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【エッセイ】桁違いの父のこと 3

父が何度も結婚、離婚を繰り返しているという事実を知った日(その日の話はこちらから)、その場に居合わせた腹違いの兄2人のうち、小太りの兄は札幌に住んでいた。

「せっかく札幌におるんやし、今度、飯でも食おうや」

そんなことを言われていたのを私はすっかり忘れていた。いや、忘れてしまうくらい衝撃が強かった。

小太りの兄、ここではAとしておこう。数日経ってから、Aは父を通じて私に連絡をしてきた。

「妹と一緒にご飯が食べたいらしい」

私は困惑した。確か、細面の兄のほうは「もう2度と会うことないやろうけど、会うなら親父の葬式かな」と言っていたが、Aはその逆で母親違いの私に興味を持ったようだった。

父に指定された店(これもまたクラブみたいなところで、食事をする感じではなかった…)へ行くと、父、父の最後の妻、A、そしてAの婚約者だという清楚な女性が席に座っていた。

高そうなスーツを着た恰幅のいいAは、関西弁でベラベラとよくしゃべる人だった。ドラマに出てくる怪しい青年実業家、もしくはインテリやくざのように私には見えた。この頃、体調がイマイチだった父は口数も少なく、Aの話を眉間に皺を寄せながら聞いていた。

「なぁなぁ、ナマコはちゃんと働いてるんやろ? 名刺くれや」

私は一瞬躊躇した。ちょうど先輩から飲み屋で名刺をむやみに配るなと言われたばかりだったのだ。飲み屋で渡した名刺を悪用された人がいて、そういうお達しが出ていた。とはいえ、父の息子で、腹違いの兄なわけで、悪用されることはないだろう、きっと大丈夫と自分自身に言い聞かせて、私はAに名刺を渡した。

「お、マスコミかぁ。Hも踊りやっとるから、なんかあったら取材してもらえや」

Aの横でずっとニコニコしていた婚約者の女性・Hさんは、少し照れくさそうに「はい、何かあったらぜひ」と言った。Aに渡した名刺を覗き込んでいたので、私はHさんにも名刺を渡すと、嬉しそうに「ありがとう」と受け取った。

「Hちゃんが、Aと結婚してくれたら安心なんやけどな。どうかよろしゅう頼むな」

父が真顔でHさんに頼んでいた。ぶっちゃけ、AとHさんは釣り合わないなぁ、一体どこでこの2人が知り合ったのだろうと私はずっと心の中で思っていた。

「お兄さんは何の仕事してるんですか?」

Aは私に名刺をくれなかったので、恐る恐る尋ねた。

「俺? 俺は親父の仕事の手伝い。な、親父」

父は返事をしなかった。私はそれが少し引っかかっていた。

そのあとは、Aが一人で自分の話(子どもの頃の自慢話がほとんど)をひとしきりして、食事会はお開きとなった。私がAと会ったのはこれが最後だった。

それから1カ月くらい経ったある日、突然Hさんが会社に私を訪ねてきた。大きな帽子を目深にかぶり、何かにおびえているかのように受付の横に立っていたHさんは、「急にごめんなさい…」と謝った。

ブースに案内してお茶を勧めたが、Hさんは帽子を取ろうとしなかった。

「どうしたんですか?」

Hさんは俯いたまま、小さな声で「Aさんから電話とかありませんでしたか?」と言った。

「あれ以来、連絡は何もありませんけど…」
「名刺いただいていたから連絡いってるかと思ったんですけど、きてないんですね」
「はい」
「もし、電話がきても、私がナマコさんに会いに来たことは言わないでください」
「はぁ…」

顔を上げたHさんは化粧をしていなかった。ただならぬ様子に何があったのか尋ねると、Hさんは手を震わせながらAに暴力を振るわれたと言った。

「え?」

Hさんがそっと帽子を上げると、こめかみ近くが青くなっているのが見えた。

「怖くて、怖くて、逃げ出してきました」

詳しくは聞かなかったが、酒に酔ったAが手をあげたと言う。Hさんはなぜか私のことを思い出して、名刺を頼りにここへ来たと言っていた。私に何をしてもらいたかったのだろうか。札幌に知り合いがいないならまだしも、札幌出身と言っていたのに、わざわざ私のところへ来るのは少し違う気もしていた。おそらく気が動転していたのだろう。

私はHさんの話に耳を傾けた。何もしてあげられないけれど、彼女が話すことで少しでも不安が取り除かれればと思った。

1時間近く話をして、Hさんは実家に身を隠すと言った。「なんなら警察に通報してもいいと思いますよ」と私が言うと、Hさんは驚いた顔をした。

「暴力はやっぱりダメですよ。腹違いの兄妹って言っても、存在を知ったのはつい最近だし、2回しか会っていませんから」

私がそう言うと、Hさんはホッとした顔で頷いた。

「もしAから連絡があっても、Hさんがここへ来たことは言わないから安心してください」

Hさんは帽子をまた深くかぶって、お辞儀をするとビルを出ていった。Hさんと会ったのもこれが最後。何年後かにSNSでチラリと見たことがあったが、もう会って話すことはおそらくないと思う。

