君はどうせ君だよ_-01

言葉で私、を伝えること


今年の2月に、
母の50歳の誕生日をお祝いした。


『50』

という数字に特別感を見出したわけではなく、
初めて家族3人が揃った母の誕生日だった。


父は海外勤務で、母も海外出張が多い家庭。
そんな私達にとっては、3人揃うだけで特別なのだ。


普段は寡黙な父。


どこでお花を買おうか、
やっぱり薔薇がいいよね、
なんて話してる時間や
ケーキ屋で会員カードなんて
作っている後ろ姿は

ちょっとお母さんが羨ましくなった。


だって、父は
甘いものが食べれないはずなのに。




手紙を書こうと言いだせば、
父の筆が全く進んでいる様子がない。



下書き用紙が欲しいと言いだしたが、
その後も便箋は真っ白なまま。



最終的に完成した手紙には
八文字しか書かれていなかった。



え、これだけ?と聞くと
これがお父さんが伝えたい全てだから、とか言う。




結局、
次の日になっても私はその八文字の意味を理解できなかった。



お祝いは大成功。
照れながら嬉しそうにする母を見て、
心がほくほくした。



そんな母が、父からの手紙を読み
涙を流している姿を
半年経った今でも鮮明に覚えている。


その時、

ああ、
思いは伝えたい人にだけ
届けばいいんだろうな、
と気付いた。



あの父からの手紙は、
漢詩だったらしい。


母は沢山手紙や文章を残す人だ。
タンスの半分は、母からの手紙で埋まってしまっていたという父。

そのお返しは、いつも詩だったそう。



この八文字はどういう意味?と聞くと、
そんなの50年生きないと理解できないよ、と笑う父。

なんだか、父と母だけの秘密の暗号のようで
嫉妬した。




私達は、自分の言葉を
わかりやすく、
沢山の人に伝えようとする。


でも、
伝えたい人だけに、
伝わればそれでいいんじゃないか。

自分という人間からしか生まれない
感情や思いは、
大切な人だけに理解してもらえればそれで十分だ。


前回のnoteをシェアしたとき、
本当に公開すべきなのか、と
とても不安だった。

ネガティヴに捉えられたらどうしよう、
イメージ、変わってしまうかな。

そんな思いで、書いたnoteだった。



でも

公開後の反響は全く違った。

数年ぶりに話す友達からのコメントや
インターン先の先輩からのメッセージ。


自分が伝えたい思いが、
本当に届いた気がした。


抑揚や表情の存在しない、
手紙やnoteで、
大切な人に
また愛を伝えたい。

その人のことを思って
選ぶ言葉はきっと美しいから。



今年はいい夏になったよ。
最後まで読んでくれてありがとう。

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