きょうだいの心構えと覚悟

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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年を振り返ってみると、
① きょうだいからのご相談で、対象者(本人)が40~50代、問題が長期化しているケース
② 親御さんからのご相談で、対象者が10~20代前半、パーソナリティ障害、依存症、摂食障害などによる問題行動があるが、精神科では積極的に診てもらえないというケース
が、以前にも増して多かったように思います。

今日は、①について考えてみます。この場合、「きょうだい自身がどのような立ち位置で相談に来るか」に、大きな違いがあります。

Ⅰ:「自分が動かなければならない」、と覚悟を決めて相談に来る
Ⅱ:「親に動いてもらうために、どうすればいいか」と相談に来る

これまで、弊社が介入して問題解決ができたケースは、圧倒的にⅠのタイプです。このタイプの方は、親の対応のまずさや親子関係の歪みに気づいており、「親ではもう、問題解決に向けた対応はできない」と分かっています。

また、自分(きょうだい自身)も本人から暴力を振るわれたり、金銭の無心をされたりと差し迫る危機を肌で感じており、「自分が動くしかない」と覚悟を決めて、相談に来られます。

弊社のような第三者が介入するにしても、行政や病院とのやりとりにおいては、家族でしか対応できないこともあります。そのようなとき、高齢となった親よりも、きょうだいが動くほうが、手続き等スムースに進む場合が多いです。

また、本人を医療につないだあと(退院後)の環境も、きょうだいが窓口となり、「親は高齢で同居は無理」「自分にも家庭や仕事があり、サポートにも限界がある」と伝えることで、病院や行政(地域)の協力を得やすくなります。

一方でⅡのパターンは、「親に責任をとってもらいたい」「本人に恨まれるのが怖い」などの理由で、自分はできるだけ関わらずに、問題解決をしたいと考えています。

そのため弊社への相談では「どうやったら親を説得できるか」「相談料は払うので、そちらから親に話をしてくれないか」という内容が多いです。この場合、弊社がいろいろとアドバイスをしても、実際に動くのは「高齢の親」となり、どこまで実現可能か、疑問に思うところでもあります。

(ただし、それほど複雑化していないケースで、なおかつ親が真剣に医療につなげたいと覚悟を決めているのであれば、以前に比べて医療につなげやすくなっている側面もあります。一度ですべてを解決しようと思わず、管轄の行政機関に何度でも足を運び、協力を得ることをお勧めします)

最近は「8050問題」についての報道も増えていますが、現実は報道をはるかに超えて逼迫しています。親がまだ60~70代であっても、変化する精神保健福祉分野の制度についていけず、諦めてしまっています。「長期化・複雑化した問題を、親が主体となって解決する」ことは、もはや幻想と言えるかもしれません。

きょうだいが「親が動くべき」と思っていても、親にはもうその力量がなくなっているのです。そうこうするうちに親のどちらかが亡くなったり、心身の病気になったりします。そうなると、きょうだいは「本人対応+親の介護」というダブルケアに突入し、抜け出そうにも抜け出せない状況に陥ります。

ここから分かることは、きょうだいが関わるのであれば、「自分がキーパーソンになって動く」という覚悟が必要だということです。親が問題解決に動かない(そもそも問題を認識していない)というケースにおいては、「親に何とかしてもらおう」とやきもきすること自体、時間の浪費に過ぎない場合もあるのです。

長い経緯があるケースほど、「一気に解決したい」と考えて弊社のような民間企業に答えを求めがちです。しかし、かかる費用と時間を考えたときには、まずは現実的な解決手段を選択することが、結果的に危機回避につながります。

たとえば、親や本人と、今後どのような距離感で付き合っていくのか。自分がキーパーソンになって動く覚悟があるのか。もし距離を置きたいのであれば最低限しておくべきことは何かなど、考えを整理し、実際に行動をとること(例:少なくとも管轄の行政機関には相談履歴を残しておく/親亡きあとに相続等で揉めないための手続きをしておく等)です。

家族でありながら「当事者意識」が欠けてしまうと、「問題に気づいていながら何もしない」こととなり、結果的には「気づいていない人と同じ轍を踏んで」しまいます。

日本は今のところ、長期化した家族の問題については「家族で解決してください」という流れになっています。そのような時代だからこそ、きょうだいにも、より具体的な心構えと覚悟が求められます

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