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フィールドノート⑦/1995.4.6.

いよいよ、部屋まわり(註1)の記述が始まります。

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いつだったか忘れたけど、A3に入ってきた1年生の女の子と「霜星ってきれいなんですか?」という話になった時、わたしが「恵迪にも大洗い(註2)は入るんでしょう?」という質問をしたら、A5のSさんが言うには「共用棟にはね」という答えで、「他の棟は、廊下も俺らの居住空間だから」ということだった。

「俺らの居住空間」というところがミソかしら。そこに当局の人間は入れられないということか、それともヨソ者は入れられない、ということなんだろうか。どこまでを、身内の人間として認識するんだろう。F棟には、普通に、清掃業者が入っているということだった。

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今日の部屋まわりのために、各棟では昨夜、廊下の障害物等(註3)を片付けていたみたいだった。わたしが見ていたのは、A1の共用棟からの入り口付近だったけど、あっという間にきれいになった。必要な時には、さっさと片付けるものなんだ、と思った。案外、合理的とはこういうものかもしれないと思った。

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部屋まわり。

Fくん(註4)より事前の注意。
眼鏡は取る、時計は取る、靴下は脱ぐ、スリッパは履いていかない、失くしそうなものは持たない、2枚着ていたりすると上に着ていたものは脱げたりするので気を付ける、汚れてもゲロついても構わないものを着る、何も食べていないと吐くから、何か食っとく。腕にマジックで部屋と名前を書いとく。一応部屋まわりの担当(註5)はA5。
AとEがゴクい(註6)。C、Dは楽。
今回は女子を考慮して女子だけのグループにしたので、受け入れる方のとまどいによっては穏便に終わるかも。
8:00より開始。今日は女子はB棟。

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まず共用棟に集合して『永遠の幸』(註7)を3番まで斉唱。その後グループごとに集められて、ここでポカスエ隊による点呼、ポカスエ隊に率いられて担当の棟(註8)に入り、後は各自自由にまわる。

わたしはA3の1年目の女の子達と一緒にまわった。B1→B4の順でまわる。B1でO脱落。つぶれて部屋に運ばれる。B2でMいなくなる。B3でI帰る。B4まで行ったのは、わたしとMKの2人。

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B1はたくさん人がいて、一番ゴクかった。B1にて、Kに額にLOVEと書かれ、寮長にヒゲを書かれる。寮長には、手のひらにうんことも書かれた。マジックで。でも、すべて終わってから洗ったら、ほとんど落ちた。

寮長に、何で寮長になったの、と訊いたら、照れていたけど、やっぱり「〇〇委員会」と歴史に残るんだよ、ということを言っていた。あと、寮務委員はどうやって決まるの、やっぱり寮長を慕って来るの(註9)、と訊いたら、それもあるね、と言っていた。でも、そういう話はまた後で、と照れるので、後でまた来るから、と言ってアポを取って、だから手のひらにうんこと書かれたのに(註:おそらく、約束のサインみたいなものだったのでしょうね)、全部まわってから来たら、寮長はつぶれて寝てたので、お話にならなかった。

B1では女の子は学食の湯のみ、男の子はだいたい丼とかそういうので、出された酒は焼酎、割りモノにライムとかカルピスとかが各1本あったけど、あまり入れてもらえない。最後に、わたしとIは、湯のみ1杯のイチゴシェイクをもらった。

ランダムに自己紹介(註10)があって、間違えるたびにやり直されて、年目と学年が揃っていてもやり直し。内輪の人間に関するネタで、たいそうウケる。女の子は寮長とかにマジックで顔に落書きされて、逆に女の子は他の男の子の顔に落書き。まだそんなに飲んでもいないのに。飲み方も、けっこう無理強いされないのに自分でカパカパ飲んでた。暗くて、照明は廊下の端の白熱灯のみ。

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B2〔 〕(註:「内」か「外」かの区別をしたかったのだと思うが、( )書きで空欄になっている。おそらくノートに記述した時に、覚えていなかったのだろう。以下の〔 〕はすべて同じ事情)。2年目、3年目あたりの人が3人。まず自己紹介をひとりひとりがしたんだけど、注いでくれた人は「俺はゴクいよ」と言いながら、湯のみの底の方にぽっちりと注ぐくらい。聞いてみると、男の子にはそうでもないとのこと。出された酒は焼酎。廊下居部屋(註11)、蛍光灯で明るい。

B2〔 〕。戸の前には「月に代わって、おしおきよ」と叫んでから入るよう指示があって、そう叫ぶと、「もっと大きな声で」とか「もっと色っぽく」とか、だいたい1回くらいやり直しをさせられた。補談(註12)で自己紹介をひととおり。出された酒はワイン。暗くて、照明は懐中電灯?白熱灯?

