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グノーシス主義を考える(3)

〔第二部〕グノーシス主義とはどのような思想なのか(その2)

『ナグ・ハマディ文書』を読む(2)

「ヨハネのアポクリュフォン」

(3)中間界の生成(§26~43)

 この単元から、「ヨハネのアポクリュフォン」(『ナグ・ハマディ文書』)の叙述に大きな転換が訪れる。それまでは、プレーローマにおける上位の神格が階層的秩序のもとに整えられ、神霊界の秩序が形成されたかのように思えたものが一転する。かくして、カオス的様相を呈するのである。それまで見られたキリスト教との接点がなくなったわけではないが、希薄となり、異界の物語が繰り広げられるようになる。その発端となったのが、ソフィアという女性的神格をもったアイオーンの独断からであった。ソフィアは、異形の子ヤルダバオートを生みだし、彼がプレーローマの中間界を形成しそれを支配するようになる。

§26 ソフィアの過失
しかし、エピノイアの「知恵」は、彼女もう一つのアイオーンであったので、自分の内から、見えざる霊の考えと「第一の認識」と共に、とある考えを考えた。彼女は自分の中から自分の影像を出現させたいと欲したが、それはあの霊の意志なしにであった。ーーというのは彼女の伴侶はまだ同意していなかったのである。また、それは彼の考えを待たずにであった。彼女の男性性の人格がまだ同意していなかったにもかかわらず、また、彼女はまだ自分に合致する者を見いだしていなかったにもかかわらず、それでも彼女は霊の意志なしに、また、彼女と合致する者の知らないうちに、彼女の中にある凌駕し難い力のゆえに、それを生み出した。

ナグ・ハマディ文書抄

§27 異形の子の誕生
彼女の考えは無為のままではなかった。そして彼女の中から不完全な業が現われ出た。それは彼女の姿とは異なっていた。というのも彼女はそれを彼女の伴侶なしに創り出したからである。そして、それ(業)は彼の母親の姿に似ていなかった(母親とは)異なる形をしていたからである。

ナグ・ハマディ文書抄

 エピノイア(というアイオーン)すなわち「ソフィア」は、「第一の認識」と共に、霊の意志もえないばかりか、伴侶である男性性の同意もえず、ただただ「凌駕し難い力にまかせて」、いわば勝手に、自分の影像を出現させようと思い、そう(出産)してしまった。それは不完全な業であり、その姿は母親(ソフィア)に似ていなかった。

§28 ヤルダバオート
 原文を省略して主意を示せば次のようになる。
 ソフィアが自分の意志によってもたらした産物を見ると、それは彼女とは異なった、ライオンの姿をした竜の形をしていた。その者の目は稲妻の火のように光っていた。彼女はその者を自分のそばから外へ投げ捨てた。アイオーン(不死なる者)たちの誰にも見られないようにするためであった。なぜならば、彼女はそれを無知の中に造り出したからである。投げ捨てられた天使長は中空を翼で飛び回る悪霊(堕天使)たちの頭になるという異文もあるという。そして次のように結んでいる。《彼女は彼に光の雲を巻き付けて、その雲の真ん中に玉座を置いた。それは聖霊ーーこれは「生ける者の母」と呼ばれるーーの外には誰も彼を見ることがないようにするためであった。彼女はヤルダバオートと名付けた。》

§29 ヤルダバオートの世界創造
これが第一のアルコーンである。これは彼の母親から大いなる力を受け取った。そして彼は彼女から身を引き、彼が生まれた場所から離れた。彼は(それとは別の場所を)手に入れた。彼は自分のために、光り輝く火の炎の中に別のアイオーンを造り出した。彼は今なおそこにいるのである。それから彼は彼の内に在る「無理解」と一緒になった。「無理解」とはヤルダバオートと対をなす女性的な存在で、この「対」は光の世界に存在する四組の「対」に対応するものになっている。そして自分のために諸力を生み出した。

ナグ・ハマディ文書抄

 冒頭の〝第一のアルコーン″のアルコーンとは、ギリシア語で「支配者」の意である。造物神ヤルダバオートを「第一のアルコーン」として、その支配下に多数のアルコーンが存在し、地上の世界を統治していると考えられている。なお、「権威」「諸力」と並列的、交替的に現れることが多いという。(前掲書⑥「補注・用語解説・索引」/P477)
 さて、次の§30~§43は、ヤルダバオートが造物した者とそれらの名前が列挙される。彼らは二重、三重の名前をもっている。なお、§30 三百六十人の天使群は§36に転写されているので前掲書⑥では省略されている。

