2

  高校は、美術科のある高校を卒業しました。高校入学から数えて、美術を勉強するようになってから8年目に突入した、ということになるんでないかなと思うんですけど、じゃあ私はメチャメチャに絵が上手いかって言ったら、全くそうではないんですよね。恥ずかしいことに。

 デッサンは苦手だし。ものすごく。たぶん忍耐力、とかが全く無いんですよ。じっとするのが苦手。時間があるときはゲームしたいし漫画よみたいし眠りたくないですか?ずっと眠ってたい。バイトとかしたくない。大学は、公募制推薦っていう、AOみたいなもんですよね多分、成績とかが必要の無いタイプの入試制度で入学できました。これは勉強したくない私にとって非常にラッキーなことでした。版画が学べる大学に入学したんですけど、なんで入学できたんですかね。絵が良かったのだとしたら嬉しいんですけど、でも要因はきっとそれだけじゃないんだろうなって、思うことはいろいろあります。

 小さな頃から絵は描いてました。好き、みたいな執着に近い感情が過去にあったかどうか、思い出せません。まわりの家庭との違いを挙げるとするなら、親が絵を描くことに対して叱ったりすることがなかった、ということぐらいだと思います。好きでもなんでもなくて、絵を描くことはそれだけ自然に近かった状態です。でも友人とゲームで遊ぶ方がもっとずっと面白かったし、漫画を読んでる方が、絵を描くよりすごくすごく面白かったです。ぴちぴちピッチという漫画にハマってました。むっつりなガキだったので、かわいい絵柄に対してことごとく破廉恥な画面にものすごく惹かれてました。あとシュガシュガルーン。もう可愛さの極み。何あれ?最高。ありがとう安野モヨコ。私はバニラちゃん派です。みんながみんなショコラちゃんになれるわけがないんです。おてんばで誰にも愛されて、好きな人にも愛されて、可愛くてかっこよくて最強で。物憂げなバニラちゃんにガシガシ私は惹かれました。けれども、バニラちゃんもまた、劣等感に打ち勝ったひとりのうつくしい少女なわけで、彼女の成し遂げたことは並大抵のことではありません。ショコラちゃんもバニラちゃんも大好きです。ふたりの姿には憧れるし、私はふたりのどちらかになることはできません。悲しい。

 才能ってあると思いますか?私は無いと信じていたい側の人間です。才能なんてものは無いと信じ込まないとやってられなくなります。だってそんなものあるって認めちゃったら、絵を描く意味がなくなっちゃうじゃないですか。才能があると信じてる人の間だけのお祭りになっちゃうじゃないですか。私が美大に進もうって思ったのは、算数も国語も社会も理科もとことんできないし、したくないと思ったからです。幼少の頃から嫌悪感のなかった絵を続ける以外に、生きやすそうな道を見つけられなかったんです。怠慢かもしれません。中学の頃は、数学の成績はずっと2でした。高校で一度だけ3をとれて、ものすごく嬉しかったのを今思い出しました。院に進学しようと思ったのは、社会に出る自分のイメージが浮かばなかったからです。というか、母におまえは社会に向いてないかもしれんと言われて、院進学に気持ちが固まった、っていうのが重いかもしれません。私は母子家庭で育ちました。母子家庭であるという経済状況って、院にひとり送るのも厳しいくらいのもんでないかと思うんですけど、おかげさまで今ちょっとたのしいです。ありがとう母さん。学費は借金で払ってます。ファッキュー、アンドハバナイスデイ。

 4年前、私は青年団の若手自主企画で発表されたCui?という団体の「汗と涙の結晶を破壊」という公演を見て、ガバガバのガバに泣いて、一度見るだけじゃ足りなくて友人を連れてもっかい観に行ったんですけど。つまり計2回見たんですけど、今じゃどんな内容だったかちょっとおぼろげなんですけど、でも凄いものを観た、っていう記憶はなんだか頭の中に残っていて。

 確か、主人公が美術作家なんですよ。自分の作品が認められたくて、ていうか売れたくて、いろんな賞に応募してたりする人物なんですよね。そこでまあ、応募した賞の面接に行く場面があって、審査員にズケズケに言われるんです。直接的な罵倒は無いんですけど、直接的な罵倒があればまだよかったのに、憎みきれたのに、空気みたいな言葉を並べられて憎みきれずにいる、みたいなシーンがあって。そこでまず1ガバじゃん?審査員の「新しい才能を待っています」みたいなセリフで2ガバじゃん。で、バチクソに圧倒的な「才能」を誇る人間に見下されるような台詞に3ガバ。どんどんガバが増えてくようなお芝居で。でもこれ全然独りよがりな演劇ではなかったと私は思ってて。サカナクションの「セプテンバー」をゴリゴリに鋭利にしたようなお芝居だったと今の私は思います。あんなメロディアスな感じではないですけど、お芝居本編は。ズキズキ痛むんです、才能なんかくそくらえなんです、そんなチートあってたまるかなんです、でももってるやつはもってるやつなんです、才能の無い世界を想像するとき「才能」そのものの輪郭がくりぬかれた風景を想起しちゃうんです、じゃあそれってあるってことじゃん、どうしたらええねん。でも本編でめちゃくちゃ最高なシーンがあって。どういう経緯でそのシーンに繋がったかもはや覚えていないのですけれど、主人公が「最高傑作」を創造するんです。どんな台詞だったか覚えていないんですけど、でも私はありきたりでつまらない日常風景の中に立ちそびえる塔を想像しました。確かそれは主人公が作ったガラクタのすべてでかき集められてできあがった塔、だったような気がします。授業で知ったんですけど「自画像」って、理想化された自分なんだって。理想の自分を描くためなら、どんなに現実の自分の肉体とかけ離れた絵を描いてもいいんですって、自画像って。あの塔はきっと、主人公がそう望んでつくったかどうかはどうか分からないんですけど、でもようやくたどり着いた主人公自身の「自画像」だったんじゃないかなって思うんです。それが風化してしまうことになったとしても、主人公が創ることを諦めなかった事実がそこには遺っていて、才能のあるやつはそれを絶対に蹴り倒すことができないんです。最高じゃないですか?私たちは才能があろうがなかろうがどうしようもなく人間で、事実と歴史と時間とを纏う空間を、完全に否定しきることはできないんです。私、それ、いつかやりたいなと思って。だって自分の理想は、自分で自分を肯定することなんで。あの塔みたいな、最強の自画像、後世に遺せたらって、思うと、すごくワクワクしませんか、涙が出そうになりませんか、なりませんか。

 読み返したらキモくて泣けてきた。才能があるんだとしたら、あったとしても、見ないフリでがんばります。寝ます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?