スクリーンショット_2019-08-21_20

「エモい」に関する考察と僕の新提案「チルい」

今回は数年前に流行りだし、今では広く一般的に使われるようになった言葉「エモい」について考えてみようと思う。

「エモい」は、感情的な様や情緒的な様を意味する「emotional(エモーショナル)」の略と言われており、もともと音楽界隈で生まれ、インターネット、日常会話、そしてメディアでも使われるようになった。

ちなみにしばらく前に「えもいわれぬ(なんとも言い表せない、形容しがたい)」が語源であるとまことしやかに囁かれていたが、デマである。

「エモ」の中毒性

この「エモい」であるが、非常に便利な言葉だ。
もともとサブカルチャーが好きな筆者は、世間に比べて早いうちから「エモい」を使うようになったと自負しているが、正直この汎用性は異常だ。中毒性すら感じる。

なぜこれほどまでに汎用性が高いのか。
それはこの言葉の定義自体が非常に曖昧なものだからだ。

僕が考えるだけでも、「エモい」は以下の意味を内包している。

———————–
感情的、情緒的、叙情的、感動的、心に沁みる、懐かしい、切ない、ノスタルジック、琴線に触れる、言葉にできない、形容しがたい etc…
———————–

これだけの意味を含んでいるのだから、汎用性が高くないわけがない。

「あの音楽超エモいよね」「え、その話エモくない?」なんて感じで使っていればそれなりに話は通じるし、ある程度「こいつ、わかるクチだな」と思わせることも可能だ。

ただ最近になって、いくつかの点で危機感を覚えるようになってきた。

まず一つに、「エモい」を多用すると感情の言語化能力が著しく下がるのだ。

何かの感想を述べる時、まず第一に頭をよぎるのが「エモい」。
なんとか別の表現を模索するも、最終的に「要は、めちゃくちゃエモいねん」などと言ってしまう。やばいと思いつつも、「逆に『エモい』しか言えなくなるほど心打たれたこの状況から察してくれ」などというメタ的謎ロジックを振りかざしてしまう始末。

人々は「エモい」という言葉と引き換えに感情を表現する術を失った。なんとも皮肉めいた話だ。

「エモ」は薬にも毒にもなり得る

さらにもう一点、「エモい」は薬にも毒にもなりうるという話をしたい。

人間は「エモさ」を感じるために「ポジティブな感情」と「ネガティブな感情」の両方を経験する必要がある。

つまりどういうことかというと、

———————–
音楽を聴く→切ない歌詞に自分を重ねる(ネガティブ)→自分の気持ちを代弁してくれる、人と共有できていると感じる(ポジティブ)→エモくなる

写真を見る→戻れない過去、行けない世界を想う(ネガティブ)→その記憶、想いを糧にしよう、と想う(ポジティブ)→エモくなる
———————–

要は、「エモさ」とは必ず”痛み”を伴うのだ。

さらにいうと、この「ポジティブ」は自分の中で噛み砕き、ある意味無理やり「ポジティブ化」したものであることが多い。

精神衛生的に プラマイゼロ、むしろマイ なのである。

ただ僕自身「エモ」に取り憑かれた一人だ。
この感情が無性に心地よく、何度も「エモ」を摂取し、心を痛めつけては応急処置を繰り返していた。これはある種、心の自傷行為であり、その依存性や中毒性は看過できない。

こういった理由で、僕は手放しに「エモ」を推奨することはできない。

新提案「チルい」

そんな僕が新たに提案したいのが、「エモい」のネガティブ要素を完全に取り除いて上澄みだけ掬い取ったような感情「チルい」だ。

最近「チル」という言葉がにわかに流行りだしているのをご存知だろうか?

「チル」は英語の「chill out」(チルアウト)から由来した言葉で「くつろぐ」や「まったりする」「落ち着く」といった意味の俗語で、「チルしてる」「チルしようぜ」という感じで使う。

もともとはHIPHOP界隈で生まれた言葉で、最近は一般的にも使われるようになってきた。

この「チル」であるが、先ほども言ったように「エモ」のいいとこ取り、つまり「エモ」によってもたらされる「快」の部分だけを抽出したものだと思ってもらいたい。

エモい映画を観た時のことを思い出してもらいたい。
心が痛んだりモヤっとしたりするが、最後には何か心が洗われたような感覚になるのではないだろうか。

「チル」はこの心が洗われる感覚、リラックス・リフレッシュする感覚のことをいう。

具体的に「チル」を感じることのできるシチュエーションを上げたい。
(あえてキザなシチュエーションを上げてみたが、つまりはこういうことだ)

・朝起きて鳥のさえずりを聞きながらベランダでコーヒーを飲んでいる時
・天気の良い昼下がりに川沿いを散歩している時
・夕方に海辺で風を感じてたそがれている時
・夜中に缶チューハイを飲みながら一駅分歩いている時

これ、勘のいい人は気づいたと思うが、全部「エモい」とも表現することができる。

しかしここにはネガティブな要素はない。

要は言葉の問題なのだが、「エモいことしよう」と「チルいことしよう」では明確に体験の質が変わるのだ。

しかし、「エモい」しか知らないと、無駄に精神的にダメージを受けることになる。それはもったいないことだ。

「エモ」から「チル」へ

つらつらと書いて「結局言葉の問題かい!」という感じは否めなくもないが、僕がこの記事で伝えたかったのは、「言葉のニュアンスで行動のアプローチが変わり、最終的に得られる体験そのものが変わる」ということだ。

そして、それなら最適な言葉を持っておいた方が得だよね、ということで今回「チルい」を提案させてもらった。

「チル」という概念がこれからどれだけ流行るかはわからないが、僕はこの「チルい」という言葉を強く推奨していきたい。