三十にして立つ
“なんのために生まれて
なにをして生きるのか
答えられないなんてそんなの嫌だ!
今を生きることで熱い心燃える
だから君はいくんだ微笑んで
そうだ嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷がいたんでも
(中略)
なにが君の幸せ
なにをして喜ぶ
わらないまま終わるそんなの嫌だ!
忘れないで夢をこぼさないで涙
だから君は飛ぶんだどこまでも
そうだ恐れないでみんなのために”
ーやなせたかし(1988)
私は何をして生きるのか。人生で事ある毎に自身に問うてきた。
2008~9年あたりからAmeba Blogのアカウントを作ったのは高校2年生の秋頃。部活動で夏の合宿前に怪我をした。自身が戦線に復帰する夏休みが終わる頃には、皆が成長していて焦る思いを文章にした。高校3年の受験期、浪人生、大学では1つのプロジェクトが終わる毎に無性に文章を書きたいとキーボードを叩いた。書きかけの下書きの文章は20以上ある。いずれかのblogサイトに投稿した文章も合わせるとその数40を超える。その半数以上は自身の”迷い”を表現しようとしていた。『何者でもない自身の何者かになりたい思い』というタイトルでかかれた下書きがある。自分はなんのために生きているのか、答えられなくて悩んでいたのだ。
この1年間私は、迷いに迷ったのだ。1年前から同棲を始め、人生を伴に走る相手かどうか推し量っていたのか。表向きにはそう言っていたこともある。しかしそれは本意ではない。自分に時間が欲しかったのだ。何者かでありたかった。”かっこいい仕事をして、かっこいい身なりで、オンナにモテて・・・”そんな自分でいたかった。
だが、今生きている自分はそうではない。その理想とは程遠い。そのような現象面の自分と理想面の自分のすり合わせをしたかった。そのための時間が欲しかったのだ。
実際に同棲を始めた。今を生きた。生活を受け入れた。すべてと戦っていたかった。ただ、他者と生活をすることは、いかに他者が他者を受け入れることだと気付かされた。
その上で、すべてと戦う必要はない。10のスキルがあるとすればその10個すべてで勝負する必要があるのか。いやスキルは振ろう。これはドラゴンクエストで学んだことだ。一つ一つの課題(魔物)をコツコツこなしながら、大きなビジョン(魔王から姫を守る)を遂行していく。これこそ取るべき最大の態度であり、熱い心で今を生きることであろう。そうしたら自然に、日々微笑んで、生きる喜びを感じながら生活ができる。少々の傷は痛くない。
一方で、それが君の幸せなのか?と自身に問う。喜びとは生活を受け入れることなのか?
そんなのはわからない。人生の最後を迎えるときにさえわかるかどうか。
今現在わかっているのは、これまでも、そしてこれからもおそらく私は、東京、消費社会のことを考えているのが好きだ。
元来、大学ではマクルーハンをテーマにメディア(技術)と社会の諸相の相関関係を研究し、小売の王様で”あった”百貨店に就職した。休日はもっぱら商業施設を回わり、百貨店の歴史や自社のことが書かれた刊行物を読み漁る。これからの商業施設はどこへ向かえばいいのか、日々考え、飲み屋で数少ない仲間と語るだけではなく、やはり社会との作用反作用を起こしていきたい。そう感じていた。
私は、ファッションが好きなのか?百貨店が好きなのか?商業施設が好きなのか?それは、違う。東京とそこで行われる人々とその暮らしの変容について考えていくことが好きなのだ。マクルーハンはいう「The medium is the message.」東京という場所だからこそ、伝わること、そして伝えるべきことを考えていきたい。それは、私自身の使命「なんのために生まれてなにをして生きるのか」を答えていくための問いなのだ。
“アンパンマンは君さ
(中略)
愛することをやめないで”
ーやなせたかし(1991)
私は”東京”生まれ”百貨店”育ち。この”東京”を愛することをやめない。百貨店、消費の場を愛することをやめない。
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