティ障害や精神病質を「性格の問題」とすることで、治療領域として積極的に受け入れない現状があります。「制度上、長くは入院させられない」「うちの病院は専門ではないので、これ以上の治療はできない」などと煙に巻かれますが、端的に言えば「面倒な患者は診たくない」というのが本音です。

弊社の相談では、統合失調症やうつ病、強迫性障害などいわゆる「一般的な」精神疾患に併存してパーソナリティ障害があるケースも増えています。トラブルが多く周囲の誰ともうまくいかない、損害賠償を請求されるような事案も増え、家族も支えきれない……という状態には、やはり何らかの治療や支援が必要ではないでしょうか。

家族が頑張って医療につないでも、患者さん本人が治療に前向きでなく、院内で問題行動を繰り返すようであれば、病院スタッフからも煙たがられ、「退院」を告げられることになります。グループホームなど施設においても同様です。

なぜ誰からも煙たがられてしまうのか?

このような患者さん(子供)をもつ親ほど、本人のためにも「家族以外の誰かと人間関係を作ってほしい」と切に願います。しかしそれこそがもっとも難しいことです。なにせ、「人間」や「心」を扱うプロである精神科医療の専門家(医師、看護師、ワーカーなど)でさえ、「もうお手上げ」となってしまうのですから。

そのような難しいパーソナリティをもつ患者さんが、果たして「地域」や「家庭」で大きなトラブルなく過ごすことができるでしょうか? このことは、現在の「地域移行」では触れられることのない大きな矛盾です。

もっとも、性格的に完璧な人間などこの世に存在しません。誰しも長所がある反面、短所も持っているものです。それでも社会で生きていけている理由は、少なからず誰かとつながり、足りないところを補いあえているからでしょう。反対に言えば、精神科医療の範疇でも持てあまされる患者さんは、(言葉を選ばずに言いますが)「誰からも煙たがられてしまう」という現実があるのです。

なぜ、誰からも煙たがられてしまうのでしょうか? 弊社が携わるケースの多くは、親子関係が崩壊しており、子供が親に対してさんざん暴力を振るったり、金銭の無心をしたりしています。その背景には親の育て方や関わり方に対する不満があります。実際に、身体的・心理的虐待を受けて育っている方もいます。

ですから最初のうちは、親に対する不平・不満が止まりません。自分の振るってきた暴力や暴言もすべて「親のせい」であり、「自分は悪くない」と主張します。しかし弊社が間に入ってひたすら話を聞き、過去の経緯などを整理していくと、自分の振る舞いにも目を向けられるようになり、「自分にも悪いところがあった」「親がトキワに頼んだのも仕方ない」と、折り合いをつけられるようになります(もちろんそこに至るまでには、複数年単位の「根気強く関わり続ける」必要があり、時間がかかります)。

こういう方は、皆とうまくやるのは難しくても、医師や職員の中に「この人のことは信頼できる」という人を見つけることができれば、少しずつ心をひらけるようにもなりますし、協力してくれる人もでてきます。

ところが中には、そのような「お互い様」の考えに至れない方もいます。「自分は悪くない→親が悪い→親が自分の面倒をみるべき」という主張をずっと手放しません。第三者の助言に屁理屈で返したり、楯突いたり、「自分はこうだから、こうしてくれ」という要求が強かったり、相手のカンに触るようなことばかりを繰り返してしまいます。

その反面、人への依存が強く、構ってもらえないとなると、それがまたトラブルの火種になります。倫理道徳など正論が通じるものでもなく、支援する側の、「言葉遣い」「間合い」「時間の経過」といった技量が必要になってきます。これでは、誰からもそっぽを向かれてしまうのも当然です。

「お世話になります」「ありがとうございます」という気持ちは、目に見えないささやかなものですが、人間関係をスムースにする潤滑油であることを実感します。

心がひねくれる理由

あくまでも弊社の経験ですが、このような患者さん(子供たち)の生育歴に目を向けてみると、心がひねくれるだけの要素が見つかるものです。

典型的なのが、子供に「負」の言葉、「負」の感情を絶え間なく吹き込むことです。

・「お金」を基準とした価値観で、人を評価する(家庭の中で、「値段」や「支払い」というお金にまつわる話題が多い)
・他人に対する差別や偏見が常にある(経歴や家庭環境を見下すような発言をする)
・自分や自分の家族を優遇するよう、他人に強いる(人との付き合い上で起こる出来事に対して、逐一物言いをつける、何かと便宜を図るよう強いる)
※医療にかかったのちに、投薬内容や職員の対応に対してクレームをつける親もこのタイプ

子供にとっては、社会性や自立の習得からは、かけ離れてしまう言動です。しかし親は、「あなた(子供)のために親として最善を尽くしている」と包装してしまいます。子供は「負」の発言を日々浴びる上に、親の背中から「屁理屈」を学ぶことになります。

これでは、自分の「立ち位置」が分からなくなるのも当然です。自分という確固たるものがないからこそ、「他人に指図されたり結論を委ねたりするのはイヤだが、自分で責任をもって決断するのも(自己責任)イヤ」と言います(その論理的矛盾を突くと「病気」を逃げ道にするのも特徴です)。

結果、誰もが関わりたくない、面倒くさい人の烙印を押されてしまうのです。

もっともこれは、病気の有無に関係なく言えることです。大人になった今だからこそ、自分の立ち位置を常に振り返り、「お互い様」の精神を忘れないようにしたいと思います。

ノンフィクション漫画『「子供を殺してください」という親たち』には、子育てのさまざまなケースが登場します。ぜひお読みください。



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