§31 黄道十二宮(獣帝)
 まず、黄道および黄道十二宮についての予備知識を『日本大百科全書(ニッポニカ)』から得ておく。

黄道および黄道十二宮:
 日の出や日没の直前・直後に太陽と背景の星との関係位置を観察すると、太陽が星の間を毎日すこしずつ東へ移動し、1年後にふたたび天の元の位置へ戻ることが見られる。太陽の天球上におけるこの運動径路は大円(天球面上に描くことのできる最大の円)でこれを黄道という。天球上の太陽のこの運動は地球公転運動の反映である。黄道は一平面にあり、この平面が地球の軌道面である。黄道は現在、うお、おひつじ、おうし、ふたご、かに、しし、おとめ、てんびん、さそり、へびつかい、いて、やぎ、みずがめの諸星座を通っている。黄道は天の赤道と互いに180度離れた2点で交わる。このうち太陽が赤道の南から北へ横切る点が春分点(現在うお座にある)で、その反対側が秋分点(現在おとめ座にある)である。
 黄道は現在、天の赤道(地球の赤道面を天球まで延長したときに天球上にできる大円)と約23度26分角(1度=円周の360分の1の角度。分は1度の60分の1の角度)をなす。これを黄道傾斜角という。黄道の位置や黄道傾斜角は毎年微小変化をする。なお、黄道から南北にそれぞれ90度離れた点を黄道の南極、黄道の北極という。黄道の南極はテーブルさん座、黄道の北極はりゅう座にある。
 黄道に沿った天域を12分割して十二宮とよぶ。春分点に始まり、黄経0~30度を白羊宮、30~60度を金牛宮、以下30度分割で双子宮(そうしきゅう)(双児宮)、巨蟹宮(きょかいきゅう)、獅子宮(ししきゅう)、処女宮、天秤宮(てんびんきゅう)、天蝎宮(てんかつきゅう)、人馬宮、磨羯宮(まかつきゅう)、宝瓶宮(ほうへいきゅう)、双魚宮とよんだ。これは黄道上の12星座である、おひつじ、おうし、ふたご、かに、しし、おとめ、てんびん、さそり、いて、やぎ、みずがめ、うおの各座に対応するもので、とくに古代オリエントに始まり、中世ヨーロッパで流行した、出生時の天界のありさまで人間の運命を占うホロスコープ占星術において、太陽、月、五惑星の位置を示すのに使われた。天球の歳差運動により春分点が現在ではうお座に移っているが、十二宮ではこの天域の名称は白羊宮で、現実の星座とは一つずつ食い違った命名になっている。

ニッポニカ

 §31 黄道十二宮(獣帯)を要約すると以下のとおりとなる。
 ヤルダバオートが生み出した第一の者の名は、アトート。代々の者たちが読んでいる名前があるようだが、当該文書では、不鮮明なためか破損したためなのかはわからないが読み取れない。アトートとは黄道十二宮の白羊宮(おひつじ)に対する隠語表現。語源については不明。二番目がハルマス(同じく金牛宮)、すなわち欲望の目。三番目はカリラ・オイムブリ(同じく双子宮)、第四がイアベール(同じく巨蟹宮)、第五はアドナイウー(同じく獅子宮)で、サバオート(ヘブル語で「万軍」の意)、第六がカイン(同じく処女宮)、第七はアベル。代々の人間たちが「太陽」と呼ぶ者。第八の者はアプリセネ(同じく天蝎宮すなわち「暴力の父」)、第九の者はイョベール(同じく人馬宮)、第十の者はアルムピエエール(同じく磨羯宮、「呪詛定式「神の面前での残酷」を考える説があるという)。第十一の者はメルケイト・アドネーン(同じく宝瓶宮すなわち「悪しき王」の意)、第十二の者はベリアス(同じく双魚宮(旧約聖書、外偽典、新約聖書、ラビ文献に広く現れる悪の天使長ないしサタンの別称)、すなわち下界の深淵の上に立つ者である。
 カインとアベルについては、前出の旧約聖書 創世記4-1~15において記述されている。

〔創世記4〕
1 .人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得えた」。
2 .彼女はまた、その弟とアベルを産んだ。アベルは羊を飼う者ものとなり、カインは土を耕やす者となった。
3. 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4 .アベルもまた、その群のういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧りみられた。
5 .しかしカインとその供え物とは顧かみられなかったので、カインは大いに憤どうって、顔を伏せた。
6 .そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤どおるのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
7 .正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
8 .カインは弟とアベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟とアベルに立ちかかって、これを殺した。
9 .主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
10. 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
11 .今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
12 .あなたが土地を耕やしても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
13 .カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
14 .あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
15 .主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

旧約聖書

§32 二重の名前
 
このセクションを要約すると以下のようになる。
 前セクションで命名された者たちはすべて、欲望と怒りから由来する別の名前があることが告げられるが、それぞれの名称の具体的記述はなく、サクラスというのが、ヤルダバオートの別名であることのみが記されている。なお、ヤルダバオートにはサクラスのほかにサマエール(盲目の者)、パントクラトール(万物の支配者)という名前をもっている。パントクラトールの語源はアラム語ないしシリア語で「馬鹿な」を意味する。ヤルダバオートの名前は、§35にて正式に命名される。
 これらの命名は、グノーシス主義における造物神の位置づけを如実に物語るところである。また、十二の者たちは、時を経るに従い遠ざかり弱くなるが、時によって力を得て大きくなるが普通であるという。

