男性は、もっと自力で自分に構ってあげたらいいのに。【男と結婚_02】

 男性と結婚について考えるシリーズの2回目、ここでは、1回目で述べた「男性は結婚しないと『ケア資源』と『精神的充足』を欠きがちではないのか」という問題提起に絡んで、その根っこに潜む男性のメンタリティについて考えを巡らせたい。しかしここでは、わたしの極めて個人的な経験と印象からぼんやりと心配するだけなので、お読みになった方は男性も女性も、ご自身の身近な例を振り返って思いを巡らせていただけると、嬉しい。

 彼氏が最近歯医者に通い始めた。治療後具合が悪くて痛んでいたけど放置しておいた歯を、またやり直すのだという。夏には、何年も受診していなかった市の健康診断を受けた。そういう自分の健康やケアに気をつけることは是非なさっていただきたいと思ったが、そこでなんとなく気付いたことがある。「男の人って、傍にいてくれる女の人ができて落ち着くと、自分に関心を向け出すよな」ということだ。

 まあ彼氏の健康診断の場合は、自分で日本語で問診票を書けないから、ということもあると思うけれど、この間別の時に、「トーコちゃんて、時々自分の世界にいるよね。羨ましい。僕はどうしても自分の外のこと、お店とか子どもとかお金をどうしようとか、そういうことばかりをつい考えてしまう」と言っていたから、勿論わたしも(いや、わたしも仕事のこととか親のこととか、なんならお前のことも考えてるけどな!)とは思ったけれども、そういう、まず心が向かいがちなのが自分の外部環境、っていうのが基本フォーマットにあるんだろうな、と思った。

 元夫にも、そういう傾向を感じたことがある。嫁が離脱すると(まあ、寝込んだりとか、家出したりとか、いろいろありました)、仕事ばかりやり出す。休んだり気晴らししたりできなくなって、むすむすとひたすら稼ぎ出す。まあ、アレの場合は「俺はちゃんとやってんだもん!」ていうアピールだったのかもしれないけど、わたしが再合流すると緩むなあ、とは感じていた。

 どうも男の人には、「傍に気を許せる女の人がいて初めて、安心して自分のことに関心を向けられるようになる」傾向があるんじゃないだろうか。ひとりだと、「これをやりなさい」「これを果たしなさい」と預けられたタスクをこなすことに傾注してしまう感じ。ひとりで公園に放された男の子が、誰にも命じられてないのに三輪車のボルトの締め具合とか油の差し具合とかひたすらチェックしてたのが、お母さんが現れてベンチに座って見守り出した途端、三輪車をほっぽり出して砂場でどんどん穴掘り出した、みたいなイメージ。多分三輪車は、お父さんあたりに「男は自分のマシンは自分で整備するものだぞ!」とか教えを受けたんじゃないかな。「彼氏が付き合う前はあんなにやさしかったのに、付き合いだした途端わたしのことを放置するようになった」話、もしかすると彼氏は「彼女ができて安心して自分のことをやり始めた」、そういう側面もあるんじゃないだろうか。女性が、彼氏なり夫なりができると、自分より相手に時間や気を遣いだすのととても対照的だ。

 少し前、男性のワークライフバランスに関するセミナーに参加した時、パパたちのパネルディスカッションで話されたことの究極的なキモは、「仕事一辺倒の人生を変えるために、男はまず、自分の好きなことを、周りの目とか気にしないで、出向いて、やって、掘り下げていこうよ」ということだった。「好きなこと、やりたいことって、何ですか?」と水を向けると、答えられない男性も多いのだそうだ。わたしも、結婚したいのに結婚できない男性と話をすると、「自分は何をしている時が楽しいか、どんな人生を送りたいか、奥さんになる人とどんな風に過ごしていきたいか」を探ろうとして質問を重ねても、語ることのできない人がたくさんいるように感じる。やらなければならないこと、奥さんに担って欲しいこと、そんなことはたくさん語れるのに。

 彼らはなんだろう、何か、「楽しむな」「快くなるな」と禁止でもされているのだろうか。女性もまた縛られているのであるが、その縛られ方とはまたちょっと違うみたいだ。女性の場合は「他人に尽くせ」と縛られる。他者を優先して気を遣い、やさしくしろと縛られる。男性の場合は、「自分に構うな」と縛られているみたいだ。他者が構ってくれるまで、自分のことは後回しにして、放っておけ、と。

 これはこれで本当につらい。男も可哀想だが女も疲れる。関わった男の楽しみを代わりに見つけてあげたり、充たしてあげたり、そして一転自分のことに熱中しだした男のことを(仕方ないわね)と許容してあげなければならなくなるのだとしたら、(ちょっともう、そういうの自分で解決してくれないか)という気になる。わたしたちお母さんじゃないんだからさ!とはいえ、そんな男が切なくて愛しくなるメンタリティは、わたしの中にも確かにあるけどな!

 男性はまず、自力で自分を構って、充たしてあげたらいい。それは、別に他人を構わない自己中心的な姿勢ではない。むしろ、自分で自分を充足させることのできない人が、女性を消費してしまうんだと思う。女性を消費するタイプの人と結婚すると女性は不幸だし、男性の立場でも、自力で自分を充たせない男の人は、それこそ生涯独身だと、とても不幸になるリスクが高い。「傍にいてくれる気の許せる女性」は一朝一夕ではできないのだし、きちんと向き合ってパートナー関係を築かないと、いずれひとりになる。「男は幾つになっても若い女と恋愛できる」訳でもない。自分の楽しみや快さとは何なのかよく考えて、それを自分で充足すること。それができれば女性とパートナーシップを築くことも容易になるし、仮に婚姻関係を採らなくても、それはそれで幸せじゃないか。

 もう一度強調したいのだが、自分ひとりでも幸せになれる人は、強い。そして、自分ひとりでも幸せになれるなら、二人だとさらに幸せになれると思うのだ。わたしの考えでは。

 これまで2回にわたって、男性と結婚について語ってみた。完全に男性と女性の関係にフォーカスしたが、わたしは、男性と男性のカップル、女性と女性のカップルなどについては、知見と経験が少ないのだ。そういったカップルにおいての類似、相違など、教えていただけたら興味深いと思う。よろしくお願いいたします。

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