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経営支援の思考法3.知識の創造と伝承メカニズム

形式知と暗黙知

 自転車に乗れない大人に、乗り方をどうやって説明しましょうか? 「ペダルをこげばタイヤが回転して前に進む」「ハンドルを回せば、そちらに曲がる」「ブレーキレバーを握ればタイヤの回転が落ちて止まる」・・・基本的なことしか説明できませんね。このように『言葉や文字などで説明できる』知識を形式知といいます。
 この説明を聞けば、ふらふらしながらも前に進めるかもしれませんが、その姿はぎこちないものでしょう。どのくらいの勢いでペダルをこげばどのくらいのスピードが出るのか、どのくらいの強さでブレーキレバーを握ればどのくらい減速するのか、カーブを曲がるときにどのくらいハンドルを回せばいいのか、などなど、うまく乗るための知識が、まだないからです。それを尋ねられたとしても「そんなのは、そのときのスピードや風の具合、それに路面状況やカーブの曲率などによって違うから何回も乗って失敗しながら身体で覚えるしかないんだ」としか答えようがありません。このように『言葉や文字などで説明できない』知識を暗黙知といいます。暗黙知は身体が覚えている知識という意味で身体知といわれることもあります。

 寿司職人がいちいち計ることなくシャリ10gを正確に手に取ることができるのも暗黙知です。ピアニストが鍵盤を見ることなく演奏できるのも暗黙知です。ベテランの工場長が温度計と湿度計を見てから「今日は乾燥時間を30秒短く設定しておけ」と指示を出すのも暗黙知ゆえです。「なぜ60秒ではなく30秒なんですか」と聞いたところで「長年の経験だ」としか答えてもらえないでしょう。ベテランの経理担当者が「何かおかしい」と伝票を調べさせてミスを発見するのも暗黙知ゆえです。「なぜ気づいたんですか」と尋ねても「長年の経験だ」という答えです。べつに、秘密にしているのでも意地悪なのでもありません。本人にも説明できない感覚なのです。この感覚は長年の試行錯誤で蓄積された、まぎれもない知識(身体知)です。
 ちなみに「技術」という言葉は形式知を意味します。そして「技能」という言葉は暗黙知を意味します。

 形式知は言葉や文字(あるいは図など)によって表現できますから、学習によって獲得することが可能です。他方の暗黙知は(コツがあるとしても)試行錯誤しながら最終的に自分の身体で獲得するしかありません。つまりトレーニング(反復訓練、自己鍛錬、修業など)が必要なのです。それゆえ、形式知は比較的容易に模倣することができますが、暗黙知を模倣することは困難なことです。

知識創造メカニズム

 形式知と暗黙知の相互作用を初めて明確にしたのは野中郁次郎氏です(野中郁次郎、竹内弘高[著]、梅本勝博[訳]『知識創造企業』東洋経済新報社1996)。次図は氏が提唱する知識創造のSECIモデルです。

SECIモデル(前掲書より筆者作成)

 自転車初心者がカーブを曲がるときには、「ペダルをこぐ」「ハンドルを回す」など、いくつかの形式知を組み合わせて(連結化 Combination)カーブを曲がるための形式知を獲得します。うまく曲がれれば「こんな感じでいいんだな」と身体が覚える(内面化 Internalization)でしょう。曲がりきれなかったときには「そうか、スピードが出すぎていたのかもしれない」と考え、次のときにはスピードを落として曲がることでしょう。
 ところがあるとき、いつもと同じように曲がったはずなのに、転倒してしまったとしましょう。「いつもはうまく曲がれたのに、なぜ今回は転倒してしまったのか」について考え、走っていて雨のときに滑った記憶から「そういえば路面が濡れていたから滑りやすかったのかもしれない」という結論に至るでしょう。そして次の同じような状況のときには、乾燥時よりもスピードを落として慎重に曲がって「このくらいなら大丈夫だな」という感覚(暗黙知)を獲得します(共同化 Socialization)。
 獲得した暗黙知の一部は、言語化することができます。つまり『暗黙知の一部を形式知として表現する』(表出化 Externalization)ことが可能なのです。上述の場合なら「路面が濡れているときには、乾燥しているときよりもスピードを落とさなければ転倒の危険性がある」という形式知として認識されますし、他人にも説明できます。もちろん「この状況ならどのくらい落とせばいいか」という感覚は身体知ですから、形式知として表現することはできません。また、料理人の「塩ひとつまみ」という暗黙知は、計測することで「塩〇g 」という形式知として表現できそうですね。しかし実際の料理人は、気温や食べる人の特性などに応じて、微妙に量を調節しているのです。目安として「塩〇g 」という形式知を得ることはできますが、この「さじ加減」は形式知として表現できない暗黙知のままです。

