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【シャニマス】ノクチルイベント『いきどまりの自由』の感想

※ノクチルイベコミュ『いきどまりの自由』のネタバレがあるので注意!

最近実装されたノクチルの新イベコミュ『いきどまりの自由』を読んだので感想を書いていこうと思う。

OP:限りある日常

最初のコミュはインフルエンサーが学校で話をしている場面や、モールス信号について説明する小糸、自由律俳句を作る雛菜などが描かれる。

雛菜の自由律俳句のところで専門学生が出す「お先真っ暗」というお題は今後の人生を見据えていっているんだろうと思う。最初の学校で話す場面も「卒業を迎えて話を聞く会」らしいので卒業シーズンということもあり、今回のシナリオはそこにテーマをフォーカスしているようだ。

専門学生はこの後のコミュでも出てくるので、そのあたりのテーマについて思うことについては後述するが「お先真っ暗」という考えが変わる様が全体を通して考えるとこのコミュの良い点だと思う。

1話:訪問者

主にインフルエンサーの話が描かれる。わざわざ事務所にまで来て営業をかけてくるのは良く言えばアクティブだけど悪くいうと迷惑だよなと思う。

透が芸人のマネをして言うギャグ「スクランブルブルエゴイスト―」が聞けるのもこの話。スクランブルというのはおそらく「スクールランブル」の略だと自分は解釈した。ランブル(rumble)というのは様々意味があるようだが、「継続的な音や騒音を表す言葉」もしくは「だらだらといつまでも話す」と言った意味があるらしい。

なので「スクランブルブルエゴイスト―」の解釈としては学校生活における騒音やダラダラといつまでも話しているような学生ならではのエゴイスティックな様子を称揚してこの言葉を使っているように感じた。本コミュを最後まで読んで思いついたが、「学生」と「卒業後」という変化の対立を意図的に描いていると思うので、「スクランブルブルエゴイスト―」というギャグも間接的にそういったことを表そうとしているのではないかと思う。

あと本題と関係ないが「スクランブルブルエゴイスト―」というギャグは絶妙に一発屋芸人の風味があるギャグだと思う。

2話:最後に

2話は卒業制作のフィルムにノクチルを起用したいという専門学生からの仕事を受ける話だ。映像出演とともにノクチルに対して自由律俳句を作ることも依頼してくるという仕事内容である。

ここでノクチル全体の自由律俳句は透に依頼するというのが、シャニマス世界での透の扱いを表しているなと思う。もしかするとシャニマス世界ではノクチルの代表は透というイメージが定着しているのかもしれない。

3話:見つかった言葉

3話では雛菜と円香の作った自由律俳句が発表される。

雛菜が作った自由律俳句は「はぜる、色づく、ずっと」で、円香の俳句は「そういうのが一番嫌い」である。

ここはそれぞれにその人っぽさが出ていて良い。雛菜が「ずっと」という言葉を使うのは重みがある気がする。雛菜の場合はおそらく色づきがずっと続くだろうというなんとなくの期待を持って「ずっと」という言葉を使っているわけではなくて、「ずっと続けさせる」という意思を少なからず感じる。もちろん幸せがずっと続くだろうという淡い期待も少なからずあるだろうけど、自ら「はぜる、色づく」をつかみ取りに行くのが雛菜だと思うのでやっぱり重みのある意志の強い言葉だと自分は思ってしまう。

円香の方もらしくて良い。円香が使った「そういうの」というのは、後の話で語られる透の俳句ともかかわってくるが、嫌いと言うのはとても円香らしいと思う。円香の言う「そういうのが嫌い」というのは透の俳句との対比だけじゃなくて「あらゆる対象に対する辟易」という意味でもあって、極度に純粋なもの以外は嫌いであるという意思がここに現れているような気がする。

