意味があったり、なかったり
こんばんは。
今週末の京都は、コートがなくても過ごせるあったか陽気でした。
春も近いですね。
春は1番好きな季節ですが、冬が終わってしまうのもちょっぴりさみしい。
そんな今週末は『京都』っぽく2日間を過ごしました。
昨日は、無性に二寧坂のスタバに行きたくなって、朝から歩いて八坂の辺りへ。
この辺りには(今風に言うと)擦るほど訪れてますが何度来ても『京都だなー』と感じられる景色が好きです。二寧坂のスタバも、京都感満点で好き。(そういえば先週行った伊勢のスタバ内宮前店もめっちゃ雰囲気良かったです)
モーニングコーヒーを飲んだ後はあてもなくブラブラ。
円山公園の枝垂れ桜の木の裏で、京ニャンコと遭遇。
桜の季節は人がすごいから、その頃はどこか別のところにいるのかな。
野良ちゃんっぽいけど、まんまるしててちょっと安心。
私は、動物大好き人間で、ワンコには200%で近づけるのですが、ことニャンコに関しては、過去に撫でようとしたときに猫パンチをくらった経験からか、恐怖心が優ってしまい撫でる勇気が出せず、、
動物は敏感だから、私の恐怖心も伝わっていそうだから悪循環。
『ニャンコを撫でる』は今年克服したいことの一つ。
日曜日の今日は、お庭を見ながらのんびりしたくて、午後から近場の『東福寺』まで。
『六百年前、桜を全部、切りました。春より秋を選んだお寺です。』とJR東海のCMでも語られた、紅葉の名所。
春を捨て、秋を楽しむ。
まさに「決断(決めて、断つ)」ってやつですね。
私には、桜を全部切るなんて、絶対できないよー
(だから今、二拠点生活をしている)
でも、そういう生き方できたらカッコいいな、とも思う。
(あと、JR東海のCMって、どうしてこんなにも人の心を揺さぶれるのでしょうね。まじで天才集団。)
ぼーっと石庭を眺め『さて帰るかな』と腰を上げたところに、『今から法話を始めますので、お時間ある方は是非どうぞ』と和尚さんが登場。
まさに今年、法話を聞いてみたいと思っていたので、迷わず聞いてみることに。
聞けば、今日お話をしてくださった和尚さんは、元々、IT企業の社長さんだったそうで、お金にも仕事にもそこそこ恵まれた人生だったけど、頑張って稼いだお金が北新地の夜に消えていく日々に疑問を感じて、出家をされたのだそう(だいぶ要約されていると思いますがw)。
私も同じようなもので、北新地に消えてはいないものの、稼いだお金を、大半は飽きてしまうのに『その一瞬』の欲を満たすためだけに使い(私の場合は主にモノを買うこと)、そのために必死に仕事をして。
さらに『お金を使う(買い物)』という行為自体にも、自分の大切な時間を割いてきていたんだなー、と最近やっと気づき始めていたのですよね。
もちろん、手にしたモノで心が満たされていることもゼロではないのだけれど、それよりも、人生の最期を迎えるときに思い出すのは、大切な人といった場所だったり、挑戦したことだったり、そういう経験の時間そのものなのだろうな、と。
こんな調子で、法話のアイスブレイクから『ぐいーっ』と心を掴まれまして、本編のお話もどれもこれも、今の私の心の深いところにズブリと刺さる内容で、終始頷きまくり、時より涙が出そうになるのを必死で堪えたりもしつつ、あっという間に30分の法話を聞き終えました。
ちなみに今日は、2月と言うことで『雪』に関する諺をテーマに、それぞれの諺の意味することを、わかりやすく話してくださいました。
あー、本当にいい30分でした。
今の私は、拝観料1,000円で、10,000円の服を買うより『圧倒的』な満足感。
もっと早くこの考えを知っていたら、、と思った反面、きっと、去年の私だったら、今日の和尚さんの法話を聞いても、何一つ『ピンと』くるものなく帰ったのだろうな、とも思うのです。
そう考えると、人生で起こることって、一つ一つきっとちゃんと意味があるのだろうなぁ、と感じます。
それで言うと、京都にいるから、こういう『答え合わせ』のようなこともできる、とも言える気がしてきました。
二拠点生活にも、ちゃんと意味があると言うことか。
と言いつつ。
最近考えるようになったのは、私たち『ヒト』もワンコやニャンコと同じ『動物』なんだよなーということ。
単なる『ヒト科』の生き物。
なんやかんや、あれこれ意味をつけたりしてないで、ワンコやニャンコのように、その時その時をただ全力で生きればいいんじゃね?とも思っている今日この頃です。
おしまい。
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