§33 七人の王
そして彼は七人の王たちをーー天の蒼穹に応じて一人ずつーー第七の天まで立て、また、五人を冥界の深淵の上に立てて、支配させることにした。
それから彼は彼の火を彼らの上に分け与えた。しかし、彼が彼の母親から受け取っていた光の力からは何も送り出さなかった。なぜなら彼は無知で暗黒だからである。しかし、光が闇と混ざり合ったとき、それ(光)は闇を輝かせた。しかし、闇が光と混ざり合ったとき、それ(闇)は光を暗くさせた。そして光にはならず、闇にもならなかった。

ナグ・ハマディ文書抄

§34 週の七個組(略)

§35 ヤルダバオートの三重の名前
 
§32で叙述されたヤルダバオートの二重の名前(サクラス)のほかにサマエール(盲目の者)が加えられる。そして、ヤルダバオートは〔無理解〕のゆえに不遜な者であると規定される。なぜならば、彼が「われこそは神である。われの他に神はいない」と言ったからであると。彼は無知であるからとも。

§36 三百六十五人の天使群
そこでアルコーンたちは自分たちのために七つの勢力を造り出した。また、その七つの勢力たちは自分のために、それぞれ六人の天使たちを造り出し、ついにその数が三百六十五人の天使となった。(※このセクションは§30との並行叙述である。)

ナグ・ハマディ文書抄

§37 週の七個組
さて、彼らの名前の一覧はこうである。第一はアトート、羊の顔をした者、第二はエローアイウー、ろばの顔をした者、第三はアスタファイオス、ハイエナの顔をした者、第四はヤオー、七つの頭を持つ竜の顔をした者、第五はサバオート、竜の顔をした者、第六はアドーニン、猿の顔をした者、第七はサッペデ、ぎらつく炎の顔をした者である。これらが週の七個組である。

ナグ・ハマディ文書抄

 このセクションの「週の七個組」の解説として、前掲書⑥の「ヨハネのアポクリュフォン注/P214」および巻末「補注・用語解説・索引/P497」から引用する。

《「週の七個組」とは七つの惑星を指す。ヘレニズム期の天文学と占星術では月、水星、金星、木星、土星がその七つの惑星であり、それらが神話論的に擬人化され、中間界以下の領域の悪しき支配者となっている。ギリシア語魔術文書や広範なグノーシス主義文書に、それぞれ隠語化された名前で登場する。§31の「十二人」と一部重複するが、七という数字は一週間の日数として説明される。同時に、七人のそれぞれが男性性と女性性の「対」関係に置かれる(§39)。七つの惑星の並べ方の順番については、ストアや中期プラトニズムなどの学派哲学の宇宙論においてさえ諸説あったため、グノーシス主義文書に隠語で言及される「七人」がそれぞれどの惑星に対応するかは一概に決められない。》

ナグ・ハマディ文書抄

§38 ヤルダバオートの多面相
 
このセクションを要約すると次のようになる。ヤルダバオートは無数の顔お持ち、どのような顔でもすることができた。そして彼らすべての上に住み、自分の火を彼らの上に分け与え支配した。その栄光は彼の母親(ソフィア)からの光として彼のなかに備わったものであるそれゆえ、彼は自分自身を神と呼んだ。しかし、彼は彼がやってきた場所に服従しなかった。
 「彼がやってきた場所」とはヤルダバオートがいる中間の場所をさす。グノーシス主義の神話では「あの場所」「この場所」という表現で超越的な光の世界と地上界を指し、「中間の場所」でその中間に広がる領域を表現する。

§39 七つの勢力
そして彼と彼と共に在る諸力に七つの勢力を混ぜ合わせた。彼の思考により、また、彼が語ることによって、それらが成立した。彼はそれぞれの勢力に名前を付けた。彼は上から始めた。第一の勢力は「善」で、第一の者アトートのもとに在る。第二は「プロノイア」で、第二の者エロアイオーのもとに在る。さて、第三は「神性」で、第三者の者アストラファイオーのもとに在る。第五は「王国」で、第五の者サンバオートのもとに在る。第六は「妬み」で第六の者アドネインのもとに在る。第七は「理解」で、第七の者サッバテオーンのもとに在る。さてこれらの勢力はアイオーンの天ごとに蒼穹を持っている。

ナグ・ハマディ文書抄

 ここで登場する「プロノイア」は§13に記された「プロノイア」とは別物。プロノイアの意味はギリシア語で「摂理」。ストア派では宿命(ヘルマルメネー)と同一。「ヨハネのアポクリュフォン」では前出(§13、23)のとおり、プレーローマ界に二つのプロノイアを、そして当該セクションにあるように中間界にもう一つのプロノイアを、さらに§77〔後述〕では、地上界に宿命を配している。なお、異文ではプレーローマ、中間界、地上界のそれぞれに一つずつプロノイアは配し、中間界と地上界については宿命と同一視しているする叙述もあるという。
 なお、グノーシス主義のプロノイア、「摂理」並びにストア派の「宿命」の関係については、同じく巻末「補注・用語解説・索引」に以下の解説がある。