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B3〔 〕。戸の前には、「気に入った名前を呼ぶように」と、部屋員の名前が下の方に書いてあって、呼ぶとその人が出てきて入れてくれる。廊下居部屋で蛍光灯。自己紹介をひととおり。出された酒は、焼酎とワインと紅茶の3種類。

ここでYさん(註13)と話をした。Yさんは、わたしとMさんの過去の確執(註14)を気にし続けていたという。Mさんは今、水産の方の寮の寮長をしているそうだ。

Yさんが女子入寮を画策した時は、それによって恵迪の可能性が拡がることを期待していた訳で、その意味では、恵迪は女子入寮によってもっと大きく変わると思っていたそうだ(が、実際はそうではなく、逆に女子の方が恵迪になじんだ)。あと、「俺はA(註15)を尊敬している」と言っていて、AさんとかS、K、Yなど、性別を関係なしのパーソナリティとして、インパクトの強いのが(女子を入れてみたら)いた、と言っていた。

B3〔 〕。戸の前に「頭にGのつく言葉を言え」と貼り紙がしてあって、それを言うと入れてくれる。酒の記憶なし。ここで、そろそろ12:00だから、その後は自由なので、帰ってもいいということを言われる。

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B4。言ったら部屋員の人々が既に居部屋に引っ込んでいて出てこなかったので、帰った。

その後、B1に再び戻って少しいたけれど、途中でポカスエ隊のFくんに、適当に切り上げて帰って欲しいということを言われ、Mさんが迎えに来るに至ったので、帰った。

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(註1)「部屋まわり」は、一晩かけて新入寮生が寮の各部屋をまわり、在寮生に自分をお披露目するための新歓行事。その年その年で入銓委員会が方針を立て、計画するが、寮方式のあいさつや芸の披露、盃を干すなど、継承された決まったスタイルがある。この年は、初めての女子寮生を交えての部屋まわり。この日をスタートに、5晩続く。フィールドノートの記述も、5晩分続く。

(註2)「大洗い」は清掃業者による1年1回(だったか2回だったか)の床磨きの大掃除。床を機械で磨き、ワックスがけをする。霜星では廊下と補色談話室(共同キッチン兼食堂)にはすべて入るが、恵迪では「廊下も俺らの居住空間」ということで廊下にも畳や家具を入れて居室として使うので、大掃除が入らない。ちなみに「当局=大学 ≒ 事務」。

(註3)註2に述べた事情なので、廊下はモノだらけ。あまり障害物があり過ぎると、部屋まわりの時は危険。

(註4)Fくんはうちの部屋のポカスエ隊なので、部屋まわりにあたっての注意を述べた訳だ。最後に登場するFくんも同一人物。ポカスエ隊は「ポカリスエット隊」の略。部屋まわりではそれなりに大量飲酒の可能性があるので、酔っ払ってしまった人の介抱隊が組織される。部屋まわり時の「秩序保ち役」みたいな感じ。

(註5)ここで言う「担当」はおそらく、部屋まわりの総合プロデューサーというか、今年度の部屋まわりの企画者となった部屋、のこと。

(註6)「ゴクい」=「極い」=「極道」の形容詞形、で、「凄く容赦ない」みたいな意味合いのスラングだけど、他の大学とか今の学生さんたちは使わない?つまりここでは、どこの棟の部屋の「もてなし方(飲ませ方)が容赦ないか」という事前注意がなされている訳だ。

(註7)『永遠の幸』(とこしえのさち)は北大の校歌。有島武郎作詞。寮では、明治45年度寮歌『都ぞ弥生』と併せて定番の歌。わたしは『永遠の幸』の方が好き。メロディと相まって、ちょう感動する歌詞。https://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~mkuriki/phone/ryoka/textbook.pdf
「豊平の川 尽きせぬながれ / 友たれ 永く 友たれ」のくだりで泣くから!ちなみに、恵迪寮では毎年新しい寮歌が寮生によって作られていて、現在も継続中。

(註8)ここで言っている「担当」は、「本日のノルマ」。そのちょっと前で「今日は女子はB棟」と言っているもの。

(註9)寮長は選挙で決まるが、寮長とともに寮を運営するその期の執行委員会(≒寮務委員)は、他の部屋と同じく希望者が集合する。「〇〇委員会」の〇〇には、寮長の名前が刻まれる訳である。その仕組みと動態は当初からのわたしの関心事でもあったので、ここで質問してみた。でもまあ質問された寮長にとっては、「俺に人望があってさ!」みたいな話をする羽目になるので、照れる訳なんだろうな。