 さて自転車初心者が、あるとき乗り方のうまい人を見ていたら、カーブを曲がる際に身体を少し内側に傾けていることに気づいたとしましょう。今度は、カーブを曲がるときには「ペダルをこぐ」「ハンドルを回す」に加えて「身体を傾ける」という形式知(他人の形式知との連結化)を得たわけです。そこで自分も真似して、身体を傾けてみます。スピードや曲率あるいは路面状況によって、うまくいったり失敗したりと試行錯誤しながら「この状況なら、このくらい傾けるとうまくいく」という新たな感覚(新たな暗黙知)を獲得していくことでしょう。このようにして試行錯誤しながら、いろいろな状況でもうまく乗りこなせるようになっていきます。つまり暗黙知が豊かになっていくのです。

 状況が複雑すぎるために感覚という暗黙知になっているならば、AIに試行錯誤のデータをインプットすることにより、AIが暗黙知を獲得するかもしれません。近い将来に、上述のベテラン工場長の指示はAIに取って代わられることでしょう。

知識の伝承メカニズム

 形式知を他人に伝える仕組みは、比較的容易だといえます。文書や書籍あるいは映像などで説明できるからです。あとは学習あるのみ、というわけですね。しかし、どのような方法で暗黙知を他人に伝えればいいのでしょうか。とくに、ベテランの暗黙知をどのように新人に伝えていくのか、というのは人材育成のうえで最重要課題のひとつといっていいでしょう。この分野は研究途上の様子ですから、研究成果というよりも考察を重ねていくことにします。

 手掛かりとなるのは、従来方法を探索することです。すると、徒弟制度と家元制度の存在に気づきます。これらを知識創造メカニズムの観点から見直してみることにしましょう。

 徒弟制度というのは、親方に弟子入りして、一緒に仕事するという共同体験を通じて、親方の暗黙知を弟子が受け継ぐという仕組みです。知識創造の観点からは次図のようになるでしょう。これを徒弟メカニズムと称しておきます。

徒弟メカニズム

 徒弟メカニズムは基本的に「背中を観て覚える」世界です。あるとき親方から豆腐を渡され「刺身を引いてみろ」と指示され、見よう見まねでやってみると「今まで何を観ていたんだ」と怒られる。また怒られるのがイヤなので、親方が刺身を引く手元をじっと観察する。次にやらされたときに自分なりによくできたつもりでも、また親方から「おまえはそもそも足の位置が悪いんだ」と怒られる。まさか刺身を引くのに足の位置が関係するなど思ってもいなかったので、それからは親方が刺身を引く姿全身を観察するようになる・・・など、親方の一挙手一投足をじっくりと観察しながら、少しずつ少しずつ親方のすることを理解していくメカニズムです。時間をかけて何度も同じ状況を繰り返していくうちに、やがて身体が覚え、感覚(つまり暗黙知)となっていきます。
 この徒弟メカニズムには「ごく少数の弟子を、長時間かけて育成する」という特徴があります。

