三毛猫の女房 第4話 土下座の男たち 3

 花梨が久々に〈三毛猫〉を訪れたのは11月に入ってからのことだった。今度こそピッタリなサイズの「靴」が手に入ったので、それを渡したいと青井錬二《れんじ》から連絡があったのだ。
 そもそもそれは花梨の義兄・不動正義《まさよし》へのプレゼントなのだから、2人でやりとりしてくれればいいのに、どういうわけか今回も正義の都合が合わず、花梨に受け取っておいてくれという。
 花梨は花梨で、〈三毛猫〉の店内でたまに「うらないとひとさがし」の看板を掲げている忌野《いまわの》キワコに会いたい理由があった。そこで、その日は自分のやっている小さな和菓子の店を早めに閉めて、〈三毛猫〉で待ち合わせることにした。
「今度こそ大丈夫だと思います」
〈三毛猫〉の奥のフロアの、いちばん手前のテーブル席で花梨を待っていた大学生は、恐縮した顔で紙袋を渡してよこした。
 なかには正義の愛車ハマーH1と同じロゴがついたセイフティシューズが入っている。前回青井が贈ったものは、正義の足の大きさを過小評価していて、一回り小さいサイズだったのだ。
「確かに。何度もごめんなさいね、青井くん」
 花梨はずっしりと重い紙袋を隣のイスに置いた。
「こないだの映画、結局上映できることになったの?」
 彼女の質問に、青井は1年間〝寝癖〟を放置したような、まるでカイヅカイブキみたいにモサモサの髪を照れくさそうに掻いた。
「おかげさまで何とか12月に上映会ができそうです」
「それはよかった……あの口のうるさい〝先輩〟も納得してくれたのね?」
 花梨がそういうと青井は急に黙り込んでしまった。
 彼女がふと横を見ると、いちばん奥のテーブル席で忌野キワコと向き合っている小柄な男性が目についた。
 ツイードのジャケットに蝶ネクタイ、青々とした髭の剃りあとに黒々とした手の甲の毛──間違いない、その男こそが青井の映画の〝試写会〟の場を凍りつかせた男だった。
「何であの人、ここに?」
 花梨は慌てて目を反らしながら、声を低めて訊ねた。
「わかりません……ぼくが来たら、ちょうど荒熊《あらくま》先輩も来ていて」
「そうそう──アラ、熊さん」
 花梨も男の名前を思い出し、わざと間違ったイントネーションでそういった。それから青井の手元に「1」と書かれた番号札が置いてあることに気づいた。
「ひょっとして、青井くんも──?」
「はい、ぼくも順番待ちです。かれこれもう1時間になります。先輩に気づいてよっぽど帰ろうかと思ったんですけど、お約束もしてしまったし……」
「悪いことしちゃったわね」
「いいんです。キワコさんに相談に来たことは間違いないですから」
「キワコさん、相変わらず人気ねえ……」
 あの男はいったい何を占ってもらっているのだろうと興味が湧いたが、そこで急に別のことが気になって、彼女はあらためて青井をまじまじと見た。
「まさか、青井くんもキワコさんが目的じゃないでしょうね?」
「は?……どういう意味ですか?」
「あれ、ごめん、わたしの早とちりだったかも……以前、キワコさんにぞっこんになった男性がいて、その人が何度も占いにかこつけて彼女を口説こうとして……結局、玉砕していたから。ちょっとそれを思い出しちゃって」
 だが、青井はそれを笑い話にはせず、妙に真剣に受け止めてしまった。
「……何か悪いこといっちゃった?」
 大学生はゆっくりと首をふり、それからふたたび花梨を見上げた。
「つかぬことをお訊きしますが、水沢さんの〝守備範囲〟って、下は何歳ぐらいまでですか?」
 唐突にそう訊ねてきた。
「〝守備範囲〟……?」
 と聞き返しておきながら、花梨はその意味に気づいてドキッとした。
 すると、青井も急にモジモジしはじめて、
「あの……そういうことじゃないんです、つまり……」
 青井の顔は一瞬にして真っ赤になったが、肝心な説明の言葉がつづかない。しばらく経つと今度は顔色が青くなってきた。
 わかってる、青井くんにはきっと誰か別の人がいるのよね?──そう助け舟を出そうとしたとき、急にテーブル脇に人影が現れた。マスターの圭介ではない、もっと背の高い男性だった。
「どうもッス」
「簗瀬《やなせ》くん──!」
 花梨はさっき噂をしていた男がいきなり目の前に登場して慌てた。
「ご無沙汰しています」
 ぺこっと頭を下げたひょろ長い若い男は〈千登世《ちとせ》橋交番〉に勤務する巡査だった。キワコに〝ぞっこん〟だったのはまさに彼なのだ。今日も非番なのだろう。一時期はキワコが店にくるタイミングと非番が重なる日は必ずといっていいほど顔を出していた。
 花梨はその彼の手にバラの花束が用意されていることに気がついて、急にイヤな予感がしはじめた。
「きみ、次の番?」
 簗瀬が青井に向かって「2」番の札を見せた。
「悪いけど変わってくれないかな? おれの用事はすぐに済むから……」
「ねえねえ、簗瀬くん……ちょっと座りなよ」
 花梨は紙袋をどかして、強引に簗瀬を座らせた。
「キワコさんのことはとっくに諦めていたんじゃなかったの?」
 そう小声で訊ねた。
「誰がそんなこといいました?」
 非番の巡査は平然と答えた。
「確かにしばらく時間を置きましたけど、そのあいだにたっぷり勉強してきたんですよ。〝恋愛〟っていうのはね、花梨さん、今じゃ大学でも教えているんですよ」
 そういわれて花梨は現役大学生の顔を見たが、青井は困ったように首を傾げただけだった。
「いいですか、〝恋愛〟というのはいくつか戦術があるんです。心ばっかりじゃいけない。頭も使わなくちゃ」
 簗瀬くんって、こんなキャラだったっけ?──花梨は不思議に思った。以前はもっとつかみどころのないヌーボーとした性格だったはずなのに。
 まるで別人のような簗瀬はつづけた。
「思えば、最初のアプローチは悪くなかったんですよ。お互いに〝秘密〟を共有することは男女が親しくなる第一歩ですから。それに占い師が相手なら、悩みを打ち明けるにしても、初めの〝垣根〟が非常に低いですからね」
「確かにそうね……」
 花梨は無難に相づちを打った。そこから話がどう展開していくのか予測がつかなかった。
「しかし問題は、占い師というのは、他人の秘密を聞くのが商売だってことです。そういう相手にいくら悩みを打ち明けても、それは個人的な付き合いを深めることにはならない」
「そりゃそうね……」
「で、仕方なく戦術を変えました」
 簗瀬がそういうと、青井も興味を示しはじめた。
「次の戦術は〝食事に誘う〟ってことです。これなら一気にパーソナルスペースを縮めることができるし、相手も食事を奢ってもらえるなら、とハードルを下げてくる」
 青井がふんふんとうなずいた。
「でも、この作戦はキワコさんが引いた〝カード〟に拒絶されてしまいました」
 悔しそうな顔で簗瀬がしみじみといった。ようやく人生の辛酸がわかってきたという表情だった。
「そうなると、残る戦術はただ1つ──」
「ただ1つ?」
「そう。〝最後通告を突きつける〟──これしかない」
 でも、それってもうやったんじゃないの?──花梨は喉まで出かかった言葉を呑みこんだ。
「というわけで、順番を譲ってくれるよね?」
 簗瀬はちょっと警官口調になって、青井に再度迫った。
 青井は素直に「1」の番号札を差し出して、簗瀬の札と交換した。
 ちょうどそのときイスの脚がフロアを擦る音がして、荒熊が立ち上がった。何事か決心したようにキワコに向かってうなずくと、スタスタとこっちに歩いてくる。
 青井が慌てて声をかけようとしたが、同時に長身の簗瀬が立ち上がったので、相手はまったくこちらに気づかないまま、軽快に階段を上がっていってしまった。
「では──行ってきます」
 簗瀬は何も気づかず、自分の世界に没入していった。