プロノイア;ギリシア語で「摂理」の意。ストア哲学では宿命(ヘルマイメネー)と同一で、神的原理であるロゴスが宇宙万物の中に偏在しながら、あらゆる事象を究極的には全体の益にあるよう予定し、実現してゆくことをいう。あるいは中期プラトン主義(例えば、偽プルータルコス『宿命について』)においては、恒星天ではプロノイアが宿命に勝り、惑星天では均衡し、月下界では宿命がプロノイアに勝るという関係で考えられる。グノーシス主義はストアにおけるプロノイアと宿命の同一性を破棄して、基本的に宿命を悪の原理、プロノイアを至高神に次ぐ位置にある救済の原理へ二分割するが、文書ごとに微妙な差が認められる。(前掲書⑥P504)

ナグ・ハマディ文書抄

§40 二重の名前
これらは一方では上なるものの栄光に従って名付けられたもので、彼らの力を滅ぼすためのものである。しかし、彼らのアルキゲネトール(ヤルダバオートのこと)によって彼らに付された名前は彼らの間で力ある業をなす。しかし、上なるものの栄光に従って彼らに与えられている名前は、彼らにとって滅びであり、無力をもたらすものである。その結果、彼らは二つの名前をもっているのである。
さて、彼はこれらすべてのものを、すでに成立している第一のアイオーンの像に従って、整えた。それは彼らを不朽の型に倣って造り出すためであった。かれが不朽なる者たちを見たからではなく、むしろ彼の中に在る力ーーそれは彼が彼の母親から受け取っていたものであるーーが彼の中に美しき秩序の像を生み出したからである。

ナグ・ハマディ文書抄

 ヤルダバオートによって造物された者たちは、上なる栄光に従って名付けられ名前のもとでは滅ぼされ、ヤルダバオートによって名づけられた名前のもとでは力を発揮する。だから、彼らは二重の名前をもっている、また、ヤルダバオートは彼の母親(ソフィア)から受け取った力によって、第一のアイオーンの像(不朽の型)に従って彼が造物した者たちを整えることができたのであって、ヤルダバオートが不朽の型を見たからではない、とうことであろう。

§41 ヤルダバオートの思い上がり
しかし、彼は彼を取り巻く被造物と彼を囲んでいる多数の天使ーー彼らは彼によって存在するようになったのであるーーを見たとき、彼らはこう言った、『私こそ、私こそは妬む神である。そして私の他に別の神はいない』。しかし、彼はこう広言することによって、彼のもとにいる天使たちに向かって、(彼より)他に神がいることを暗示しているのである。なぜなら、もし他に神がいないのならば、神が妬むというのはいったい誰だというのか。

ナグ・ハマディ文書抄

§42 ソフィアの動揺
さて、あの母親は行きつ戻りつし始めた。彼女は自分の光が衰えたことによって、欠乏に気が付いたのである。そして彼女は暗くなった。なぜなら、彼女の伴侶が彼女の同意していなかったからである。
そこで、私(ヨハネ)は言った、「主よ、『彼女が行きつ戻りつした』とはどういう意味ですか」。
すると、彼は微笑んでいった、「モーセが『水の上に』と言ったのと同じ意味だと考えてはいけない。否、むしろ彼女は、今や生じて来た悪と彼女の息子が犯した強奪を見たとき、後悔したのである。そして無知の暗闇の中で彼女に忘却が生じた。そして彼女は動揺しながら、自分を恥じ始めた。その動揺が『行きつ戻りつ』のことなのだ。

ナグ・ハマディ文書抄

§43 ヤルダバオートの無知
さて彼、すなわち、あの自惚れ者は彼の母親からある力を受け取った。というのは彼は無知であったからである。なぜなら、彼は彼の母親一人以外にはいかなる力[力]も[存在]しないと考えていたからである。彼は自分が造り出した天使の無数の群れを見たとき、自らを彼らに対して誇った。

ナグ・ハマディ文書抄


「ヨハネのアポクリュフォン」

(4)心魂的人間の創造(§44~57)

 この単元では、§47から人(ひと)の創造について記述される。さきまわりしていえば、「ヨハネのアポクリュフォン」では、人間界及び人間はソフィアの過失によって生まれた造物神ヤルダバオートによって造られた、劣後するものであるとされる。つまり、造物神が至高神より劣後する〈神〉であることが説明されるのである。

