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R/16

ロシアがウクライナへの侵攻を開始してから4日が経過した。

創元SF短編賞1次審査の結果が発表されて、そこにぼくの名前はなかったわけだけれど、かつてインターネットが作り上げた親しみやすい国家指導者というキャラクターが結局は"キャラクター"に過ぎなくて、それでもなお#まだ面白かったころのプーチンみたいなタグを使っているような、こうした複雑極まりない現実と向き合えない人々とおなじように、ぼくもこのつらい現実と向き合うことができず、この夜をやり過ごすためだけに愛車の赤いSAAB900のキーを持ってアパートの外に出た。駐車場にいたマネージャーが、ニトロさん、彼女はとてもよいドライバーです、といって笑ったので、じぶんのクルマはじぶんで運転します、といってリモコンキーを鳴らした。いや赤いSAAB900というのは嘘で実際は緑色のスズキ・エブリイワゴンだったわけだし、眉が太いマネージャも腕の良いドライバーも存在しないわけだけど、ここまで嘘をついてしまうと取り返しがつかないということは現在進行系でCNNが伝えているところなので、国道16号を走りましょう、そして死んでゆきましょう、とつぶやいて、ぼくはすべてをやりすごした。味気ない樹脂製のボタンを押すと、え?ほんとうにだいじょうぶ?っていうようなかんじのエンジン音がして、ETC受信機がメッセージを流しはじめる。来年カードの有効期限が切れますが、世界はこのまま存在できるのでしょうか?と彼はいうので、小さなクルマ大きなミライ、とぼくは返事をしてアクセルを踏んだ。アパートの前の市道から国道16号に入ると、ロードサイト店の原色看板だけが、その生きる意思を煌々と輝かせていた。

深夜25時。

この時間の車輌の平均速度はだいたい90km/h前後なので、死に向かって疾走しているといってもよかったし、ときどきほんとうに死んでいる者たちがこの道路には走っていた。赤く錆びついていて、しかもパンパンに膨らんだ荷台に廃材を満載した16輪トレーラーや、何らかのあぶない化学薬品を運ぶタンクローリーや、巨大な機械部品を運ぶタブル・トレーラーが、アスファルトに致命的なダメージを与えながら破壊的な走行を続けていた。アスファルトは切り裂かれるのではなく、どちらかというと揚げ煎餅みたいになったのちに粉々にされていくということは、サブ・アーバンの住民なら常識だった。サブ・アーバンはすべてがシティとは対極に位置している。成城石井の対極としてドン・キホーテがあり、大手町丸善の対極として〇〇書店みたいな名前の24時間営業のアダルトグッズショップがあり、シャネル銀座の対極として千葉鑑定団八千代店があった。国道16号線自体は青山通りの対極として国土交通省千葉県地方整備局に位置づけられていて、だから日野自動車製のダブル・トレーラーは青山通りではなく国道16号を走らなければならないが、日野のトレーラー・ヘッドである彼は、いつの日か表参道のルイ・ヴィトンを自慢のダブルホイールで破壊し尽くすことを夢見ていた。そのトレーラーの前には緑色のパトライトをつけた古いトヨタ・ヴィッツが「先導中」の行灯を屋根に乗せてゆっくりと走っていて、そのパレードの隣をぼくのスズキはゆっくりと追い越していく。その荷台には半分にカットされた鉄道車両が鎮座していて、それはかつて京成線で走っていた3400型と呼ばれる車輌の廃車回送だった。ねずみ色の塗装に青と赤のストライプが巻かれたそれは、もともとAE型という特急車両が廃車になって、その足回りを流用して造られたフランケン・シュタインのような電車で、こどもの頃からぼくはそのエピソードが好きだった。そうか、おまえもとうとう墓に戻るのか、とぼくはつぶやいて、平沢進の「パレード」を流そうとディスプレイ・オーディオに手を伸ばすと、流れてきたのは山下達郎だった。北総の国道16号線で山下達郎を流すなんでどうかしているし、このあとどんな最悪なできごとが起こっても不思議ではなかった。現にこうして、ぼくは小説の書き方を忘れたせいで嘘を並べたエッセイをウラジオストクにあるSF作家矯正教育施設で書かされているし、縦読みするとここから出してパニック作家万歳となるように文を仕掛けている。ぼくがあわててアーケイド・ファイアを流しはじめたそのとき、目の前の信号機が黄色を示したのでぼくはブレーキを掛けた。夜間感応式であるはずの信号機は、交差する細い農道にいる歩行者または車輌を感知したに違いなかったけれど、暗闇に続くその道路からはなにも出てこなかった。やっとR06A型ターボエンジンがあったまってきたところだった。すでに市街地を抜けていた。原野と解体業者の野立看板しか見えない夜の交差点で、さっきまであれだけ走っていた車両たちは消え失せて、かれらに痛めつけられた白線の残骸や、中央分離帯に立つ反射板が死んだようなあかりを灯していた。国道16号には死んでいるものがときどき走っている。ぼくはクリープ現象を活用して少しだけクルマを前に進める。信号機のLED灯火は、ニンゲンには感知不可能なほどの高速度で点滅を繰り返していて、はるか頭上を走る東京電力の高圧鉄塔からは、ジジジジという不快なノイズが流れ続けていた。そしてアーケイド・ファイアは歌い続ける。ぼくらはこのままじゃいられない。交差する歩行者用信号は青信号のまま変わらない。ぼくはハンドルを握ったまま、右手の人差指でそれをコツコツと叩きはじめていた。ただ流れを止めるためだけに設置された信号機、閉店しているのに灯りを灯し続ける家系ラーメン屋の電飾看板、自信満々で一次も通らなかった新人賞、世界に対する意味を抱いたままだれにも開示されないその投稿作、廃棄される私鉄の鉄道車両、愛すべき指導者は結局のところ単なる独裁者にすぎず、しかも彼のことを、つまり自分の国や隣の国や地域にいるひとびとを痛め続けるその独裁者を「愛すべき」と言っていた人間どもは、その国の国民ですらなかったのだ。そうだ。ぼくらはこのままじゃいられない。アーケイド・ファイアはそう歌うのに、問題は、信号機が一向に変わらないということだった。

