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わたしは、ゆっくりと生きたい。

 様々なことが落ち着いたら、今はただの漠然としたパースペクティヴだけれど、わたしは海外で暮らしたい。ほんの少し前まで、2年間かけてお金を貯めて大学院に行きたいと思っていた。それも将来のパースペクティヴの中にはまだあるけど、それも含めて、海外を漠然と考えたい。

 わたしたちはもう、日本で暮らさない方がいいのではないか。

 元夫はお金を巡回させることができなくなって破綻したが、わたしだって過去あの中にいたから少しは知っているが、事業とは(おそらく特に小規模な事業は)、ただお金を回しているだけなのだ。事業で入ってきたお金は、事業のために出ていくお金。大きな額のお金が動いているように見えても、それはいつも流れて入って出ていくもので、その量が大きければ大きいほど、どこかに一旦綻びが出ると、あれよあれよという間に崩壊するのだ。

 わたしも今自営でライターをやっているが、事情は同じようなものだ。わたしたちはおそらく皆、出ていくお金のためにお金を稼ぐ。出ていくお金の額を越える額のお金を稼げなかったら、アウト。出ていくお金は自分のために使うお金じゃない。自分の生活のために使うお金じゃない。自分の楽しみに使うためのお金じゃない。稼ぐために必要なお金なのだ。払うために稼ぎ、稼ぐために払う。わたしたちがやっているのはそういうこと。今の日本の庶民は誰も、遊蕩なんかで破滅しない。贅沢したり、無駄遣いしたり、遊んだりして破綻なんかしない。次の収入のための支出のための収入が尽きるから、破綻するのだ。

 わたしは今、有能なビジネスマンやエグゼクティブやハイスペック人材や勝ち組の話なんかしていない。そこいらじゅうにいる、普通の、凡庸な、一般の庶民の話をしている。そしてわたしたちの殆どは、そこに該当するのだ。該当するんだ。「凡庸な一般庶民層を抜け出すための100の方法」なんてどうでもいい。凡庸で一般庶民で普通に平凡に仕事をしているだけで生きていけなきゃ、だめなんだ。ハイスペックは一部のエクストラで、いいんだ。

 生きてるだけでお金が出ていく。わたしたちは何にお金を払っている?税金、社会保険料、年金、水道ガス電気代、電話料金、食べ物、交通費、車両維持費。贅沢品なんか買わない。下手したら衣類も買わない。ブランド衣類って、誰が着るの?そんなの真っ先にカットする、だって生存に関係ないもの。どこを削るというの、どこも削れない。だってこれらの支出はすべて、生存、というよりも、次の稼得に関わるお金だ。わたしたちは基本インフラに関わるお金や通信費、移動にかかるお金、社会に出ていく体裁を整えるお金を削ったら、その月は生きていける、その意味では生存にダイレクトにかかるお金ではないけど、その次を稼ぐことができなくなる、次の仕事を失ってしまう、次で詰むんだよ。わたしたちは、お金に困った当月じゃなくて、次月に終わる。だから元夫は、おそらくお金の入ってこなかった8月じゃなくて、次の9月末の支払いで、終わった。

 わたしたち、生きるために稼いでるんじゃなくて、払うために稼いでるんだ。「働かないやつが食えないのは当たり前」なんて嘘っぱち、わたしたち、働かなかったら食えないんじゃなくて、働かなかったら支払いができない。そして、食えなくったって支払いは発生するんだ、次の支払いに備えるために稼ぐために。

 元夫が破綻したのは、確かに彼に悪いところや駄目なところが一杯あって、まずい方まずい方に行って、周りに酷いことして、周りからも見放された結果ではあるけど、でもわたしたちは、少しでも手綱が狂うと、誰でもああなりかねない社会に生きてる。破綻の規模の大きさやそれを招いた原因の話じゃなくて、わたしたちは誰でも、勤めている人でも事業をしている人でも、「次の月の収入を失う可能性があるが、それでも支出は続く」という状況にあるのだ。それを避けるために回し続け、回転が狂ったら飛ぶ。

 わたしたちの消費税は10%になる。わたしたちは年金を払い続けている。わたしは厚生年金じゃなかった期間が割とたくさんあるけど、その殆どは全額免除申請している、今もだ、だから絶対将来の年金は満額もらえない。勿論納付をケチった訳じゃなくて、納められるほどの収入がなかったからだ。そしてわたしたち、厚生年金だろうと国民年金だろうと、70歳まで受給しない方が額が増えるとか高齢者も一生働いた方がいいとか親切そうに促される。仕事を辞めて次の仕事の収入が低くても、どんなに少しだけでも稼いだら、失業給付はもらえない。生活保護も同じ、スローに働くことを助けるのではなくまったく働いてはいけないように設計されている。わたしたちは、高出力高回転で回し続けなければ生きていけないような設計の中にいる。