 もう一方の家元制度は、家元の暗黙知のエッセンスをという形式知(多くはパターン)に表出し、入門した弟子はまず型の修得に励みます。型をすべてマスターしたところで、それは家元の暗黙知の一部にすぎません。ここから弟子の苦悩が始まるのです。なんとかして自分らしさを盛り込みたい。
 そして少数の弟子が、修得した型を再現しているだけのレベルを超え自分のものとし(内面化)、自由な世界に羽ばたいていきます。そのプロセスを図示したのが次図です。これを家元メカニズムと称しておきましょう。

家元メカニズム

 家元メカニズムは、茶道、華道、剣道など多くの伝統文化で見受けられますね。しかし他にも、自動車教習所も同じメカニズムなのです。仮免を取るまでは、おもに形式知の獲得です。いよいよ路上教習が始まると、自転車やバイクは走っているし、路上駐車している車もある。乗用車だけではなくトラックもバスも走っている。そのような複雑な状況でもスムーズに走行するためには、適切な判断力を養わなければなりません。しかも止まって考えていたら他者の迷惑になりますから、瞬時に判断し行動するために、身体で覚えていくこと(つまり内面化)が要求されるのです。

 家元メカニズムは、多くの弟子を育成することができます。大部分の弟子が型の修得で終わってしまうとしても、全体のレベルアップにつながるという特徴をもちます。そして弟子のごく一部ですが、独自の暗黙知を確立する可能性があります。

600年ほど前、世阿弥は守破離という言葉で家元メカニズムを表現しました。「守」というのは型や教えを忠実に守り、確実に身につける段階、「破」は他流派などの教えも学び、よいものは取り入れて充実させていく段階、「離」はその結果として独自の世界を確立させる段階です。

 ところで現実的には、両者のメリットを組み合わせたハイブリッド・メカニズムもよく見かけます。徒弟メカニズムは、親方という手本との共同体験ですから、ひとりで内面化に苦悩する家元メカニズムより効果的でしょう。一方の家元メカニズムは、まず型という形式知を修得させますから効率的であり、多人数を対象とすることが可能です。
 次図がハイブリッド・メカニズムです。

ハイブリッド・メカニズム

 このメカニズムでは、形式知の獲得までは家元メカニズムと同じです。家元メカニズムでのボトルネックは内面化でしたが、ひとりで苦悩させるのではなく、内面化を促す仕組みとして、この段階で共同化をおこなうのがハイブリッド・メカニズムです。
 たとえば自動車教習所の例でいえば、路上教習には指導員が同乗して適切なアドバイスを与えます。そのアドバイスは次の2種類です。

  •  フィードバック・アドバイス事後に振り返って、何はよかった、何はよくなかったから代わりに〇〇すべきだった、などと反省するアドバイスを与えることです。いわば「失敗から学ぶ」方式でしょう。

  •  フィードフォワード・アドバイス事前にどう判断するかを問いかけ、その判断に対してアドバイスを与えることです。慣れていない者に対しては、判断材料を指摘することもあります。いわば「考えさせる」方式でしょう。

 また多店舗展開する寿司店などでは、調理学校を自前で用意して、基本部分は型として調理学校で修得させ、それから各店舗に配属してベテラン職人との共同体験を通じて内面化を促す仕組み(OJT)が見受けられます。このときベテラン職人は、路上教習と同様に、フィードバック・アドバイスやフィードフォワード・アドバイスを適切に与えます。

組織知能

 組織の中では、社員はやがて退職したり別部署に異動したりして、いなくなってしまうものです。しかし、もはや社員Aの暗黙知は、社員Bに伝承できることがわかりました。社員B自身も経験を積んでいくと、知識創造メカニズムにしたがって暗黙知を豊かにしていくことでしょう。すると、それを表出化することで次世代の型を生み出すことができます。さらに新入社員Cへと伝承していく・・・このように、人は入れ替わっても暗黙知はその組織に伝承し続けることが可能になります。

組織知能の概念図

 もちろん暗黙知も変化していくことでしょう。しかしそれは伝統芸能のように「時代を超えて変わらないもの」と「時代とともに変わるもの」とが含まれると考えられます。
 人が入れ替わっても、その組織に存続していく暗黙知、それは組織知能といってもいいのではないでしょうか。

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