それからしばらくして、父の最後の妻であるK子さんから電話がきて、私は父に呼び出された。結婚・離婚のことが分かって以来、ちょいちょい父は私を呼び出すようになっていた。HさんとAのことを聞かれるかと思ったが、用件は違っていた。その後、Aのことも、Hさんのことも、父から聞くことはなかった。

Hさんが私のところへ来てから1年か1年半経った頃、父は持病の糖尿が悪化し、体調を崩すことが多くなっていた。あるとき父のところへ行くと、パジャマ姿の父はリビングの大きなソファの上で眠っていた。

「大変だったのよ、Aさんのことで」

K子さんは私にお茶を勧めながら、ポツリと言った。

「Aがどうかしたんですか?」
私はHさんのことを思い出していた。
「Aさん、肝硬変で亡くなったのよ」
「ええっ!」

私は思わず大きな声を出してしまった。父がモゾモゾと動いた。

「そんな急に?」
「もともとお酒ばっかり飲んでて、肝臓が悪かったみたい」
「そうやったんですか…」
「お父さん(K子さんは父のことをお父さんと呼んでいた)、自分より先にAさんが亡くなってくれてホッとしてるって」
「ええっ?」
「Aさんね、お父さんの仕事を手伝ってるって外では言ってたけど、ただのすねかじりだったのよ」
「ええっ?」

私は「ええっ?」「ええっ!」しか言葉が出てこなかった。Aは30代半ばのはずだったが、一度もまともに働いたことがなかったという。父の会社で雇ったこともあったらしいが、仕事はできないし、ほかの従業員にいばり散らすしで、父は会社を辞めさせた。ところが、ほかで働いたことのないAは父のあとを追い回し、毎月の生活費をすべて父に出してもらっていたという。

私は、Hさんが会社に来たときの話を初めてK子さんにした。

「Hさんが出て行ったあと、Aさんは血眼になって探したみたいだったけど、正直、別れて正解だったのよ、Hさん。すすきのでもAさんは酒癖が悪くて、有名だったから。暴れるたびにお父さんがその尻ぬぐいしてね…。30過ぎても親が携帯料金を払ってるとか、暴れて店のものを壊して親が尻ぬぐいするとか、まったくどうかしてるわよね」

K子さんは小声で言った。まともなことを言う人でよかったと私は思った。

K子さんは、父が眠っているのをときどき確認しながら、ふぐ屋で働いていたときに(K子さんはふぐ屋の女将さんだった)見たAのことや、父から聞いたAの話をしてくれた。

「たまにお父さんとAさんとHさんとでふぐを食べに来てたんだけど、Aさんはとにかく威張りくさって、誰が見ても質の悪い客だったのよ」

Aの家、つまり父の3番目の妻と子供たち(Aは2人兄弟で、弟のMがいる)は、当時で1億円する大豪邸に住まわせてもらっており、贅沢三昧の生活を送っていたそうだ。広い居間には大きな壺があり、その中にはお札や小銭がたくさん入っていて、それを子どもたちは自由に使っていいとされていた。当時、羽振りの良さが絶頂だった父の周りには取り巻きもたくさんいて、Aはそんな取り巻きたちにチヤホヤされていた。小学生のAは家へやってきた大人たちに向かって、「欲しけりゃやる」と壺から出したお金をばらまき、それを取ろうと必死になる大人たちの姿を見て笑っていたらしい。「イヤな子どもよね」とK子さんは言い、私は「親の顔が見てみたい」と父の寝顔を見た。

「母親が好きにさせていたみたいで、そういうのがどんどんエスカレートしちゃったのね、きっと。下の弟さんはそんな兄を見て、これじゃいけないって思ったのか、性格の違いなのか、まともに働いて生活しているのよ」

Aの弟であるMは、父から出資してもらい、自分で運送会社を経営していた。母親の面倒はMが見ていたが、さすがに兄のAを養うわけにもいかず、Aの母親は「あの子をあんなふうにしたのはあんたのせいなんやから、責任取って面倒みいや」と父に押し付けていたらしい。父のせいだけではないと思うが、きっと誰も手に負えないほどのゴロツキだったのだろう。

「Aさんのお葬式は札幌でしたんだけど、Mさんがお金も全部用意してくれたの。お父さんは具合が悪かったんだけど、一応出席はできて…。不謹慎かもしれないけれど、お父さんがホッとしたって言うのも分かる気がしてね。Hさんといたら少しはまともに働くかと思って期待したみたいだけど、結局別れちゃったしね。自分が死んだあと、Aさんがどうやって生きていくかずっと心配だったみたい」

働かない息子を突き放せないまま、気苦労を続けてきた父。私はHさんにAを頼むと言っていた父のことを思い出した。なかなか起きない父の寝顔を見ながら、私はまた自分の知らない父の一面を見た気がしていた。

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