レッジョ・エミリアと鬼滅

そのうち行きたい街のひとつ、イタリアのレッジョ・エミリア。人口17万人。食いしん坊ゆえに本場のパルミジャーノ・レッジャーノチーズにありつきたい気持ちは勿論だが、ここは第二次世界大戦の枢軸国にあってもドイツ・ファシスト軍を相手に最後までレジスタンスを繰り広げ、戦後の再建で市民たちが最初に着手したのが幼稚園の建設という街である。街の未来に何よりも幼児教育が大切だと信じ、その教育理念は「すべての子どもは知性、創造性、独創性があり、価値の高い存在である」。

最近、日本でもレッジョ・エミリアの理念を反映した幼児教育の場が増えており、今日は第1殿下と共に向かった友人の引越し祝いの場で保育園を経営する方とご一緒した。
手法としては子ども主体のプロジェクトを重視する教育だそうで、近くの公園を散歩していると子どもたちが「朝と夕方で足の下の葉っぱの音が違う」と言い出し、園に帰ってからいろんな紙をくしゅくしゅさせて、「この紙の音は朝の音に近い!」「こっちは夕方の音!」などとわいわいと話し合い、最終的に展示したというエピソードを話してくださった。子どもたちの目が輝いている様子が目に浮かぶようで微笑ましい。

鬼滅の刃を殿下に見せるか否かについて相談してみた。その保育園経営者は
「自分は内容を知らないが」
と前置きしてから、
「親が一緒に見て、この漫画やアニメ、このシーンについて親自身がどう思っているかを都度話すようにすれば見せていいのではないか」
と仰った。
一理ある。察するに、子どもを信じ、子どもに全ての情報を公開して子ども自身に判断させるということだろう。

鬼滅は5歳の子どもには残酷なシーンも多いから見せることを迷った、と言い、この家族が殺されるシーンは私も嫌いで本当は殿下にも見せたくない、と言えばいいのだろうか。鬼滅はそれを殿下が冷静に受け止められるほどのシーンだろうか。熟考が必要そうだ。

この度初めてサポートして頂いて、めちゃくちゃ嬉しくてやる気が倍増しました。サポートしてくださる方のお心意気に感謝です。