§44 ソフィアの後悔
しかし、その母親は、暗闇のヴェールに関して、彼(息子)が完全に造られた者ではないことに気付いたとき、彼女の伴侶が彼女に同意していなかったことに気が付いた。彼女は後悔し、激しく泣いた。そして彼らは彼女の後悔の祈願を聞いた。そして彼ら、すなわち全プレーローマが彼女のゆえに見えざる処女なる霊に感謝を献げた。聖なる霊は彼らの全プレーローマの中から彼女の上に注ぎかけた。なぜなら、まだ彼女の伴侶が彼女のもとに到来していなかったからである。むしろ彼は彼女の欠乏を正すために、プレーローマから到来したのである。そして彼女は彼女自身のアイオーンへは引き揚げられず、むしろ彼女の息子の天へ引き揚げられた。それは彼女が自分の欠乏を正すまでの間、第九の天に留まっているためである。

ナグ・ハマディ文書抄

 留意すべきは、グノーシス主義の本質を示す用語が(筆者のような浅学の徒には読み飛ばしてしまいそうに無造作に)散りばめられていることである。このことについて、前掲書⑥補注・用語解説に従い整理する。
 その第一は霊である。グノーシス主義では人(ひと/ミクロコスモス)を霊・心魂・肉体(物質)の3つから成るとみることに対応して、宇宙(マクロコスモス)も超越的プレーローマ、中間界、物質界の三層に分けて考える。
 霊はグノーシス主義の世界観における最高の原理及び価値である。物質的世界に分散している霊は滅びることはあり得ず、終末においてプレーローマに受け入れられる。グノーシス主義における終末とは、プレーローマの中に生じた過失の結果として物質的世界の中に散らされた神的本質(霊、光、力)が、再び回収されてプレーローマに回帰し、万物の安息が回復されることである。その際、霊的なものはプレーローマに入るが、心魂的なものは「中間の場所」に移動し、残された物質的世界は「世界大火」によって焼き尽くされる。『ナグハマディ文書 写本2 この世の起源について』§116、142-150(前掲書⑥には未収録)は終末論を黙示文学的な表象で描いているという。
 一方、このような宇宙万物の終末について論じる普遍的終末論とは別に、個々人の死後の魂(霊)の運命について思弁をめぐらす個人的終末論があり、チグリス・ユーフラティス河の下流域に現存するマンダ教などを含めてグノーシス主義全体について見れば、頻度的には後者の方が多い。『ナグハマディ文書 写本1 真理の福音§32』(前掲書⑥には未収録)では「終わりとは隠されていることの知識を受けること」、とあるという。オカルトとは隠されたものを語源とする。このような霊に関する思弁の深化が後年、〈オカルトティズム〉として発展したように思われる。
 〈霊〉もしくは〈霊的なもの〉と対比されるのが〈心魂〉であり、心魂は中間界に該当する。心魂については§47にて叙述される。
 なお、ソフィアが留めおかれた「第九の天」とは、ヤルダバオートの支配する「第八の天」とプレーローマの間の領域を指す。

§45「第一の人間の自己啓示」
一つの声が崇高なるアイオーンから届いた、『「人間」と「人間の子」が存在する』と。
ところが、これを第一のアルコーン・ヤルダバオートが聞いたが、彼はその声が彼の母親から来たものだと考えた。そして、それがどこから来たものなのか認識しなかった。
そして、聖なる母父、また、完全なる者、完全なるプロノイア、見えざる者の影像、とはすなわち、万物の父、とはつまり、万物がその中に成った者、第一の人間が彼らを教えた。なぜならば彼は自分の形を立像のかたちで現したからである。
§46 アルコーンたちの視認
すると第一のアルコーンのアイオーン全体が震えた。そして下界の基盤が揺れ動いた。そして、物質の上に在る水を通して、その下側が、今現れてきた彼の影像の[※※※※]によって輝いた。そしてすべての諸力と第一のアルコーンが目を見張ったとき、彼らは下界の側の全域が輝いているのを見た。そして彼らはその光を通して、水の中にはその影像のかたちを認めた。
§47 心魂的アダムの創造
そして彼は自分の下にいる諸力たちに言った、『来なさい。われわれは神の像に従って、また、われわれの外見に従って人間を造ろう。それは彼の像がわれわれにとって光となるためである』。それから彼らはお互いの力を用いて、彼らに与えられた徴(しるし)に従て造った。そして、かの諸力たちのいずれもが、彼の心魂的なるものの中から、彼が見た像の形の中に在った徴を与えた。彼は完全なる「第一の人間」の外見に従って一つの実体を造った。そして彼ら(または彼女ら)は言った、『彼をアダムと呼ぶことにしよう。彼の名前がわれわれにとって光の力となるように』。