ただし「嫌い」と言いつつも円香の使う「嫌い」という意味には単にその対象にヘイトを向けるという言語使用ではなくて複雑な気持ちが介在しているのだろうと思う。円香の言う「嫌い」は単なる「嫌い」とはまた違う当人ならではの面倒くさい感情が垣間見えるような気がする。

4話:見つからない言葉

4話は期日までに俳句が思い浮かばなかった小糸が専門学生と打ち合わせをする場面が描かれる。背景だけの演出だったが、図書館のようなところに行ってわざわざ考えているような描写もあり、相当頑張っているのにもかかわらず思い浮かばなかったようだ。

結局、話し合いの中でたまたま出た「わたし自身の言葉をつくらなきゃ」という言葉が映像で使われることになる。ふと出た言葉だけど、これほど小糸ちゃんを表している言葉もないんじゃないかと思う。

「頑張る」という言葉が入っていないのにこの言葉だけでその意味が含まれているように感じられるのが良い。普段から頑張る小糸ちゃんの真摯な姿勢がこの俳句から伝わってくる。俳句を作らなきゃという言葉自体が小糸ちゃんになっているという、そんな感じがした(この言葉を拾い上げる専門学生もすごい)。

5話:そういうの

5話はみんなで夜に散歩に行きインフルエンサーと出くわすという話になっている。この間に事務所まで押しかけたことを謝ったりしてくるインフルエンサーなのでそれなりに常識はあるのかもしれない。

ここでインフルエンサーが言う「ノクチルは、そういうのじゃない、って」という言葉が透に刺さった感じでこの話は終わる。「ノクチルはそういうのじゃない」というのはインフルエンサーという第三者から見ても、「奔放だけどわきまえるところはわきまえたりする」というようなニュアンスなのかもしれない。

6話:見つけられた言葉

6話はいよいよ透の撮影ということで透の作った自由律俳句が発表される。

透の作った俳句は「そういうんじゃない。でも、それでもない」で、ノクチル全体の俳句は「ノクチル」。

透の俳句は良すぎる。円香との対比にもなってるし、定義されない存在であるというのが伝わってくる感じがする。透だけじゃなく、ノクチル全体が「そういうんじゃない。でも、それでもない」という言葉で表せていると思う。あえて一言で表すなら「ノクチル」としか言いようがないという、その言いようのなさが本当に良い。

ED:始まり(終わり)の切れ端

エンディングでは主にノクチルの映像がバズっている様子と、専門学生の心境の変化が描かれる。

ここで語られている好きなことへの向き合い方はメタ的な受け取り方かもしれないけど、シャニマスのライターさんが感じていることなのかもしれない。はるきのコミュでも感じるけど最近のシャニマスは創作だとかしたいことに対する向き合い方みたいなものが描かれているように感じる。

このコミュでは勉強している女子高生がノクチルの映像を見て、その姿に憧れるという話が挟まって終わる。

自分の解釈だけど、この女子高生の場面は映像から伝わるノクチルの「そういうんじゃない。でも、それでもない」というような感性に焦がれる人を描くことで、これを読んでいるシャニマスPにもそういった気持ちを喚起させようとしているのかもしれない。定義されない独自の色である「そういうんじゃなさ」を持ちたい気持ちは普遍的なものだと思うのでノクチルのそういう姿に惹きつけられる人は結構いるんじゃないだろうか。そういった意味ではすごく「Dye the sky.」似たニュアンスを感じた。

まとめ

読む前は透と円香の関係性について深掘る感じかなと思っていたので想定していたコミュとはまた違う感じだったけど、とても良いコミュだった。

ノクチルのコミュというよりは最近のシャニマスで描かれているテーマをまた別角度から描いているような気がした。ちょっと違うけどめぐるのクレオールやはるきのコミュも広い意味で言えば「やりたいこと」に付随する何かを描いているので近い気もする。

最近はあまりシャニマスを読めていなかったけど久々に読んでみるとやっぱり良い。シーズのイベコミュもまだ読めていないので近いうちに読もうと思う。

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