 確かに宣言通り、簗瀬は大して時間をかけなかった。いつかのように店から駆けだしていく彼の背中を見送りながら、花梨はため息をついた。
 今度はなんといって断られたのだろう? 前回のようにカードを引くまでもなく、簗瀬は玉砕したのだった。
「──聞きたい?」
 と、突然、キワコが花梨の方を向いて、マグカップを片手に立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。まるで花梨の心を読み取ったようないい方だった。
「えーと、次は青井くんかぁ……今日は忙しいなあ」
 少ししもぶくれのキワコの顔が、ちょっとホッとしたようにほころんだ。
「今回はなんていったの?」
 花梨はそう訊ねた。
「〝簗瀬くんはねぇ、残念だけど匂いがダメ〟──そういったの。奴《やつ》がいろいろ勉強しているようだったから、今回は遺伝子レベルで科学的に断ってあげた」
 キワコはさらっとそういった。
「それ、ホント?」
「さあ、どうかな?……でもまあ、あそこで〝土下座〟までしてきたら、食事ぐらいはいっしょに行ってあげたかもね」
 キワコは青井に向かって「ちょっと待っててね」といってから、マグカップを持ってカウンターに向かった。
「青井くんが何を相談したいのか知らないけど……」
 花梨は青井に視線を戻してそういった。
「……女性不信にだけはならないでね」
 本当は、さっき帰った荒熊が圭介に預けていったという1枚のタロットカードの〝謎〟について、何かその後わかったかキワコに聞いてみたかった。だが、花梨はすっかり疲れてしまって、その日はそのまま退散することにした。
 自分がはじめたのが「スイーツのお店」でよかったとつくづく思った。とても占い師なんて──キワコの真似なんて自分にはできそうにない。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

1

川口世文

三毛猫の女房

各電子書籍ストアで好評発売中! 弁護士事務所という「家事」を手伝う不動正義(ふどう・まさよし)の奮闘と失恋を描いたホーム(法務)&ハートフルコメディ──『法律事務所×家事手伝い』シリーズ。そのスピンオフとなる連作短編小説集が『三毛猫の女房』です。 東京・雑司が谷でカフェ&...
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。