元夫が失踪した。

 元夫が失踪した。

 昨日、よく知ったリース会社の名前で電話がかかって来た時、頭の隅から冷たくなった。時限爆弾が爆発したなと思った。わたしは離婚した時、元夫に借金の担保をひとつ提供していたうえに彼の連帯保証人をふたつ担っていて、そのうちのふたつは解決できたがひとつはどうしても解決できなかった。彼が調停事項を無視し続けたからだ。それが積載車のリース契約の保証人だった。

 わたしは一晩頭を働かせて方針を立てやるべきこと知るべきこと手を打つべきことを整理し、同時に原稿の締切も抱えていたから仕事を朝までかかって片付け、朝になってお知り合いの同業者に電話をして状況を把握し、弁護士を依頼する手筈をつけ、きょうだいに相談し助けてもらい今できることには手を打って、夕方やっと今のところはここで安心!というところに辿り着いて、シャワーを浴びて眠ることにした。頭も目も歯も体のあちこちも痛かった。歯磨きをしたら歯ぐきから血が出た。体重が一晩で1kg減った。

 布団の中で安堵した思いで、わたしは終わらない、と思った。そうしたら涙が出てきた。

 わたしは終わらない。大して失うものも多くないし、これから得ることもできるし、助けてくれる人や事情を話せる人もたくさんいる。わたしは割と、自分の恥ずかしいような事情を開示することが恥ずかしくないし躊躇いがない。お布団の中はあったかい。

 でも、涙が出たのは、わたしが終わらないことにほっとしたからではなかった。多分、彼は終わってしまった、と実感したからだった。

 何となく、結婚して1年後にお店の慰安旅行も兼ねて行った冬の札幌を思い出した。あの時も彼は多分、資金繰りに困難を抱えていたと思う。困難な時彼は現実逃避しがちだ。わたしはひとりで母校を散策したが彼はホテルに残って、そしてなぜか狸小路のドン・キホーテで旅行用のキャリーケースを買っていた。安かった、と言ったがなぜそんなものを買うのかとても不思議だった。思い返すと、その旅行の後からDVが始まった。

 今朝、最初に電話をかけたのは、親しくさせていただいていたご近所の整備工場の二番目の息子さんの奥さんで、彼女はそこの事務を取り仕切っている。仕事でもお世話になったし、自宅も一緒の町内だ。彼女には離婚する時にも隙を見てあいさつに行って事情を話したりした。次に電話をかけたのは、整備振興会の事務局もやっている組合の事務の女性。彼女にも仕事でお世話になり、振興会の忘年会で温泉にご一緒したこともある。彼女にも離婚後いろいろ相談させていただいた。一度こちらに年賀状をいただいたこともある。

 わたしは離婚後も彼の店の前を車で通ることがしばしばあったので、表からちらっと眺める分には、とりあえずはきちんと営業しているのだと思われた。けれどもその内情は、かなり前から危うい兆候があったみたいだ。

 わたしは彼の3番目の奥さんをずっと長いこと、一緒に働いていたパートスタッフだと勘違いしていたけど、違った。どうやら離婚直前に彼が通った3級整備士の講習で、一緒になった若い女子だったみたいだ。彼はあの頃頻繁にその女子とやり取りをしていて、それもわたしたちの亀裂の一因となったのだけれど、なんだ、あの子だったんだ。笑っちゃった。彼は自分のやったことを他人がやったこととして語る癖があったので、離婚してから、講習が一緒の〇〇くん、彼女とやったんだぜ、みたいな話、多分自分のことだったんだろうな、と思ったけど、やっぱりそうだったみたい。その若い女子を呼び寄せて、自分の店で整備士として働かせていたそうだ。彼女もやはりいなくなったが、彼の失踪と一緒だったのかその前に破綻していたのか、情報が入り乱れてうまく掴めない。

 彼の店にはもう長いこと、整備主任者がきちんといなかったみたい。彼の店は認証工場なのだが、わたしがいなくなる直前に2級整備士を辞めさせて、でも当てにしていた後任を確保することができなくて、振興会からは整備主任者研修の呼び出しがくるし彼は3級しか持ってないし、いつ違法営業をやり出すのかと冷や冷やしていたけれど、結局あれからずっと3年間、正式なスタッフとしての整備主任者はいなかったみたい。