ナグ・ハマディ文書抄

 人(ひと)の創造についての叙述である。§45にある「人間」は「第一の人間」と同じ意味で、プレーローマ界の至高神のこと。必ずしもすべての神話が至高神にこの呼称を与えているわけではないが、「人間即神也」というグノーシス主義の一般に共通する根本的思想を最も端的に表現するもの。至高神は前出のとおり「人間」または「不死なる光の人間」、「真実なる人間」、「不朽なる者」、「生まれざる方」、「生まれざる父」、「不死なる父」、「存在しない神」、「万物の父」など多様な呼称で呼ばれる。「ヨハネのアポクリュフォン」では、至高神と同時にバルベーローも「第一の人間」と呼ばれることがある。バルベーローについては§13を参照。繰り返せば、至高神の最初の自己思惟として生成する神的存在であり、神話の隠れた主人公の一人。後述の§80において自己自身を啓示する。「完全なる人間は」は終末に到来が待望される救済者、すでに到来したキリスト、あるいは人類の中の「霊的種族」の意味でも使われることがある。(前掲書⑥ 補注・用語解説・索引P493)
 また「人間の子」とは、至高神とバルベーローから生まれた「独り子」あるいは「アウトゲーネス」(キリスト)のこと。『旧約聖書ダニエル書7‐13』《「 わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた」》以来のユダヤ教黙示文学の終末論に定着している「人の子」の叙述をグノーシス主義的に大筋をまね、細かい点を造り変えたものだという。(前掲書⑥「ヨハネのアポクリュフォン」注61)
 §46にある第一のアルコーンとはヤルダバオートの別称であり、一方、聖なる母父、完全なる者、完全なるプロノイア、見えざる者の影像、万物の父、万物がその中に成った者、第一の人間と列挙された呼称は、前出の通り至高神のこと。至高神が影像として姿を現したとき、第一のアルコーンすなわちヤルダバオートが属する中間界と下界が揺れ、至高神の影像が光り輝き、水の中に至高神のかたちが認められ、§47において、ヤルダバオートはその影像すなわち神の像に従って人を造ろうとする。この部分は、旧約聖書1-26〝神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう“の叙述と対応する。
 ヤルダバオートが配下の諸力に命じて造物した人の形は、外形的には神の影像と同一だが、言うまでもなく偽物である。最初の人はアダムと名づけられる。
 §48~53において、人(ひと)がいかにして造られたかが詳述される。

§48 肢体の合成
そして勢力たちは始めた。第一は「善」で、彼女は骨の魂を造った。第二は「プロノイア」で、彼女は腱の魂を造った。第三は「神性」で、彼女は肉の魂を造った。さて第四は「支配」で、彼女は髄の魂を造った。第五は「王国」で、彼女は血の魂を造った。第六は「妬み」で、彼女は皮膚の魂を造った。第七は「理解」で、彼女は髪の魂を造った。
さて、無数の天使たちが彼のもとに立った。彼らは諸力から心魂的なるものの七つの実体を受け取った。それは彼らが肢体の調和および部位の調和、また、一つ一つの肢体の美しい組み合わせを造り出すためであった。

ナグ・ハマディ文書抄

§49 人体解剖学
第一の者(天使)エテラフォーぺ(Eteraphaop[e])は頭を造ることから始めた。[アブ***]ンは頭蓋(骨)を造った。メーニッゲッストロ―エート(Menibbestroeth)は脳髄を造った。〔後略〕

§50 肢体に働く悪霊
さて、肢体の中で個々に働く者たちは、まず頭でディオリモドラザ(Diolimodraza)、腱でイアムメアクス(Jammeax)、右肩でイアクウィブ(Jakouib)・・・〔後略〕

§51 認識論と悪霊
そして「知覚」の上に(支配する)者がアルケンデクタ(archendekta)、そして「受容」の上に(支配する)者がディタルバタス(Deitarbathas)、〔後略〕

ナグ・ハマディ文書抄

 §49~51は多数の天使が人の身体の各部位、知覚、心象、衝動等を造る心魂の詳細に関する叙述である。
 §49では頭から始まり、頭蓋骨、脳髄、顔の各部位(右目、左目、鼻・・・)、さらに下部でる咽頭、うなじ、脊椎・・・左肩・・・指・・・乳房・・・各内臓、血管、性器・・・脚の各部位を経て爪で終わる。
 §50では肢体の中で働く悪霊が、§51では認識を支配する者が紹介される。認識は「知覚」「受容」「心象」「合致」「衝動」の5つに分類される。

§52 属性論と悪霊
さて、身体全体の中に宿る悪霊たちの源泉は四つに定められている。すなわち、熱気と寒気と湿気と乾燥である。しかし、それらすべての母は物質である。さて、熱気の上に支配する者はフロクソフィ(Phloxopha)、寒気の上に支配する者はエリマコー(Erimacho)、湿気の上に支配する者はアテュロー(Athyro)である。さて、彼らすべての母であるオノルトクラサイ(Onorthochrasaei)が彼らの中央に立っている。その際、彼女は無限定で、彼らすべてと混ざり合っている。

