浅田真央メカニズム

ヨットクラブのビギナーズレース開催日。ヨットを始めて半年、私は初の本格レース参加である。
先週末にスタートレーシング練習に参加したところ、艇のサイズによってハンディがあることを知った。自覚がなかったがハンディがついてどうも1位になっていたようで、前評判は上々。しかしそれが悪夢の始まりであった。

今日の風速は北8mで大荒れ。出廷後まさかの舵が利かない事態となりどんどん風下に流されて大いに焦る。帆の下側の紐(アウトホール)が緩んでいて帆が強風を孕み過ぎ、そのうちに艇は沈(ちん)して、ボートに支えられながら何とか結び直したらもうスタート30秒前。
パニックがパニックを呼び、風が掴めず進めない。やっと折り返しマークまで来たと思ってもタック(方向転換)でどうしても風を怖がってしまうのでマークを周っている最中で風上方向にピタリと艇が止まり停滞してしまう。
それを何度も繰り返し、先頭とはすでに周回遅れ、次のグループのレースもスタート準備に入っているという情けない有様でゴールしてから呆然とする。

ああ、前評判なんて…と思い、羞恥心が襲ってきて気持ちはどん底まで落ちる。
しかしあと2レースしなければならない。なるべく今のレースを己の精神の枠外に追いやり、これ以上恥を晒さないようにせめて遅れずにゴールしよう、これまで出来ていたはずのことを思い出して停滞しないように注意を払いながらマークを回ろう、とそこに意識の焦点を持って来るようにしてみる。自分を責めず、一方でやるべきことの思い詰めを回避するために他の参加者に軽口を叩く。

アウトホールをきつく結び直し、落ち着いて待機時間を過ごし、第2レースは良いスタートを切れた。先刻より風が弱まり、もう強風も恐怖ではなかった。第1レースではあんなに遠かったゴールが身近に存在するようになっていた。
ただ、すぐ前を走っていた特別参加の校長は、弱風であっても普通は触らないブーム(帆の下側の棒)近くのシート(紐)を手を伸ばして微調整していて、その根拠となる僅かな風向の変化が私には全く感知できなかった。経験の深浅が感知の幅を規定している。

第3レースはほぼ微風だったので、アドバイスもあって思い切ってアウトホールを緩めた。それが功を奏し、自分でも満足できるゴールが切れた。
このことが畏れ多くも私にソチオリンピックの浅田真央ちゃんの気持ちを想起させた。ショートプログラムを大失敗したときの絶望感。その後で大成功したフリープログラム。もう結果は残せないけれどせめて場に恥じぬまともなプレイをしようと強く意識し、他には何も考える余裕がない。つまり、これ以上ないほどに"今"に"全集中"している。失敗を意識外に追い出すので自分を責めることもなく力がうまい具合に抜けている。集中で気づかぬうちに時の流れがいつもと同じかいつもよりゆっくりと感じられてくる。嗚呼帰ってこれた、悪夢から脱し呪縛から逃れたと終わってみれば、ベストの演技が出来ていた不思議な心持ち。集中しているつもりでも気づかぬうちに他の要素に意識が飛びブレがあったものが、集中が真に1本の糸になったとき、精神が綺麗に統一できて技術の発現が最大値に達する。
(あくまで私の場合は風が弱くなっただけのことです、すみません…。)

3レースの総合で算出する結果が3位で驚く。しかし自分の技術の「不在の不在化」を多く認識した。今後、風のコンディションによってアウトホールの張り方に注意を払うこと。強風のコンディションでも艇をコントロールできるようになること。微風でも細かく変化する風向に敏感になること。
登るべき山が具体化して眼前に屹立し始め、面白くなってきたと言えるかもしれない。

この度初めてサポートして頂いて、めちゃくちゃ嬉しくてやる気が倍増しました。サポートしてくださる方のお心意気に感謝です。