東京神父

別府出身、自由が丘在住。写真家。

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  • 神父の湯

    「神父の湯」では主に現在撮影中の「別府温泉ルートハチハチ」のメイキングの話をします。

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別府温泉は50年前の雨

今回撮影した菅野さんのインタビューに以下のような話が出てくる。 50年前に降った雨が温泉になる。とてもロマンチックな話だ。気になったので少し調べてみた。 つまり、別府市の温泉は火山性で元々は雨や雪で、大分市の温泉は非火山性で元々は化石水らしい。このサイクルが約50年で循環しているから、別府温泉は50年前の雨。というわけだ。湯けむりが雨の日や雨上がりによく見えるのは温泉の前世が雨だから。そんなことを考えたりもする。 菅野さんはインタビューの時にこんなことも言っていた。「温

    • 裏庭の泉源

      この日、僕は若草温泉の外観を先に撮影するためにモデルの田多さんとの約束の時間よりも1時間早く温泉に到着した。温泉前にはすでに組合長の長井さんがいらっしゃって、初めましてと名刺を渡したり、一通りの挨拶を終えて撮影を始めようかと準備をしていた。 そこへ現れたのは温泉の管理をやっているという温泉のすぐ近くに住んでいる菅さんだ。企画の説明などを長井さんと菅さんにしていると、僕も二人も別府人の血が騒いだのか、井戸端会議さながら話が止まらなくなってしまった。別府あるあるなのだが、初対面

      • よだきくない別府

        「よだきい」という大分弁がある。大分県出身の人なら恐らく知らない人はいないであろう有名な方言だ。「進撃の巨人」のサシャが劇中で「はぁ...よだきぃなぁ もおおぉ」というシーンがあるが、これは作者の諫山創さんが大分の日田出身だからで「めんどくさい」という意味だ。 僕が中学の頃は「よだきい」というのもめんどくさいから「けじー」と言ってましたが、これは完全に「山中弁(やまちゅうべん)」だ。(当時の山の手中学校でしか使われていなかった言葉)大分の人が面倒臭がりかどうかはさておき、別

        • 愛のスコール

          Sawa.ちゃんと初めて会った時の印象は強烈だった。見た目とのギャップもさることながら、そのキャラクターは何かが破綻しているようにも見えたし、深いコップ全部が愛で満たされているようにも見えた。 アーティストって往々にして矛盾を抱えてるものだけど、彼女の矛盾は人を幸せにも不幸せにもする感じがした。その中間はなし!と有無を言わさずねじ伏せる強さがあり、つまりそれはとても弱いこととイコールだと思う。 同じ匂いがした。嗅覚の話ではなく、彼女も愛をテーマに生きているんだと思うエネル

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        • 神父の湯
          52本

        記事

          庭園風呂の魅力

          今回撮影した「杜の湯リゾート」さんは別府でも珍しい水着を着て入れる混浴風呂がある施設。緑豊かな庭園露天風呂は恋人や家族、友人と一緒に水着で楽しめます。広い敷地に広がる7つの温泉を皆様も是非楽しんで見てはいかがでしょうか? 観光で訪れるのももちろん良いのですが、是非別府や大分に住んでいる方に行って欲しい施設です。今回モデルをお願いした亜須華さんもとても気に入ってくれてました。 以下、文章はオフィシャルサイトより抜粋。 ●気泡泉/ジャグジー ブクブクと吹き出る気泡のマッサー

          庭園風呂の魅力

          命の湯らめき

          温泉のたゆたいに光が反射して、 炎のように燃え上がり、 湯けむりのように沸き立つ。 人が湯に入って初めて 湯が揺れて、躍動する。 まさに「命の湯らめき」 別府にある末広温泉は管理者の高齢化や利用者の減少などにより、 温泉の営業を諦めていた。 2021年4月1日からようやく地域の若い人達の想いと頑張りのおかげで再開することになった。 オープン前の2021年3月27日。 無料開放日にこの映像は撮影された。 (映像はこちら↓) 地域の人々の想いがそのまま宿ったように、再開を

          命の湯らめき

          大仏温泉の由来とは?

          「大仏温泉」という名前は天満にあった「別府大仏」に由来する。1989年に取り壊された大仏の歴史を後世に伝えたいという思いを込めて、自宅の敷地内にある地域住民用の共同温泉を建て替えた山村さんがつけた名前だ。 昔は山村さんの家から大仏様の横顔が見えていて、近所の天満温泉からは正面が見えていた。別府八湯温泉道のスタンプを見れば分かるが、天満温泉は正面で大仏温泉は横向きの大仏が描かれている。こういう洒落たことをするのが別府人だ。 インタビューでアスタちゃんが答えているように、大仏

          大仏温泉の由来とは?