ナグ・ハマディ文書抄

§53 情念論と悪霊
そして彼女はまことに物質である。なぜなら、四つの指導的な悪霊が彼女によって養われているからである。すなわち、エフエメンフィ(Ephemenphi)は快楽に属する者、イオーコー(Joko)は欲望に属する者、ネネントーフ二(Nenentophini)は悲嘆に属する者、ブラオーメン(Blaomen)は恐怖に属する者である。さて、彼らすべての母はエステーンシスウク・エピㇷ゚トエー(Esthensisouch-Epiptoe)である。
さて、これら四つの悪霊から情念が生まれてきたのである。すなわち、悲嘆から(生まれてきたものが)そねみ、妬み、苦痛、苦悩、不一致、不注意、心配、なげき、その他である。また、快楽からは多くの悪と虚ろな自慢とこれらに類するものが生まれてくるものである。さらに、欲望からは怒り、傲慢、よよび苦渋、そして、にがい情欲、飽くことを知らぬこと、およびこれらに類するもの。恐怖からは恐慌、へつらい、苦悶、恥辱。
さて、これらすべては有益なるものの種族に属すると共に、悪しきものの種族にも属する。しかし、彼らの心理に対する洞察はアナイオ―(Anaio)、とはすなわち、物質的魂の頭である。なぜなら、ウークエピㇷ゚トエー(Ouch-Epiptoe)の七つの知覚だからである。

ナグ・ハマディ文書抄

 〈物質〉に注目しなければならない。前掲書⑥補注・用語解説によると、ギリシア語の「ヒューレー」(hyle)の訳語。中期プラトン主義は、「ヒューレー」(hyle)を「神」「イデア」と並ぶ三原理の一つ、「質料」の意味で用いるが、グノーシス主義は肉、肉体、あるいは泥などとほぼ同義の否定的な意味合いで用いることが多いという。ヴァレンティノス派では、三段階のソフィアの中間の位置にあるアカモート(エンテュメーシスの別称)の陥った情念から派生する。また、ナグ・ハマディ文書写本Ⅱ「この世の起源について」(前掲書⑥未収録)では「垂れ幕」の陰から二次的に生成し、カオスの中に投げ捨てられて、やがてヤルダバオートの世界創造の素材となる。 
  前掲書⑥注(71)によると、「快楽」、「欲望」、「悲嘆」、「恐怖」はストア派の情念論において四大情念とされるもの。さらにそれぞれが下位情念に分類される点もストアの情念論に並行するという。

§54 立ち上がれないアダム
以上が天使たちの数で、合わせると365となる。彼らすべては、心魂的かつ物質的身体が肢体ごとに彼らによって完全なものとなるまで、その(身体の)ために働いた。というのは、なお残る他の情念の上にはさらに別の者(天使)たちがーーこれについては私はまだ君に話していないのだがーー存在しているからである。しかし、もし君が彼らにつても知りたいと欲するならば、それはゾ―ロアストロスの書に記されている。さてすべての天使たちと悪霊たちは、その心魂的身体を整えるまで働いた。ところが彼らの仕上げたもの全体は長い間動けず、身動きできなかった。

ナグ・ハマディ文書抄

§55「力」の抜き取り
他方であの母親は、第一のアルコーンに与えてしまっていたあの力を再び取り戻したいと欲したとき、万物の母父、すなわち、大いなる憐みに富む者に願い求めた。彼は五つの輝く者を、聖なる決定によって、第一のアルコーンの天使たちの場所へ送った。彼らは彼(第一のアルコーン)に助言したが、それは(他でもない)あの母親の力を抜き取るためであった。(すなわち)彼らはヤルダバオートにこう言ったのである。『あなたの息を彼の顔に吹き込みなさい。そうすれば、彼の身体は立ち上がるでしょう』。そこで彼は彼に自分の気息ーーとはすなわち、彼の母親の力のことであるーーを吹き込んだ。彼は自分が無知の中にあることをまだ知らなかったのである。するとその母親の力がヤルダバオートの中から出て、心魂的身体、すなわち、彼らが太初から存在する者の像に倣って骨折ったものの中へと入りこんだ。その身体は動いた。そして力を得て輝いた。

ナグ・ハマディ文書抄

 筆者の解釈は以下のとおりである。
 365もの天使が動員されて造られた人、すなわちアダムの身体(ただし情念を除く)だがなぜか動かない。そこでヤルダバオートを生み出した母親すなわちソフィアは万物の母父すなわち至高神に助けを願い、至高神は5つの輝く者を第一のアルコーンすなわちヤルダバオートの天使たちのもとに送り込んだ。5つの光り輝く者はヤルダバオートに向けて「あなたの息をアダムの顔に吹き込みなさい」と助言した。それはヤルダバオートの母親ソフィアの力を抜き、それをアダムに吹き込むためであった。ヤルダバオートがそうすると、アダムすなわち心魂的身体、すなわち至高神の影像に倣って造られたものの中にその息が入り込み、動くようになった。
 なおここで強調されているのが、ヤルダバオートが造った人(ひと)は不完全な偽物で動きもしないということ。この記述が意味するところは、前掲書⑥注(76)によると、旧約聖書創世記2-7《主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった》を揶揄したものだという。なるほど、〈息〉を技巧的に象徴化している点で納得できる。旧約の造物神ヤハウェは、グノーシス主義の無知傲慢なヤルダバオートと同定され貶められる。

