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今日は泣けちゃう話かも

こんばんは、金曜日担当の顔でかいタケウチです。

5月中の金曜日はタケウチのこと知ってもらうキャンペーンしています。

で、今日はおじいちゃんの話しようかなって思ってます。

自分の話じゃないんかい!!!って感じなんですが、祖父の生き方に憧れを抱く部分が多いので祖父の話をすれば、なんとなくタケウチのこともわかってくる気がします。

私が高校生3年の冬

突然、高校に電話きて、頭真っ白になりながら帰省したことを覚えている。
余命は宣告されていたが、体調が良く、亡くなる日の次の日に実家で家族みんなで過ごすってことになっていた時に、急に容体が急変し、帰らぬ人となってしまった。

正月に帰省したときに、父に今年はおじいちゃんの七回忌だよと言われ、もうそんなに年月が経つのかと思った。
僕は、おじいちゃんっ子で、両親が共働きのため、おじいちゃんにどっかに連れて行ってもらうことが多かった。
例えば、実家に親戚が集う日があった時、行きつけの焼き鳥屋さんに私だけ怖いおじさんたちと焼き鳥を食べに行っていた。そこで、お釣りとお小遣いもらったことを明確に覚えている。そのお小遣いはなんだか嬉しかった。サッカーの送り向かいもよくしてくれて、必ずポケットの小銭入れから150円を出してジュース代をもらっていた。野間馬ハイランドによく行った。

そんな祖父は80歳になってもゲートボール、民謡、ボウリング、卓球、家庭農園など本当に多趣味で、家に知らない人たちが来ていた。正月には、数え切れないほど年賀状が来ており、忙しそうに年賀状を書いていた。

リアルなコミュニティを数多く所属しており、楽しそうに老後生活を送っていた。

おじいちゃんのお葬式に、たくさんの人が来ており、正直驚いた
そして、その人たちが僕におじいちゃんがいつもヒロトのことを褒めてたよって自慢してたよって、いろんな人からおしゃっていた。祖父から褒められたことは一度もなかったけど、祖父が自慢できる孫にちょっとはなれたかなと思い、嬉しかった。

でも、高校に入学して以来、祖父と話した記憶がない。

おじいちゃんと最後に会った帰省の時にも、何も話さず帰ってしまった。

それが一番の後悔。

もっと祖父の自慢話きいてあげたかった

もっと成長した姿見せたかった

祖父みたいにいろんなジャンルのコミュニティに属して、

楽しい人生送りたいなと思うのは祖父のおかげかもしれない

ありがとうおじいちゃん

おわり

タケウチ







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