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「病気」を除いたところで子供のことを見なおしてみる

精神疾患は、病識(自分が病気であるという認識)をもちにくい病気と言われています。とくに重篤なケースにおいては、「病態失認(anosognosia)」と呼ばれる症状があり、これはアルツハイマーや脳卒中でも見られるように、脳の特定箇所が解剖学的ダメージを受けたときに起こることだと指摘する神経学者もいます。

幻覚や妄想の付随する精神疾患(統合失調症など)をもつ方は、この傾向が強いのではないかと思います。また、アルコール依存や薬物依存のように、依存症であることを認めたがらないこともあります(それゆえに“否認の病”とも言われます)。

対して、うつ病(とくに新型、非定型と呼ばれるうつ病)や、パニック症、強迫症などでは、本人に一定の病識があり、「病気を治したい」と考えており、率先して治療を受けている例もあります。このような家庭では、親御さんも病気に理解を示していることが多く、本人と同じかそれ以上に「良くなってほしい」「治ってほしい」と願い、治療にも協力しています。

一見すると望ましい環境にあるように思えますが、「本人に病識があり」「親も治療に協力的」という状況でありながら、「事態は悪くなる一方……」という家族がいることもまた、事実です。弊社の経験では、「もう10年以上も親子で治療に取り組んできたのに、良くなるどころか、最近は本人が命に関わるようなこと(自傷他害行為)を起こすようになってしまった!」と、涙ながらに訴える家族もいます。

このような事例に共通することとして、【医療機関を転々としている】ことが挙げられます。心療内科、精神科クリニック、(入院施設のある)精神科病院の転院を繰りかえし、それでも効果を感じられず、民間療法(食事療法や漢方、果ては祈祷のようなものまで)を頼っています。詳しく聞いていくと、かけてきたお金も相当なもので、家族が「こんなに頑張ってきたのに、なぜ良くならないのか」と嘆く気持ちも理解できます。

では、ここまでしてなぜ、回復の道すじが見えないのでしょうか。弊社が考える本質的な要因の一つに、「本人が等身大の自分を受け入れられずにいる」ことがあり、さらにその根底には、親子関係の歪み(健全な距離間をもてないことによる生きづらさ)が挙げられます。

つまり、本人の「こうしたい」「こうあるべき」という希望や理想が、現状に比べて高すぎるのです。この背景には、本人に華やかな経歴(学歴や職歴)があったり、外見が整っていたり、実家がそれなりに裕福だったりして、過去においてはある程度の自己実現ができていることも少なくありません。

ところがある段階で、会社を辞めた、恋愛で失敗したなどのトラブルがあり、「人生がうまくいかない」と感じるようになり、うつ病など精神疾患を発症しています。または、精神疾患を発症することによって、会社を辞めざるを得なくなったり、恋人に振られたりしている場合もあります。この「どちらが先だったのか」については、とても曖昧であるように思いますが、本人や家族からすれば「精神疾患のせいで、こうなった」と思い込んでしまいがちです。

そして実は、本人の等身大の姿を受け入れられないのは、親も同じであることが多いのです。本人の前では気を遣ってそのような振る舞いはしませんが、無意識のうちに「(我が子の人生は)こんなはずじゃなかった」と、親自身が目の前の子供の姿を受け入れられずにいます。そして、それを病気のせいにしようとしてしまいます。だからこそ「精神疾患さえ良くなれば、充実した人生を取り戻せる」と考え、子供以上に、評判の良い医療機関を探したり、新しい治療法を見つけたりすることに必死になります。

もちろん、精神疾患に罹患することにより、学業に影響が出たり、就労や結婚の機会を逃したりすることも、現実にはあるでしょう。しかし世の中には、重篤な障害を抱えながらも、就学や就労している人はごまんといます。

親御さんに考えていただきたいのは、「病気のことがあるとはいえ、我が子が社会参加できていないのはなぜだろうか?」ということです。本人の努力が足りないと言いたいのではなく、本人や家族が思い描く理想の“本人像”が、実は、「本人にとって合わないのではないか」「客観的にみれば実力不足で、高望みに過ぎないのではないか」ということを、今一度、考えてみてほしいのです。

もちろん、大きな目標をもつことは大切です。しかし、何かを成し遂げるためには(また、成し遂げたあとに継続していくには)、それが大きいものであるほど、本人の資質や努力、精神力や忍耐力などが問われます。良くも悪くも負荷(ストレス)がかかることは間違いなく、本人がそれに耐えられるのかどうか、「病気」を抜きにして、見なおしてみてほしいのです。

弊社がこのように申し上げるのは、上記のようなケースにおける親御さんの話を聞いていると、言葉の端々に「子供の頃は何の問題もなかったのに」「せっかく大学まで出たのに」という思いが感じられるからです。または、親自身の成功体験や価値観をそのまま、「子供にとっても良いことだ」と妄信的に押しつけている場合もあります。

そしてこのような親御さんほど、「病気さえ治れば、自分が理想とする子供に戻るはずだ」「病気さえなければ、もっと活躍(あるいは幸せな結婚など)ができるはずだ」と考えています。子供の立場に立ってみれば、親が言葉にしなくとも、その思いは敏感に感じていることでしょう。

そういう親の気持ちを肌で感じればこそ子供も、人生が思ったとおりにいかないことを「病気のせい」だと考え、「治そう」と治療にも取り組みます。しかし現実には、いくらドクターショッピングをしても、どんな療法を取り入れても、本人のこころの空洞を埋めてくれるものは、そう簡単には手に入りません(この理由として、先にも述べたように、本人の望んでいるものが社会的地位を手に入れることや、理想の職業に就くこと、ハイスペックな相手との結婚など、現実からかけ離れている、ということがあります)。

客観的にみれば、精神科にかかることで症状自体は緩和されているのに、こころの空洞が埋まらないばかりに、気分の浮き沈みが激しく、家族に対しても怒りをぶつけてしまいます。本人や家族はそれを「病気が治っていない」と受け止めるため、一向に前に進みません。

この負のループに陥っている家庭の親には、いったん、子供の「病気」に関する視点を外してみて、子供の「ありのまま」の姿について考えてみてほしいと思います。これは、治療を放棄するとか、わがままを受け入れるという意味ではなく、たとえば、【仮に病気のことがなかったとしても】、「我が子が一般的な就労や結婚などができるタイプか」「競争に耐えられるタイプか」「人の波をかいくぐって上を目指せるタイプか」といったことを、見つめなおしてほしいのです。

社会は今、多様な生き方を受け入れる時代となっています。「普通」と言われる就学や就労、結婚等をすることが、=幸せというわけではありません。弊社ではこれまで、年齢も性別もバックグラウンドも異なる、さまざまな方と携わってきました。その経験から、もっともこころの安定を得られるのは、やはり本人が「地に足をつける」=【自分の力量を認め、自分に合った生き方ができる】ことだと感じています。このことを受け止めてみると、少し肩の力が抜けて、本人にとって本当に必要な医療や支援が見えてくるのではないでしょうか。

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