§56 光り輝くアダム
すると直ちに、残る他の諸力も妬み始めた。というのは、彼は彼らすべてによって存在するようになったのであり、彼らがその人間に彼らの力を与えていたのであるから。(それにもかかわらず)彼の理解力は彼を造った者たちよりも、また、第一のアルコーンよりも強大になった。
さて彼らは、彼が輝いており、彼よりも思考力が強く、悪から自由であることに気が付いたとき、彼を捕らえると、物質界全体の底の部分へ投げ込んだ。

ナグ・ハマディ文書抄

§57 光のエピノイア
しかし、至福なる母父、すなわち、善を行う者であり、憐れむ者は、あの母父の力--とはすなわち、第一のアルコーンから(今や)引き抜かれてしまった力のことであるーーを憐れんだ。またそれは、彼らが心魂的かつ感覚を備えたあの身体の上に支配するようになるかも知れなかったからである。そこで彼(彼女)は善を行う霊と憐みに富む者によって、アダムに助け手を送った。(すなわちそれは)光のエピノイアであり、彼からやって来た者であり、「ゾーエー」と呼ばれた者である。さて、彼女は全被造物のために働く。彼と共に労苦して彼本来のプレーローマへと彼を立て直し、種子の下への下降について彼を教え、帰昇の道ーーすなわちそれは(かつて)彼がやって来た道のことであるーーについて彼を教えることによって。そして、光のエピノイアはアダムの中に隠れている。それはアルコーンたちが気付かず
むしろエピノイアがあの母親の欠乏の立て直しとなるためである。

ナグ・ハマディ文書抄

 「ヨハネのアポクリュフォン」(3)(4)の叙述全般はグノーシス主義を理解するうえで重要な部分だと思われる。人(ひと)はグノーシス主義においては下層に位するヤルダバオートという異形で愚かで傲慢な造物神によって、至高神の影像に基づいて造られる。そのヤルダバオートは、プレーローマの調和を乱したソフィアを母として誕生した者である。ソフィアとは何者なのか、なぜ、プレーローマの調和を乱し、それに欠損を与えたのかーーについては何も語られない。説明できない人(ひと)の誕生は、人(ひと)が生まれるべくして生まれたわけではないことを強く暗示する。
 また、人(ひと)の造物の過程をふりかえると、〈肉体〉からではなく〈心魂〉から始まる。物質である肉体があっても、人(ひと)は人(ひと)として機能しない。手足も動かなければ、感覚もない、脳があっても考えられないし内臓も動かない。人(ひと)を人(ひと)たらしめるのは、心魂ゆえであり、心魂はヤルダバオートという不完全な中間界を支配する者の配下にある天使たちによって造物された。人(ひと)はそれゆえ、邪悪をさ本来的に埋め込まれた者なのだ。一方、その上位にあるのが〈霊〉である。霊は後年、発展的に形成されたカルト宗教に強い影響を与えている。霊の力によって、人(ひと)はプレーローマに回帰することができることが示唆される。〔後述〕
 さて、そこから誕生した初めての人(ひと)すなわちアダムだが、彼は動くことができない。それを救ったのが、万物の母父すなわち至高神によって遣わされた者によるヤルダバオートへの助言であった。その助言とは、ヤルダバオートに注入されている母ソフィアの力、すなわち至高神の威力をヤルダバオート自身が抜き取り、それを息にしてアダムに吹き込みなさい、というものであった。ヤルダバオートがそうするとアダムが復活し、アダムを造ったヤルダバオートより光り輝くことになった。それを見た彼の支配下にある者たちは、アダムを捕らえ物質界の底へ投げ込んでしまう。前述のとおり、ヤルダバオート=造物神=ヤハウェであり、グノーシス主義では造物神は貶められた神的存在なのである。
 物質界の底に投げ込まれた最初の人(ひと)すなわちアダムを憐れんだ母父すなわち至高神は、ヤルダバオートの勢力の企てに逆らってプレーローマから地上のアダムに啓示(いわゆる「原啓示」)をもたらす女性的啓示者である光のエピノイア(ゾーエーの呼ばれる)を送り込んで、アダム及び全被造物を救う。エピノイアはアダムをプレーローマへと向かうよう導く。。ゾーエーはギリシア語で「生命」の意。『新約聖書 ヨハネの第一の手紙』にある「永遠の生命」というときと同じ単語である。
 また、種子(人の子孫)に、向かうべき道についても教える。それは帰昇の道であり、アダムがやって来た道のことでもある〔前述〕。
 そして、光のエピノイアはアダムの中に隠れている。それはアルコーンたちが気付かずむしろエピノイアがあの母親(ソフィア)によってもたらされたプレーローマの欠乏(不調和)を立て直すためでもある。原啓示によって人類の進むべき道程が確定されたかに思えたのだが・・・(続く)

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