(註10)ここで言っているのは、寮式の「自己紹介」。以下がフォーマット。

「〇〇~県立~〇〇高等学校しゅっしーーん!」(合いの手:「了~!」)「ほぉーーっかいどおだいがーーく教養部〇〇系1年目ぇ1ねーーーん(学部生だと「〇学部〇学科〇〇専攻〇年目〇ねぇーーん」になる)!」(合いの手:「了~!」)「はーなーのー恵迪寮は〇棟〇階(内側/外側)***部屋がぁ住ーーー人ーーー!」(合いの手:「了~!」)「その名もぉその名も、〇〇△△!」

霜星寮だと、「はーなーのー恵迪寮は」の部分が「はーなーのー霜星寮は」になる。オーケーだと合いの手は「了~!」だが、ミスったりすると「もとぉーーーい!」でやり直しになる。「年目と学年が揃っていてもやり直し」というのは、まあ、揃っているということは留年してない、ということだから、そういう系のイジワル。

(註11)「廊下居部屋」は、部屋員の団欒の場である「居部屋」が廊下に作られているということ。この記事のカバー画像が「廊下居部屋」を撮った写真を横にしたやつ。その「細長さ」というか「奥行き」というか「小狭さ」というか、お分かりいただけるだろうか。ちなみにこの写真中にはわたしを含め女子が3名いるが、どれが女子だか、誰にも分からないだろうと思う。

(註12)「補談」は「補食談話室」のことで、ブロックごとに設置されている共同キッチン。ここでは、補談を居部屋に使っている「補談居部屋」のこと。居部屋の種類としては「廊下居部屋」「補談居部屋」、あと一般の居室のひとつ(または2部屋を繋げて1部屋にしたもの)を居部屋にしたもの、の3類型がある。

(註13)Yさんは、恵迪寮と霜星寮が女子入寮について話し合いをしていた当時の寮長。わたしもその話し合いには参加していたので、お互い知り合い。

(註14)過去の確執(笑)!相手がMさんだったということはこのフィールドノートを読み返すまでほぼ忘れていたけど、註13で触れた話し合いの場で、わたしが恵迪側の態度や物言いにむかっ腹を立てて、入寮を取りやめた経緯がある。わたしの入寮が女子入寮開始から半年遅れたのには、そういった理由がある。でもまあ、ムカついたから「ちきしょう、オレは入寮しねぇよ!」とちゃぶ台を返したのに、その半年後に「やっぱり入る」で入寮してしまったので、申し訳なかったよな、と思った。ただそこら辺の経緯は、恵迪寮では知る人は限られてたみたい。「気にし続けていた」というのがYさんらしいな、と改めて思う。

(註15)Aさんは、註13で触れた話し合い当時の、霜星寮の寮長。霜星寮祭での「ミスター霜星」に何度も選ばれたかっこいい人。大学院時代に専門外の図書館司書の資格を取り、しかも求人少ないので自力でバイクで日本全国巡って採用を得た、という感服しかないエピソードが。確かYさんとAさんは同年目だったと思う。

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あーあ、今回のフィールドノートも、読み返してめっちゃ笑ってしまいました。ヒゲとかうんことかマジックで書かれて、でもそれが特に特記事項でもなくて並列的に書いてあるとかさ、戻ってみたら寮長がつぶれてて「お話にならなかった」とかさ。「Mさんとの確執」とかさ!

これらはわたしが過去を思い出して笑っちゃったところですが、恵迪寮生ではなかった読者の皆さまも、「部屋まわり、なんじゃこりゃ」みたいな気持ちになったのでは。Fくんの事前注意、かなりやばいよね!

部屋まわりに関する記述は、この後しばらく続きます。なんせ5晩続くんで。でも部屋まわりは寮生活の序の口だったし、あと派手で目に付きやすい「あー、寮ってそんな感じだよね!」の象徴ではあるんですけど、フィールドワークを続けるにつれて、そういう目につきやすいところが本質ではないのだと、気づいてくる訳なのですよ。なので卒論では、派手なイベントごとに関する記述はほとんど出てきません。

また、以前にも書きましたが、この頃の大学や寮では、かなり飲酒をする文化がありました。時代は下りいくつかの社会問題も起こり、現在は、大学における飲酒についてかなり慎重な厳しい姿勢が一般的だろうと思います。

現代の感覚や価値観に照らし合わせれば、問題のある記述が随所に出てくると思いますが、そのことについては特に注釈を入れず、当時の記載のまま書こうと思いますので、ご了解ください。

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