心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その11

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その10
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。

 入院
 足腰の柔軟性が著しく損なわれていることに気がつき、親に言われて最初に行ったのは家の近くの町医者だった。
 そこでつけられた病名は、今はもうよく覚えていないのだけど「~筋肉痛」といった感じで、足の筋肉が炎症を起こしているという診断だった。子ども心に、筋肉痛というのとは違うのではないかと思ったけど、お医者さんの言うことなのでもしかしたら正しいのかなと思い、親も同じ意見だったので3か月くらい通った。
 薬を出してもらって飲んでいたが治らないので、春休みに大きな病院に行った。
 診断では、まず問診があり、主に「足を伸ばしたまま胴体を前に曲げられない」ということを話したと思う。それから、ベッドに仰向けに寝て足を延ばしたまま片足ずつ上げてみるというテストをやってみると、左足がほんの少ししか上がらなかった。
 そこでの診断は足ではなく腰の病気だということで、診断名は椎間板ヘルニアだった。
 これは、背骨を構成している椎骨と椎骨の間にあってクッションの役割を果たしている椎間板という名前の一種の軟骨が、本来あるべき場所から一部飛び出して神経を圧迫している状態のことを指す。筋肉痛というよりは神経痛系の病気だという診断だった。
 でもこれについても、自分では、左足だけどういうわけか筋肉が硬くなってしまって体を前に曲げられないという感じだったので、的確な診断とはいえないような気がしていた。
 担当のお医者さんは「こういう若い子では珍しいなあ」と言っていて、早速その日に入院することになった。
 入院して始めたのは牽引療法で、腰にベルトをあて、そのベルトの先に重りをつけて足の方向に引っ張って腰椎を正常な状態に戻すという療法だった。腰椎と腰椎の間が狭くなっているのが原因で椎間板の一部が飛び出してしまうのだから、これを引っ張って狭くなっているのを解消すればなおるのではないか、という発想である。
 この考え方はその後、「腰椎と腰椎の間が狭くなっている原因である筋肉の収縮という事実を無視している」等の批判を浴び、最近ではあまり評判がよくないようだ。腰痛関連の本やホームページを読むと牽引の治療効果を疑問視する見解がよく載っている。
 例えば、「原因と結果を取り違えている」と書いてある医学関係のホームページがある。「原因のそのまた原因を探る必要がある」と書いた方が実務的だと思うのだけど、とにかくネット上でもそんな調子で批判している記述が見られる。また、医師の書いた本にも「これだけ普及しているにもかかわらず、牽引療法が腰痛や座骨神経痛に有効であるという科学的な根拠は報告されていいません」(『腰痛のナゼとナゾ』)と書いてある。
 その頃はまだ牽引療法はよく行われていたようで、ぼくもその病院で1日中この療法をしていた。でも、どうも腰や背中がだるくなり体全体が疲れたような気がして辛く、よくなっているような感じは全然なかった。
 1週間ほど牽引を続けていたのだけど、主治医の方が来て片足ずつ上に上げてみると左足が相変わらずほんの少ししか上がらなかった。そして、牽引では治らないので手術をするという話が出てきた。
 同じ病室に外見から推測すると40歳くらい山本(仮名)さんというおじさんがいて、時々話をするようになり、その人の話だと、どうも自分が受ける可能性が出て来た腰の手術は失敗して後遺症が出る人がいるなど評判がよくないようだった。その話を聞いて手術をするのは不安になった。そのおじさんは交通事故で足を骨折して入院したとのことでしたが、腰痛のことなどもいろいろとよく知っているようだった。
 余談だが、山本さんは中学校の先生で、いつもソルジェニツインの『収容所群島』という本を読んでいて、「本を読んだってどうなるというわけでもないけど、この本はすごいことが書いてある」と言っていた。当時の自分の学校の担任の先生もソルジェニツインのことを「言葉に命をかけている人」と言っていたので、やはり中学の先生の注目することというのは似ているのかなと思った。
 自分は、病院では将棋の本ばかり読んでいて、ある時『将棋世界』の奨励会の成績が出ているページを開いて見せ、自分の名前が載っていることを告げると、山本さんは、「あー、こりゃいいわ。でも大変そうだね」と言ってくれ、自分のやっていることが認められたようでうれしかった。
 山本さんは、平凡な当たり前のことを言うのでも普通の人よりもわかりやすく奥行きのある言い方をしているという印象で、その時の自分のクラスの担任の先生となんとなく似たタイプだなと思った。
 なので、山本さんの手術に対する否定的な考えは、なんとなく信頼できるような気がしていた。
 まず手術に行う前の検査として、造影剤を体内に入れてレントゲン撮影を行い腰椎の様子を調べた。
 その結果、「椎間板が飛び出していることが推測できるような影がある」ということで、その飛び出して神経を圧迫している椎間板を切除するために手術をすることになりそうだった。
 このまま行くと手術かな。どうも嫌だなと思っていたが、母も手術については、好ましくない噂等を聞いていてあまり気が進まなかったらしく、医師さんの説明を聞いてから断ってくれた。
 町医者の言っていたことも、病院の医者の言っていたことも、自分にとってはどうもしっくりとこなかったが、でも、もちろん自分で足腰の不調の原因がわかっていたわけでもなく、「不思議だな」「どうしたんだろう」と思っていた。
 入院生活中は、棋書と携帯式のマグネット将棋盤を使って、ベッドの中で将棋の研究をしていて、山本さんからは、「将棋も楽しみじゃなくて、専門的で勉強みたいだね」と言われ、それには「専門的に勉強するのが楽しいんですよ」と答えていた。
 退院したらまた奨励会の例会に通おうと思っていた。

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