嘘と疑心暗鬼に惑わされていた頃の話。

  元夫は凄い嘘つきだった。つるっつるつるっつる嘘をついた。あまりでかい嘘はつかない。小さな嘘を、呼吸するように自然につくのだ。

 結婚して最初の頃はみんな真に受けていたが、結婚生活も終わりに近づくと、頻繁に嘘バレするようになってきた。元夫の嘘の癖が分かるようになってきたこともあるが、次第に自分で嘘をついて自分でバラすような真似をすることも多くなった。あれはなんでだったんだろう、嘘のつき方が杜撰すぎるのか、それとも心の底ではバラしたかったのか。

 離婚した後はさらに酷かった。もうわたしに対して取り繕う必要もないので、見え透いた嘘をバンバンつく。嘘の上に嘘を重ねて、その場をしのぎ、時間稼ぎをする。本当に疲れた。

 そんな結婚と離婚の後だったので、彼氏と付き合い始めた最初の頃は、男の人に対してナーバスになっていて、信じる気持ちと騙されまいぞという気持ちの間で、疑心暗鬼が発動したりしていた。

 彼氏の名前は初めて会った時に教えてもらっていたのだが、ある日彼氏の家で見つけた処方薬の袋に書いてある名前が、それと違っていた。(え、ちょ、偽名?偽名使って騙されてる!?)くらいに発想が振り切れ、その後何気なさを装って訊いた「あなたの本当の名前って、〇〇なの?」。

 彼氏は何のてらいもなく「うん」と答え、「△△は、ニックネーム」と言った。例えば、ロバートがボブになるとか、エドワードがネッドになるとか、そういうあれだ。あそっか、うんうんなるほど、そういうことね。

 そこでひとまず安心したのだが、その後間もなく、大きい疑心暗鬼に突っ込むこととなった。あの日は、わたしたちのお付き合い上で最大のクライシスだった。まあ、わたしの中では、ということだけど。

 まず、彼氏のお店で彼氏の元奥さんにばったり会ってしまった。そのドキドキ冷めやらぬうちに、彼氏の元奥さんが二人いる、ということを知った。彼氏は別に隠していた訳じゃなくて、わたしが勝手に一人だと思い込んでいただけだったのだが、それはそれとして(まじかー、バツニかー!)という葛藤は大きかった。その葛藤冷めやらぬまま、その夜のセックスで、わたしのそれまでの常識を超える試みをされた。それは拒否したけど、もうこの時点ですでに、(この人やばい、このまま付き合いを続けていいものか、どうか)と疑念が湧き、朝までほぼ寝られなかった。さらに追い打ちで、翌朝彼氏のお店まで移動する車中、彼氏が言った「トーコちゃん、毎日ラインするの、大変?」「え、大変じゃないけど」「僕は、大変」。

 え、どういうこと!?これってあれか、彼女から毎日どうでもいいラインが来て超うざい、とか、あのネットの悩み相談とか恋愛ハウツーとかでよく見かけるやつか!?でも、仕事中にハートマーク送ってよこしたりとか、わたしの出張中ホテルに朝の4時前に「missing you」とか送ってよこしたりしたの、お前だよな!?

 わたしは非常に混乱した。家に帰ってからとりあえず、「ありがとう。またね」とラインでメッセージを送ったが、彼氏からは返事が戻ってこなかった。

 一昼夜恐ろしいスピードで考えを巡らせた結果わたしの導き出した結論は、「この人滅茶滅茶遊んでる!!!」。

 バツニ+やばい(とその時は思ってた)セックス→遊び人。もしかしたら今でも遊んでて、複数ガールフレンドいる。わたしとも面白いことしようと思って口説いたけどできそうにないから(=やばいセックス拒否したから)、フェイドアウトしようとしてる。やだもうそれ、絶対それ。あーもうやばい、どうやって別れよう。このままこっちもフェイドアウトしたらいいのか、でもそれってなんだか寂しい。でも、のこのこまた会いに行って別れの修羅場とかになって、殺されでもしたら困る(←元夫との最後は、警察への逃走だから)。

 というふうにぐるぐる悩んでいたら、翌々日の朝、ひょっこりラインが来た。「ごめんね、スマホが故障しちゃって修理に出してたから、ラインが送れなかったんだ」。ところがわたしはここで、この英文が過去形だったのを見落としてしまい、こう読んでしまった「ごめんね、スマホが故障しちゃって修理に出すから、ラインが送れなくなる」。そこでわたしは一言、「okay」と返事して後は放置。

 すると夜に、またラインが来た。あれ、もう修理終わったのかな。早いな。そう思っていると、彼氏が訊いた「トーコちゃん、are you upset?」。わたしは upset の意味を知らなかった。「どういう意味?」「angry?オコッテル?」「どうして?」「僕がラインの返事をすぐ送らなかったから」。あー……。

 そこで話をして、彼氏の「僕は大変」発言の本意は、「英語でやりとりをしているから、君が大変なんじゃないかと僕は思う」だったということが分かり、「わたしは全く大変じゃないけど、あなたが嫌だったり飽きちゃったりしたんじゃないかと思った」「no problem♡」という行き来があって、結局現在に至るまで毎日毎日ラインでのいちゃいちゃが続いている訳なのだが、その時はこう思っていた「ほんとに男って、やらかしておいて後で言い訳してくるよな!」。

 要するに、彼氏はいったんもうトーコと遊ぶのやめようかな、と思ったけど、後で思い直して、「君が嫌なんじゃないかと思ったから」という態を装って、付き合いを復活させようと目論んだ、と思った訳なのだ。今は思ってないけど。疑心暗鬼は根が深い。

 嘘をつく男と付き合うと、嫌な習慣が身につく。この発言のどれが本当でどれが嘘なのか精査しようとしたりだとか、言葉の裏に隠された本心を探ろうとしたりだとか、断片と断片をつなぎ合わせて通奏低音のような本当のストーリーを解読しようとしたりだとか。でもそういうのは、利害関係のある取引相手とだけにしておきたいし、プライベートで深くコミットしている相手に対しては、言葉をそのまま信用する無防備さに安心していたい。勿論わたしだって嘘はつくし隠し事もあるし、彼氏だってそうなんだけど、その無防備さを許し合う関係でいたいと思うのだ。

 でも、逆に考えると、もしわたしが邪な意図を持っていて彼氏を騙そうとしていたなら、可哀そうだったよね。彼氏はわたしの名前と携帯番号とメールアドレスとラインしか知らなかったのだから、わたしが偽名を使っていて、番号を変えてアドレスを変えてラインをブロックしたとしたら、どうすることもできなくなる。キクチトーコという女の子が、本当に存在したのかどうかすら、分からなくなる(女の子、という歳ではないことは重々承知しておりますが、彼氏目線ということで)。出会う、ってことは奇跡的なことだなあ、と思うとともに、他人を信頼する、信頼される、ということの重みを、つくづく感じる。


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