 わたしはおそらく、このまま日本にいても幸せにはなれない。わたしがフリーランスになったことのひとつの理由は、65歳くらいまでに老後資産を形成できるような雇用の望みも、かといって生涯継続できるような雇用の望みもなかったから、むしろ雇用を離れた方がずっと稼げる目があると思ったからというのもある。でもこの先入ってくるものが増える可能性より出ていくものが増える可能性の方が大きいし、そしてわたしたち、フリーだろうと雇用だろうと、生涯やめられない社会を迎えるのだ。

 わたしは海外に行ったことない。暮らしたこともない。海外なら日本よりいい筈だなんて夢を見ている訳でもない。異文化や異言語の中で暮らす大変さも厳しいだろうし、「〇〇は実は階層社会で格差社会で差別社会だ」みたいなのもよく聞く。

 でもわたし、日本を脱出してトップ80点90点くらいを獲得したいって言ってんじゃないんだ。日本を出たら80点の暮らしになるだろう、って言ってんじゃないんだ。わたしは世界のどこだとしても、40~60点くらいで暮らしたいの。稼ぐお金も、出ていくお金も、時間の余裕も、暮らしの余裕も、40~60点くらいで、ゆっくりと、ほどほどに、その日を楽しみつつ、満足して、暮らしたいの。地位も名誉も、仕事での素晴らしい業績も、目覚ましい売り上げも、世界中を飛び回るような華々しい活躍も、賞賛も、豪華な食事やゴージャスな衣類や大邸宅やレジャーやホビーも、そういうアドレナリンと高揚の「成功」は、要らないの。「成功」しなくていい、なぜならわたしは自分という人間自体が既に成功してて素晴らしいから、見た目にはっきり「成功」なんかしてなくていいから、ゆっくりと日々を満ち足りて生きたいんだよ。

 なんで「成功しさえすれば安泰に暮らせる」みたいな社会になってんの?なんで「苦しいのは成功してないからだ」みたいな社会になってんの?なんで「これをやれば君も成功できる」みたいなメッセージで溢れてんの?別に成功したいなんて言ってないのに、何%かの「成功」の中に入ってなければ稼ぎを次の稼ぎに回して永遠に回し続けなければいけないような、そしてそれは成功してないのが悪いせいみたいな、仕方のない自業自得のことであるような、そんな話になってんの?

 海外が楽園だとは思わない。海外に暮らす人たちがみんな成功者だとも思わない。海外が裕福だとも思ってない。ただ日本ははっきりと、「成功してないから仕方ないんですよネ」という社会になってる。その理屈で、わたしたちは、自分に使うためじゃなくてどこかに支払うために、お金を稼ぎ続けている。稼いだお金を自分のために使える条件、それが「成功」ということだ。成功するとエクストラマネーが生まれるのじゃなくて、初めて自分にお金を振り向けても構わないのだ。エクストラマネーが欲しいって言ってんじゃないのに。別に図に乗った分不相応な贅沢を要求してんじゃないのに。収入に応じた暮らしがしたいのに。

 わたしはどこか海外の、できれば東南アジアあたりの英語の通じるスローな町で、ビーサンとタンクトップかTシャツくらいの簡単な格好で、少ない家具と本とPCだけ持ち、文章を書きながら何か体を動かす仕事をしたりちょっとした物を売ったりして、今あんまりたくさん食べもしないし、嗜好品も娯楽もそんなに要らないし、時々歌ったり、音楽聴いたり、のんびり生きたい。できたら大学か大学院にも行きたい。元夫はどっか同じように東南アジアの片田舎で、ボロいバンかトラックを1台持って、人や物を運んでゆっくり生きたらいいと思う。だってあの人、車屋やるくらいには車、運転できるんだもの。わたしはもうあの人とは、暮らさないけど。

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 過去に書いたこれも添えておく。いつだって、わたしは、「あ!?お前ら何言ってんの?」って感じてるんだ。わたしはいつでも「立ち位置庶民」にいたいんだ。「庶民を抜けたら庶民を踏み放題ですヨ☆!」って場所には、加わりたくないんだ。「庶民を抜ける方法を教えるからお金払ってね☆」みたいな情報、クソくらえなんだ。


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