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彼女にすすめられた少女漫画「来世は他人がいい」を読んでみた

概要・あらすじ

関西最大の指定暴力団四代目桐ヶ谷組直系染井組組長の染井蓮二を祖父に持つ女子高生・染井吉乃は、祖父が関東最大の指定暴力団である五代目砥草会直系の深山一家総長・深山萼と兄弟盃を結んだことをきっかけに、勝手に深山総長の息子・深山霧島と自分の婚約を取り付けてきたことを知り困惑する。しかし、あまりにも物事が順調に進んだため、流されるまま吉乃は東京の深山一家の家で暮らすことに。

マンガペディア

複雑化した「関係性モデル」から読者を守るための舞台装置として機能する「異世界化」

「来世は他人がいい」の一貫した特徴は、複雑で高度で煩わしい人間関係と危険で偶発的で予測不可能な事件の遭遇です。シンプルに言い換えると現実的な恋愛に近い物語が展開されているともいえるでしょう。現実の恋愛では傷つかないことはありえません。浮気したり、セフレにされたり、倦怠期に入ったり、周囲に反対されたりするかもしれません。「来世は他人がいい」では人間関係の縺れや関係性を揺るがすイベントが定期的に発生します。

【一巻】爽やか風イケメン「霧島」が本性を現すシーン
【一巻】東京へ引っ越してきたばかりの「吉乃」がイジメられるシーン

虚構の世界がこれほどまでに複雑な関係の中にあり偶発性に左右されてしまうと、漫画を読むこと自体が敷居の高いものにならざるをえなくなります。つまり、読むだけで傷ついてしまうような体験を読み手に植え付けてしまいます。メディア体験自体がもたらしうる危険に対処する無害化の手段として「異世界化」が用意されています。読み手が置かれた現実から完全に切り離された「暴力団の世界」に関係性を埋め込むことは、そっくりそのまま防御装置としての「異世界化」を意味します。

対自的なもの・ありそうにないもの・危ういものとして理想化された女の子(=染井吉乃)

吉乃には一昔前の社会が期待していたような少女らしい少女の特徴はありません。小さい・白い・丸い・柔らかいといった「かわいい」ものへの志向性も持ちません。箱入り娘的に自分だけの「繭」に閉じ籠ることもないです。閉じこもるどころか、霧島一人で詐欺集団がいるクラブへ向かわせないように一緒に捜索する責任感があります。吉乃は霧島に助けられはするものの、ご綺麗な服に身を包み雄々しく悪漢に立ち向かっていきます。「ひらひら」ではなく「ヅカヅカ」へ、「かわいいカルチャー」ではなく「宝塚的な凛々しさ」へ「閉ざされ」から「開かれ」への志向が強く表れています。

【二巻】詐欺行為をした構成員と争うシーン


【二巻】ドライヤーで構成員を殴った後に凄む吉乃

異常な精神力・胆力・度胸を持った美しい容姿の吉乃は、一方で普通の女の子がよくある悩みを持つます。霧島が何を考えているかも分からないし、それゆえに何をしたらいいかも分からないのです。友達や仲間がいればその人たちに相談するのですが、吉乃は同世代にもなじめておらず、家族もいない東京にいる設定なので孤立しています。人間関係から必要なリソースを受け取ることが出来ないのでインターネットしか頼るものがないのです。友達に悩みを話せない女の子が好きな人と何を話せばよいか分からず、情報商材に手を付ける現実と酷似しているようにも見えます。こういったシーンはいくつも用意されていて、「来世は他人がいい」が好きな人たちはその中から「これって私的!」と感じられる話を見つけるのでしょう。

【三巻】霧島に飽きられそうで悶々とする吉乃

自分の思い通りにならない「他者」としての男の子(=深山霧島)

さらに私だけではく彼、すなわち自分の思い通りにならない「他者としての男の子」が登場します。主人公は、好きな男の子に直接的・間接的に否定され、その中で変わっていかざる得なくなります。もともと吉乃は一人で問題を解決しようとするたちでしたが、二人に変化します。

【一巻】霧島に鍋をおごってもらうシーン


【三巻】問題解決主体がIからWeになった場面


【三巻】問題解決主体がIからWeになった場面

「唯一性の規範」を象徴するための入れ替え可能な存在としての浮気相手(=汐田菜緒)

私の推しは「汐田菜緒」です。世の中に絶望している感じが良いですねえ。菜緒は主体なきかわいいコミュニケーションに心底で絶望しているように見えます。それと同時に自分自身もコミュニケーションの形式的な同一性を当てにして対人関係をやり過ごすクズだと自覚しています。

1960年代は若者は共有してビートルズを見たり、みんなで同じ雑誌を見たり、理解のある大人たちのいうことを聞かずに立ち入り禁止の場所に入ったり、みんなで同じ世界に入ることができました。ただし、メディアも含めてどんどん細分化が進み、インターネットがその流れを加速しました。それぞれの人がそれぞれのメディアを見ている状態なので、隣の人は自分と同じ仲間なのか全然分かりません。

内容的な共通性が失われていくと同時に形式的な同一性が流通するようになりました。「『かわいい』と言っておけば何とかなるよね?」という話です。私的な場面で、しかし決して「本当の私」同士が出会わないような、それでいて持続的なコミュニケーションを可能にする極めて巧妙なデバイスが「キュート」です。「キュート」は非常に便利なコミュニケーションコードですが、はっきり言ってごまかしです。菜緒はそういう粉飾決算的な会話に心底嫌気がさしているのでしょう。

【三巻】対人関係の形式的なコードとして「キュート」を使い分ける女たち

菜緒は仕事も勉強も必死に頑張ってきたし、顔もいいし可愛いし気も利いていてセックスもいいです。でも、そんな人いくらでもいるのですよね。「頭が良い人」「顔がいい人」「セックスが上手い人」条件プログラムで駆動する以上、入れ替え可能なシステムから抜け出すことはできません。入れ替え可能性の象徴=汐田菜緒、唯一性の象徴=染井吉乃として綺麗に対比されています。

【五巻】あなたみたいな優等な人間はいくらでもいるのよ

彼女は無害な小世界の話が好きなのかもしれない

彼女がありそうもない小世界(=日常世界)の話が好きなのかもしれない。おすすめされたコンテンツ(「コードネームUNCLE」「アバウト・タイム」「すずめの戸締り」)はどれも小世界のお話で、殺し屋・タイムリープ・常世などすべてがありそうもなさによって、僕たちから完全に隔離されている。最近、サイレントにハマっているらしいがあのドラマも小世界の中で、複雑な関係性モデルと偶発的な事件が次々と展開されていく。その危険から読み手を守るために「無害な共同性」が使われているだけで本質的には同じものな気はする。

彼女が好むコンテンツのパターンを見つけてしまったぜ。


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