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不定期日記。2023-03-06

 世の中には、草木を伐採するとやれ自然破壊だとか、草木を植林して自然を増やそうとか、そういった主張をする人がいる。
 さて、とある山に立ち並ぶ杉の木を全て伐採したとして、その杉林は戦後の木材需要のために大規模に造林されたものだったとして、それは自然破壊なのだろうか。
 何もない土地を開墾して、土を入れ替え肥料をふんだんに撒き、もともとそこにありもしなかった野菜など植えそれが育ったとして、それは自然保護なのだろうか。

 新明解国語辞典で「自然」と引くと「本来の形や性質が破壊されたりゆがめられたりしていない状態・意図的にしたのではなく無意識のうちに(ひとりでに)そうなる様子」といった説明がある。まさに自然とはそういうことだろう。なので、そもそも大元が自然でないものを保護することを自然保護と呼ぶのには大いに違和感がある。

 自分も歳を取り様々なものを見聞きしてきて、この頃は、人間に出来ることなど限りがあるのではないかと感じる。やれ政治が悪い・人々の考え方が間違っている、と言うが、そういう問題ではないのだろう。

 例えば少子化の問題。人が豊かになって楽しみが増えたため、子供を持ちたがらない人が増えた、先行きを勘案して、子供を持たない人が増えた、色んな理由・理屈は組み立てられるが、全体が増えすぎた事に対して、種全体としての自然な遺伝子的選択なのだ、という見方も否定できないと思う。学校あるいは社会におけるいじめの問題も、強い種を厳選し淘汰しようという、本能的な何かの現れなのではないかという推論も、完全に否定できる根拠はない。それを抑えられるのは理性だが、理性と野生というものは相反するところにあるものだし、自然はいわば野生の上に成り立っている。
 要するに、今の状態はまさに自然の成す技なのではないかと思うのだ。

 恐らく人間には、物事をより良くできるはずの知性はあるのだろうが、自然の力には遠く及ばない。何なら自然は巨大な天変地異を起こすし、地球は過去の歴史上、大きな隕石の到来で何度も文明を失っている。
 それでも地球そのものは何十億年も残っているし、何らかの種がその都度、繁栄してきた。
 人間が環境を破壊する・地球を滅ぼす、なんていうのは思い上がりも甚だしいのかも知れない。人間が何をしたところで、地球そのものは滅びることはない。もし地球を滅ぼすものがあるのだとしたら、地球外の宇宙の力しかない。

 宇宙から見れば小さく無力な存在の人間が、人間同士で権力争いや諍いごとを起こす、そんなことのために高尚な科学やテクノロジーが使われるというのは、滑稽ですらある。
 インターネットの黎明期に、我々は明るい未来を想像したが、今日それは悪夢に変わってしまった。それは人間の本質に依るものだと思わざるを得ないし、しかしそれこそまさに人間の自然な姿なのだろう。

 と言って、世を儚むこともない。この銀河系に今のところ、地球外生命は見つかっていない。だとすれば地球に存在する生命、虫であれ魚であれ、犬であれ猫であれ、大いなる奇跡だ。人間など奇跡中の奇跡だ。そしてその人間として生まれ育った私もあなたも、宝くじ当たったどころの騒ぎではない。何一つ儚むことなどない。

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