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ロックンロールの名付け親「DJ アラン・フリード」

こんにちは、浜松市天竜区佐久間町の オールディーズが大好きな理容師の 乗本和男 です。

ロックンロールの名付け親、アラン・フリード!
彼は歌手ではないのに、当時の若者に絶大なる人気があったんです。そんなアラン・フリードの紹介は、僕よりももっと詳しい方がいっぱいいるので、手短に紹介させていただきますね。


1950年代に人気を博した。自身の番組内で、黒人に親しまれていた音楽ジャンルのリズム・アンド・ブルースを積極的に放送し、それをロックンロールと呼んで、白人の若者達の間に紹介し、流行・定着させた。また、全米各地でダンス・パーティを開催したり、映画にも積極的に出演するなど、ロックンロールの普及のためにあらゆる方面で活躍した。やがて、白人・黒人の両人種の若者に支持されるカリスマ的存在になったが、1960年初頭に、スキャンダルをきっかけにして音楽業界から排斥された。
こちらからお借りしました。

こちらの紹介がとても分かりやすいので、採用させていただきました。
アラン・フリードは、まだ白人と黒人が平等に付き合っていない時代に、兎に角、黒人の音楽と白人の音楽を癒合させて、人間同士も癒合させて、大きなロックンロール王国を作ろうとしていたんです。

音楽に壁はない。本当に僕も思うのですが、この白人上位の時代に、これだけ黒人の文化や音楽を紹介して、大丈夫だったのかなって思いましたが、やっぱり黒人差別を止めようとする人間を、選挙権の多い白人の国は妨害するんですよね。

1960年の初頭にアラン・フリードは、「ペイオラ・スキャンダル」と呼ばれた業界の汚職事件の張本人とされてしまったんです。
きっと強力な力が働いたのですね。 「ペイオラ」とは簡単に言うと「黄金色のお饅頭(まんじゅう)」なんです。 特定のレコード会社のレコードを番組内でかける見返りとして、レコード会社から金品を受取ることです。

でもこんな自由な国のアメリカでも、特にPTAが力を持っていて、ロックンロールが若者に広がっていくことに対して、うるさかったんでしょうね。

アラン・フリードがラジオで、ロックンロール と絶叫して叫び続けたので、若者に広がっていくのが怖かったのかもしれません。

しかしアラン・フリードがいなかったら、ロックンロールは誕生しないし、これだけ広まってもいかなかったでしょう。
この事件から彼は、辛く悲しい時代を迎えますが、ロックンロールが若者に絶大なる力を与えました。その功績者がこのアラン・フリードです。

彼をはじめ、エルヴィス・プレスリーや数多くのロックンローラーも、子供たちの自由のために、この時代のPTAと戦った戦士だなって僕は感じました。

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