 わたしがいなくなった直後、彼の店には繋ぎを着た若い女の子たちがたくさん勤務していたそうだ。ご近所の整備工場の二番目の奥さんは、彼女たちは一体整備ができるのだろうかと訝しく思っていたけれども、いつの間にかいなくなったそうだ。その整備工場は指定工場なので時々車検を依頼していたのだけれど、一度彼が不払いを起こしそれ以来取り引きをお断りしたのだという。振興会の事務局の女性が語るには、彼の店でメインで車検を依頼していた協業組合からもいつしか脱退し、それからそのご近所の工場や違うご近所の工場に依頼していたけれどもそこからも断られるようになって、振興会事務局が置かれている整備組合に加入の申し込みが何度もあったのだけれども、組合長が絶対に受け入れなかったのだという。

 彼と彼の3番目の奥さんは、2級整備士講習を一緒に受けていたそうだ。けれど本番の試験には来なかったという。

 彼は結局9月の終わり頃からいなくなり、家も店もそのまま放置、銀行融資の返済もリースの支払いも飛ばし、店舗家賃も飛ばし、買掛金の支払いも飛ばし、さらにお客さんから受注した納車も飛ばし、取引先ばかりかお客さんからも行方を探されているのだそうだ。あと警察も。彼の地元は結構な騒ぎになっているらしい。

 振興会の会費なども滞らせて、事務局に連絡を寄こすと彼は、今病院にいて、と言い訳したそうだ。笑っちゃった。あの人、ピンチになるといつも、入院している設定になるんだもの。わたしとの連帯債務の問題を抱えていた時も、入院している言い訳を使ったから店に直接電話を入れたら本人が出た。彼はあれで、わたしと個人間の協議で解決する道を失い、調停に呼び出されざるを得なくなったのだ。彼はいつもそう、自分に差し出されたチャンスに甘えて図に乗り放置して先延ばしした挙句、自分にとって最もまずい選択をする。

 弟は、先のことを考えたら債務整理をした方がよかったのにね、と言った。弟は企業の信用調査の仕事をしている。わたしもまったくそう思う。こんな最悪の逃げ方をしたら、彼はもう二度と自分の事業を再生することもできないし、生まれ育った町に戻ることもできないし、まともな仕事に就くこともできないだろう。これからどこでどうやって生きるつもりなんだろう。あるいはそんなことも考えられないのかもしれないけど、あの冬の札幌で、使う訳でもないキャリーケースを突然買ったみたいに。彼はもう終わりだ。

 彼を思い出す。プライドばかり高く、甘ったれで、すぐに調子に乗り、でも粘り腰がなくて、肝が据わらない。嫌なことは見ないふりして先延ばしして、まずい道へまずい道へ進む。彼は自分をかっこよいままにしていたかったからおそらく誰にも弱音を吐いたり相談したりしなかったのだろうが、たとえできたとしても、彼を支え助けることのできる人など、もう周りにはいなかったのだろう。

 わたしはあの店での日々はそんなに嫌いじゃなかった。嫌なことも一杯あったけど、涙で何度もコンタクトレンズを流したし、もう終わりの頃には自分の独り言から「死ねばいいのに!」が何度も転がり出てどうしようもなかったけど、それでも離婚後に「マッサン」の再放送を偶然見て号泣するくらいには、わたしは割と、夫のサブやサポート、という立場が嫌いじゃなかったのだ。調子に乗ってどんどんご機嫌になる男も、日曜日にふたりだけの工場で車をいじる様子を眺めることも、名義変更手続きをシステマティックに進めることも、好きだったのだ。

 彼はわたしと結婚してすぐ「嫁をツーリングに連れてくために」と大きいツアラーバイクを買い、1年経つ頃にはエスティマがアルファードになり、サクシードがBMWになり、それらは勿論中古で格安に手に入れて自分で整備して乗るのだが、最終的に積載車が中古のダイナから新車のエルフになった。金額も桁が違う。エルフは嬉しかったみたいで、手に入れたばかりの頃は、店に停めて置けなくて家に乗って帰って来たこともある。でかいトラック。家の前の駐車場に。よく分かんないけど、あの頃の彼は一番幸せで楽しかったんじゃないかな、という気がする。

 わたしは、男が調子に乗った挙句その幸せを自分から失ってしまうの、ほんとに意味が分かんない。だって、誰かに無理やり奪われるのではなくて、いい気になって自分で辺りに放ってしまうんだもの。でもわたしは本当に、そんな風に調子に乗っちゃう男を眺めているのが、本当に、大好きだったのだ。

 多分こんなの。全然「お金ライター」じゃないと思うけど。

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菊池とおこ

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