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アニメ映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の感想

岡田麿里監督作の『アリスとテレスのまぼろし工場』を見たのでその感想を書いていこうと思う。

まず驚いたのは「岡田麿里さんって監督やってるんだ……!?」というところである。岡田麿里さんと言えばあの花やここさけで有名な脚本家で、自分としても『selector』や『荒ぶる季節の乙女どもよ。 』が好きな作品としてある。調べたら別の作品でも監督をやっているようだが、完全に脚本家の人だと思っていたので監督もやるんだという驚きがあった(業務内容がどれほど分かれているか知らないけど)。

そしてそんな岡田麿里監督作がどうだったのかというと、個人的には非常に楽しめた。岡田麿里作品らしい良さがふんだんに発揮されている作品でところどころにある物語のセオリーを無視した個人的感情を発露させ行動するシーンはやっぱり良い。ここに岡田麿里作品なら出の生々しさがあると思う。

具体的に言えばラスト付近のシーンで、原さんが五実を連れ去るシーンが好きだ。ここでは普通の作品だとみんなで協力して現実に返す(もしくは返さない)様子が描かれると思う。しかしそんなことはなく物語の流れに従わず個人的感情で衝動的に行動する感じが人間らしくて好き。他にもこういうシーンが多々あって良かった。

設定としては大きく心を動かすとひび割れが発生して神気狼に食べられてしまうという設定だったが、どういったメタファーだったのかがいまいち判然としないところもある。ただ自分の解釈としては『君たちはどう生きるか』に似たようなことをやっているのかなとも感じた。

どちらの作品も仮想空間を作り出しているという点が同じで、それらの目的があくまでも自分の解釈だが「逃避的」というのも似ている感じがする。「君たちはどう生きるか」においても本作においても、作中に出てくるもう1つの世界は逃避先として描かれている(と自分は解釈する)。

本作では仮想世界では痛みが薄いという設定になっているので、仮想世界は痛みからの逃避先として五実が構築したとも読めると思う。つまり全編通して五実の内面世界的な話という解釈である。

でも痛みの話としては明らかに政宗と睦実が主体となっているので五実主体というのも変な話にも思える。現実の街の人の逃避的感情が無意識に集合した結果生まれた世界という解釈であればつじつまが合うだろうか?このあたりはもう一度見てみないとわからないかもしれない。

思えばアリス要素もテレス要素も、アリストテレス要素もなかったなと終わってから気付いた。一応「五実=アリス」と見立てれば『不思議の国のアリス』要素は強引に見いだせるかもしれないが、テレス要素はなかったしそもそもテレスってなんなのだろうか(検索したらブラジルのサッカー選手と改造車系のYoutuberしか出てこなかった)。

監督本人が書いた原作小説があるらしいのでそちらの方で補完したい気持ちが強い。わからない点は数多くあれどキャラクターの心理的躍動感は見ごたえがあったのでそのうち見なおしたいと思う。個人的にはとても好きな作品だった。

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