プライスフルな俺の好意とプライスレスなわたしの好意。

 昨日の稿を書いていて思ったのだが、男は女に有償の好意を与えたがり女は男に無償の好意を与えたがる傾向がありませんか?逆もまたしかり、男は女から無償の行為を与えられると嬉しがり女は男から有償の行為を与えられると嬉しがる、そんな気がするのだが。

 例えば女子って、「男とゴハンに行ったら奢りじゃなかった。あり得ない!」みたいな発言したり、「デートで居酒屋とか、わたしに対する愛情ってその程度のもの?」って思ったりするのに、彼氏の部屋でゴハン作って待ってて「お帰りなさーい♡」とか、お泊りのついでに彼氏の部屋掃除したりとか、するんでしょう?男子は男子で、彼女に「今日はわたしの奢りだから、高級レストランに行こう」とか誘われるとへこんでしまう一方で、「はい、お弁当作った♡」って渡されるとやる気が出たり、モーニングコールで起こして欲しがったりする。すみません、わたしもやったことないし周りにもそういうタイプがいないので、全部聞きかじりの妄想です。

 でも確かに、彼氏はデートの時、絶対わたしにお金を払わせない。ご飯を食べたりすれば全部彼氏が会計するし、家を訪ねた時に「来る時イオンでお買い物してきて♡」と頼まれて、じゃあわたしの奢りで、と思ってビールとかお肉とかいろいろ買って行ったら、「ダメダメ」と言ってお金を渡された。それを彼氏が料理してふたりで食べた訳ですが。一方で、「タスケテね」とひょいっと甘えてきてお店のことを手伝わされる訳だが、まあわたしも、「2万円払うから会社の変更登記やってくれない?」とか言われたら、多分「ふざけてんのか!!!」と思うに違いないし、無償だから好意でやる訳だ。

 なんとういうか、この「プライスフルな俺の好意」と「プライスレスなわたしの好意」が等価交換できる価値を持っている、というところが、面白く不思議なところだなあ、と思う。多分、「好きな女には金に糸目をつけないのが男の愛」というのと、「好きな男には損得抜きで尽くすのが女の愛」というのが、わたしたちの価値観のどこかに刷り込まれているんだろう。彼氏は外国人だから、どうも日本国内だけの価値観でもなさそうだ。でも、彼氏とわたしのサンプルはご高齢なので、もしかしたら若い世代は違うのかもしれない。若い世代ではデートはワリカンが普通、というのも聞いたことがあるし。

 でも、男の人も女の人も、気を付けた方がいいと思うのだ。その、等価交換性のある価値しか見えないと、相手の愛情を見誤ったりするから。プライスフルな行為にばかり気を取られると、一見プライスレスな行為が愛情だと気づかなかったりするし、プライスレスな行為は愛情のためにコストを度外視しているだけで、その裏にいろいろな苦労があったりする。「わたしのために時間を割いてくれている」ことの大変さに気づかなくて当然のように見做していたり、「同棲なのに家事は彼女」の不平等が見えなかったりする。カップル間で「なんか不満」とか「フェアじゃない感じがする」とかが生まれる原因は、この辺にもあるような気がする。だから、「分かりやすいプライスフルな好意以外の好意も見えているか」「このプライスレスな好意の裏にどんなコストや犠牲が隠れているか」には敏感になっていた方が、お互い感謝し合い、愛情を温め続けられるのではないだろうか。

 あと、女の人って、男の人が車出したり運転したりするのを当然だと思っていたりしませんか?なんか、好意としてカウントされていないような気がする。でも、あれって結構プライスフルな好意だと思います。わたしも自分で車を運転するようになるまでは全然気づかなかったが、車を持つには維持費もかかるし、1日デートすればガソリン代だの駐車料金だの高速料金だのかかるし、運転することの肉体的精神的疲労もそれなりにあるよね。結婚前、元夫は2週間に1度のペースでわたしの家まで、しかも他県から越境して車を走らせてきていたのだが、わたしは薄らぼんやりしていてその大変さに気づかなかった。いくら車屋で運転が苦にならないからといって、あれは申し訳なかったな、と思う。でも、わざわざ他県からそんなに頻繁に通ってくるって、よく考えると熱心すぎて若干気持ち悪いね。そんなにしょっちゅう来なくてもよかったのに。そんな鬼畜な発言をして、今回は終わる。投げ銭も、やめておきます。あと、プライスフル、はわたしの造語みたいです。

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