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不登校の親の対応って?③

悪夢とのたたかい

前ブログで、決行した旅行が逆効果だったことを書きました。距離的に自宅から離れたことやゲームができない不安から、息子から「死」をほのめかす発言が出ました。

その頃から、息子が悪夢を見る日が続きました。悪夢を見たくないからフラフラになるまで寝ようとしません。息子のリクエストに応えて、家族全員寝る場所も変えましたし、夜中寝たくない息子に合わせて誰かが起きていたりと我が家の生活リズムはハチャメチャでした。

息子は起きている間も腹痛や頭痛に悩まされ、「寝てても起きててもつらい」「生きている意味がわからない」「お父さんやお母さんがかなしむのはわかるけど、それでも死にたい」(これはかなり辛かったです)という意味のことを言うこともありました。 

堕ちるのか上がるのか

だんだん私も息子の発言が怖くなってきました。このまま状況がもっと悪くなっていくのか、少しでも良くなっていくのか、、、。堕ちていってることだけがわかり、どこまで堕ちていくのかがわからない。「早く私が変わらなきゃいけない」という思いは焦りになり、腹痛で苦しむ息子を前に、私まで腹痛を起こすようになりました。

「これは悪循環だ、、、。私まで倒れることはしたくない」と藁をもすがる思いで頼ったのは、以下の通りです。

①呼吸法を習い始めた。

➡︎フワフワしていた身体が安定する感覚を体感した。安心材料の1つとして、生活に取り入れられた。いざとなれば頼れる場所を増やせた。

②息子の良いところに注目して声をかけるようにした。

➡︎少しずつだけど効果がある気がした。夫にも一緒に協力してくれたことが心強かった。居てくれているだけで嬉しいことを実感し、伝えられた。

③教育カウンセラーに相談した

➡︎不安な気持ちを受け止めてもらうことはできた。二週間に一回なのですぐに頼れないなというのはあった。

④決して否定されない安心なコミュニティの中で、不安な気持ちを相談した。

➡︎倒れそうなくらいのメンタルだったが、ヘルプが必要な時に、そこに応えてくれる人がいるという安心感を知った。

⑤「自他分離」という考え方を知った。

➡︎これは大きかった。私は子どもとは別の人間だということ。子どもが苦しそうにしていても、私が同じように苦しいわけではない。そう考えていいんだと思って、私に出来ることをやることに集中するようにした。

⑥HSCについての知識を学び始めた

➡︎これまでの育児を振り返り、周りと合わせようとしたことに後悔や反省の念に駆られることもあった。でも、とにかくどうしていったらいいのか道標を掴みたかった。

⑦自分の感情や思いを、ノートに書き出す習慣をつけた。

➡︎最初は半信半疑で、始めましたが、効果は抜群だった。自分でも気づかない感情が出てくることを知り、安全な吐き出し口として以降もずっと活用することになる。

まとめ

今思うと、この頃はドン底でした。息子が元気になってくれたら私の状態も上がるけど、しんどそうにすると私もしんどくなる。こうなると、なりふりかまわず、あらゆるところにヘルプを出しました。私が倒れるわけにはいかないという底意地でなんとか踏ん張っている状態でした。

「悪夢を見ることは、これまで溜め込んできたものを膿出ししているんだ」という専門家の考えを聞き、いつか元気になるはずだとすがってきました。

終わりの見えないトンネル。

子どもたちを産む前の悪阻のことを思い出していました。(二人ともかなりきつかった)

いつかは出口はあるだろうけど、人それぞれの道筋があり、見通しがつかなくて不安。出口を見つけた人たちがうらやましくて、そちら側に行きたくて。

もがく日々は延々と続くように思えて、1日いちにち「よくがんばって生きたな」と自分を褒める練習をしていたのでした。

















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