そして背後から轟音がした。

それは明らかに、これまで並走してきた大型車輌たちの足音とは異なるもので、ぼくは反射的にルームミラーを見た。ほんとうに切り裂いている、と思った。アスファルトは押さえつけられるのではなく、布にハサミを入れるように流線的に切り裂かれていく。細く流れるようなHIDバルブのひかりがエブリイの車内を白く照らし出している。LED信号は赤いままだ。その車輌は減速をしない。その車両は加速しつづけている。近づいてくる。ピラーが形作る影はそのひかりに合わせてゆっくりを回転をはじめる。そして影はひかりに追いやられ、やがてひかりは僕の腕を走り、ついにそれは姿を現した。

GTR!

パープルの車体に信号機の赤い光を反射させたまま、その車輌、つまり日産スカイライン・GTRは疾走していった。郊外に存在したあらゆるひかりをその車体にまとって、太いマフラーにすらそのひかりを宿しながら、追い越し車線を走り、そしてすぐにぼくの視界からは消えていった。うそだろ、って思った。外気循環のエアコンからはガソリンが燃える匂いがして、その内燃機関の絶叫はエブリイのキャビンを振動し続けていた。いわゆる走り屋が好むようなEDMやダブステップの音漏れも、青いLEDの装飾もなく、ただひたすらにそれは走っていた。"走るために走る"その存在にたいして、信号機はなんの効力も持たなかった。無力感に打ちひしがられるように、信号機はそそくさと青信号に変わって、ぼくはゆっくりとエブリイのアクセルを踏んだ。後ろからトレーラーたちがやってきて、すぐに風景は元通りになったけれど、こころのなかの振動はやまなかった。走り続けてほしい。シンプルななにかが残ってほしい。世界は複雑で、ニンゲンもぼくもどうしようもないけれど、アーケイド・ファイアが歌うように、たとえぼくらが敵同士に立ってもなお、ぼくらはこのままじゃいられないと思い続けるのだ。走れGTR。走れスカイライン。走れ。

2キロほど先の交差点に日産スカイラインGTRは止まっていた。

その背後に千葉県警のトヨタ・パッソが赤い警告灯を回転させたまま停車している。ぼくは停止線でクルマを止めて窓を開けた。明らかに腹が出ている警察官が、GTRの運転席の横に立ってなにかを怒鳴っている。ごちゃごちゃいわない!その警官はいった。他のクルマは関係ない!

「はい1万6000円!」

ここは北総、国道16号。シティの対極。死んだものが走る世界。走り続けることが難しい複雑な世界。それでもこのままじゃいられない。ぼくの隣に座っていた腕の良いドライバーがいった。


中川家を観ましょう。そして、死んでゆきましょう。



中川家の寄席2020「スピード違反」
https://youtu.be/XyYAgGiHYwg

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