ネットフリックスとアマゾンプライムが目指すもの 外資系と日本系のVODの今後を占う

ネットフリックスとアマゾンのもっとも大きな違いは

日本におけるテレビ局発のVOD(ビデオオンデマンド)サービスと、ネットフリックスやアマゾンプライムのような世界資本の戦いについて、ちょっと裏側から解説してみたいと思います。
「Amazon Prime Video(アマゾンプライムビデオ)」、「Netflix(ネットフリックス)」も「Hulu(フールー)」というアメリカ資本の3つのサービスを切り取ってみても、本質的に目指すところが違うことがわかります。
「Hulu」は、日本テレビ系列番組の見逃しオンデマンドサービスとして、視聴率首位のテレビ局が主導しているものです。
「アマゾンプライム」は、映画、アニメ、テレビ番組や音楽ストリーミングサービスの充実を謳っていますが、最終的にはショッピング送料が無料になる「プライム会員」の増大させることによるユーザー囲い込み戦略です。
「ネットフリックス」はプラットフォーム機能(日本でもテレビのリモコンにネットフリックス接続ボタンがついているものが増えています)と、オリジナルコンテンツの充実によって、世界規模で会員を増やしていくことに注力しています。

日本のVODサービスの弱点とは

日本のテレビ局のオンデマンドサービスは過去に制作してきたコンテンツの強さに依存しているところに、ある種弱点があるのではないでしょうか。例えば、バラエティ番組のCMを跨いだ繰り返し再生、前回までのサマリーなどは、オンデマンドユーザーには必要とされないものです。ですから、リフォーマットも含めて本質的なユーザビリティをあげる努力が求められているのではないでしょうか。

オリジナル番組が世界を変える

それでも日本は現在でもテレビ局が作っている番組には高いクオリティがありますし、厳しくなってきたとはいえ予算も豊富です。そのコンテンツの優位性がすぐに変わるとは思えません。
その一方でインターネット動画配信サービスが、オリジナル番組をどう作っていくかには注目しています。プラットフォームを提供しながらオリジナルコンテンツも充実させているネットフリックスがこの業界を変えて行く可能性は大きいです。ある種、テレビ放送ではできないことを、ポジティブに捉えてものづくりするプレイヤー(制作者)が増えると、可能性はすごく広がっていくと思います。

番組制作会社は変われるのか?

注目すべきなのは、日本のテレビ放送を支えている番組制作会社の動向です。それは彼らがテレビ局依存、下請け体質に染まってしまっているからです。そうした依存体質からどうやって脱却するのか? テレビ局の既存予算や、レギュラー番組の仕事を袖にしてまで、新しいコンテンツを作って、会社が本当に回るのか? など、尻込みしてしまうのは十分に理解できます。そこを英断して新しい世界に踏み込む番組制作会社が現れれば、日本の番組コンテンツの流れは変わっていくと思いますし、アメリカのように制作会社やクリエーターに権利が移っていくことで「作り手」がより良い環境を手に入れるようになるかもしれません。

映画「パンク侍」はdTVオリジナルコンテンツだった

プラットフォームが増えれば、制作会社の価値が上がる可能性もありますが、意外とそうはならない可能性もあります。いま、業界の構造が変わるのか変わらないのかの瀬戸際に立っているのではないでしょうか
映画「パンク侍 斬られて候」を、ご存知でしょうか。
この映画はもともとドコモの「dTV」オリジナルコンテンツとして制作されたものです。有料動画配信サービスの会員のフィーを原資にして作られているので、赤字にはならない映画でしたが、制作過程で「面白そうだ」という声が社内に広がって、劇場公開が決まったそうです。こうした流れが加速すると面白くなっていくのではないでしょうか?

アメリカ的著作権管理は日本に広がるか?

ご存知の方も多いと思いますが、アメリカは著作権を制作会社が持っていて、リスクを取ってコンテンツを制作しています。それによってコンテンツマーケットが流動化しているのです。日本で流動化しない理由はいくつかありますが、最大のものは著作権が放送局にあることです。制作会社も下請け的に受動的な仕事をしてきたので、持ちつ持たれつというある意味で理想的な関係値が壊れてしまうのを恐れているようにみえます。そうした従属的な関係を続けるのか、それとも改善していくのか。タレントプロダクションの一部ではその蜜月関係からやんわりと距離をおいて、コンテンツの権利を自社に置いていくなどの、両面外交を演じているところもあります。そのやり方も、著作権まできちんと要求することもあれば、応分の予算を提供することまでは踏み込まないケースもあります。ですからまだまだその色合いは鮮明ではありませんが、変わっていく「芽」は感じます。

番組コンテンツは本当にテレビ局のもの?

更に言えば、番組コンテンツは「誰のものか論」があります。
著作権を持っているとされる、日本のテレビ局は果たして本当にコンテンツホルダーなのか、という問題です。オールライツを取っているはずなのに、2次利用における細かい細則で縛られていて、実質オールライツにはなっていないことが多いのは確かです。もちろん出演者やスタッフの権利は尊重されなければなりませんが、それにしても、不自由な権利しか持てていないのが実情ではないでしょうか?
「これからはコンテンツの時代だ」と、あちこちで声が上がってから、もう既に結構な時が経っていますが、制作者の権利意識について、もう少し踏み込んだ議論をしないと、コンテンツは日本というガラパゴスで死滅するしかないのかもしれません。



コンテンツプロデューサーの三枝孝臣です。メディアの現在と未来を僕なりの視点で語ります。ベンチャー企業経営者としての日々についても綴って行きます。