          金髪の大学教授

          別府温泉ルートハチハチは、温泉の魅力はもちろんのこと、別府に住んでいる「変態」を撮影して、別府に住む「人」の面白さを紹介する企画だ。僕の別府の知り合いはこの企画を知ってくれている方も多いので、時にはモデルさんを紹介してもらえたりもする。 加藤先生を撮影することになったのは「面白い先生がいるから是非撮影して欲しい」と別府大学の広報の方に紹介してもらったのが最初で、実際に会う前に様々な逸話を聞かせてもらい、興味を持ったからだ。卒業式に金髪に真っ赤なスーツで参加したり、学生達と一

          金髪の大学教授

          温泉閣とGUCCI

          今回撮影させていただいたのは鉄輪温泉にある温泉閣さん。昔は各地から参拝客が訪れていた一遍上人開祖の温泉山永福寺に隣接しており、宿坊として建てられ、その後旅館となって140年も経っている由緒正しき温泉旅館だ。 鉄輪のメインストリートである「いでゆ坂」に面していて、鉄輪温泉の伝統行事でもある「湯あみ祭り」の会場の一つにもなる。撮影中取り壊しの真っ只中だったヤングセンターもこの通りに面していて、温泉閣からは歩いて1〜2分の距離にある。残念ながらヤングセンターはすでに更地になってし

          温泉閣とGUCCI

          地獄がある街

          2013年から2021年9月までの長きに渡り、東京パフォーマンスドールの一員として活動してきた脇あかりちゃん。つい先日ラストライヴが行われ、今後も大分と東京に拠点を置いて活動していきたいと今後の抱負をブログに綴っていた。8年間本当にお疲れ様でした。 僕があかりちゃんに初めて会ったのは2019年。地元である大分県別府市のお祭り「湯ぶっかけ祭り」に参加していた時のこと。その時撮影した写真を「141歳の写真展」で展示したいとマネージャーさんに確認したことがきっかけで今回撮影の機会

          地獄がある街

          一日が出逢いで終わる街

          「一日が出逢いで終わっちゃうんですよね」 今回撮影した円城寺君がインタビューで言ったこの台詞は、彼が実際に別府で暮らして感じた生の言葉だ。文豪みたいな名前と格好の彼が言うと妙に説得力がある。 別府の街を歩いていると、知り合いに会って立ち話して、気付いたらもうこんな時間だ、なんてことは多々ある。そのまま一緒にでかけたり、温泉に行ったりなんてこともあるし、知らない人とも仲良くなったりする。文字通り出逢いで一日が終わってしまう。僕も流れ川通りを歩くだけで3時間かかったこともある(

          一日が出逢いで終わる街

          地獄の沙汰も人次第

          「地獄めぐり」は別府で1番有名な観光スポットだ。最近では流行りの鬼滅の刃の聖地になりつつある「八幡竈門神社」も有名だが、別府の観光と言えば「地獄めぐり」の名前が必ず上がる。 別府地獄めぐりは別府温泉に多数存在する様々な奇観を呈する自然湧出の源泉を、定期観光バスなどで周遊する定番の観光コースで、海地獄、血の池地獄、白池地獄、龍巻地獄は平成21年に別府の地獄として国の名勝に指定されている。今回撮影した海地獄が明治43年に施設を整えて入場料を徴収するようになったのが地獄めぐりのは

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          変態は変態を呼ぶ

          ネジ君と初めて会ったのは別府にある「Beppu Sake Stand 巡」という立ち飲みバーだった。ネジ君の彼女のちひろちゃん(ルートハチハチでもモデルをやってくれた)や共通の知り合いに「会わせたい」「会った方がいい」と言われ、facebookでもやりとりをして、2019年の年末に初めて会うことが出来た。 ようやく会えたという想いが強かったからか、初めて会うにも関わらず「久しぶり!」と言ってハグしてしまったのだが、実はその年の温泉まつりで僕が撮影した集合写真にたまたまネジ君

          変態は変態を呼ぶ

          筋肉は思想の媒体か?

          藤澤君に初めて会ったのは「141歳の写真展」の企画「POP BEPPU MAP」で彼が働いている「one gram」にポスターを貼りに行った時だった。 僕の中学の同級生がone gramで働いている青木さん(今回撮影した店長)の知り合いでポスターを貼ってもらおうと飛び込みでお店にお邪魔した。青木さんはその日不在で、対応してくれたのが藤澤君だった。 第一印象の爽やかさと対応の丁寧さを見て、すぐにルートハチハチで撮影したいと思った。自分のことを「私」と言うのも彼の真っ直ぐな生

          筋肉は思想の媒体か?

          温泉道とAPU

          別府八湯温泉道が始まったのが2001年。詳しくはリンクを見てもらうとして、この年の3月からAPUの一期生3人と浦達雄さん(初代名人)が白衣を着て温泉88か所を巡ったのが1番最初だったそうだ。2020年現在、1万代名人に(同じ方が何度も名人になっているので、人数でいうともっと少ないですが)届きそうな勢いだが、最初は参加する人も多くなかったそうだ。 なんとか別府やこの取り組みを盛り上げようと名人会を作り、初代会長に就任したのが今回撮影した「茶房たかさき」のオーナー高崎さんだ。僕

          温泉道とAPU

          計画よりも実行

          現在APU(立命館アジア太平洋大学)に通うインド人のアユ君は僕のfacebookの投稿を見て「別府温泉ルートハチハチ」のモデルに応募してくれた。来年(2021年)にはAPUを卒業して別府を離れるので、その前に是非モデルをやりたいということだったが、なかなかタイミングが合わず今回の別府への帰省では撮影は難しいと思っていた。 そんな中、仕事で撮影した別府海地獄でのナイトイベント「the hell」にたまたまお客さんでアユ君が遊びに来ていて、声をかけてくれた。今回は残念だったけど

          計画よりも実行