心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その15

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その14

 女は嘘つきだ、大人は嘘つきだ
 T中学は2期制だったので1学期の中間試験は6月の初め頃に行われた。
 学校の勉強はあまり好きではなかったが、奨励会を続けるためには他に方法がなさそうなので仕方なく真面目に一生懸命勉強した。
 当時のT中学の通知表に載る成績は、5段階とか10段階でつけられるのではなく、試験の点数とクラスの中での順位が書いてあった。
 試験後に返ってきた成績を見ると、ちゃんと真面目に勉強した成果が現れて、今でも覚えているのだが、通知表は点数で75点から95点くらい、順位でも四十何人中一桁の科目が圧倒的に多かったので、母に見せ奨励会を続けさせてもらえるようにお願いした。
 母は、「まだそんなことを言っているの。やればできるじゃないの。この調子で頑張りなさい」と言ってへらへらと鼻で笑った。
 自分は悲しかった。本当に嘘つきだ。本当に醜い。本当に汚い人間だ。
 どうしてこんなにひどい人間が自分の親なのだろうか。
 でも、まあ、予想されたことではある。あんなにたくさんくだらない屁理屈をつけてくどくどと言っていたことが、1回の中間試験の成績などでひっくり返るわけがない。
 まあ、仕方がないか。と無理やり自分を納得させることにした。
 が、その後2~3か月くらい自分の頭の中で「元奨君」の悲鳴のような叫び声がガンガン鳴り響いていた。

 女は嘘つきだ。
 女は人をだます。
 女はペテン師だ。
 女は醜い。
 女は汚い。
 女は残酷だ。
 女は化け物だ。
 人の不幸を鼻で笑うひどい奴だ。
 この世で一番嫌なもの、それは女だ。
 大人は嘘つきだ。
 大人は人をだます。
 大人はペテン師だ。
 大人は醜い。
 大人は汚い。
 大人は残酷だ。
 大人は化け物だ
 人の不幸を鼻で笑うひどい奴だ。
 この世で一番嫌なもの、それは大人だ。
 それでは、母みたいに女で大人だったらどうなるのか?
 女で大人だと、マイナスとマイナスをかけてプラスになるか?
 そんなことはありえない。掛け算的にさらにひどくなるだけだ。少なくとも2倍。いや、もっともっとひどくなるだろう。
 マンホールの中に蠢く蛆虫よりも10倍も100倍も1000倍も、いやそれよりももっともっと醜く汚く気持ち悪い。
 あのヒステリックに歪んだ化け物のような醜い顔。あれは、心の醜さ・汚さ・気持ちの悪さが表に現れるからあんなに醜いのだ。
 あの女も、自分が自殺すれば少しは考え直すだろうか。少しは悲しんで、自分がいかにひどいことをしたのかわかるだろうか。
 でも、自殺したのでは、あの女がどういう反応を示したかを見ることができないかもしれない。もしも幽霊というものがあるならば喜んで自殺してやるかもしれないが、幽霊になってあの女の様子を見ることができるという保証はない。もしかしたらかえって喜んで、「いじめの効果が現れついに死んだか」と喜び、あの軽薄なへらへら笑いに磨きがかかるかもしれない。
 醜い。あまりにも醜い。人が一生懸命やっているのを発見してはずるずるずるずる引きずり下ろそうとそればかり考えている人間の屑だ。うんこよりも汚い。ヘドロよりも汚い。ウジ虫なんか問題にならない汚さ・醜さ・気持ちの悪さだ。
 あの女に思い知らせてやる何かいい方法はないものか。
 あんな無神経な化け物は、たぶん殺したって死なないだろう。殴っても、蹴っても平気でへらへら笑っているだろう。
 ああ、何か思い知らせてやるいい方法はないものか。
 学校の勉強なんていくらできたってプロ棋士にはなれない。
 奨励会をやめてしまったら、まともに生きられる場所がない。
心のよりどころがない。
 夢も希望も生きがいも居場所もすべてがなくなった。
 考える喜びも工夫する楽しさもなくなった。
 挑戦も冒険も感動もなくなり、俺は抜け殻になった。
 俺から将棋を取ったら何も残らない。
 俺はまだ中学生なのに終わった人間になってしまった。
 俺はまだ中学生なのに本当の人生が終わってしまった。
 俺が奨励会に行かれなくなったら何もするべきことがない。
 俺は、ただ食べ物を食べてうんこやおしっこをするだけの生ける屍だ。
 そうやって残酷に追い詰め生ける屍を作って、あの女はおもしれえかもしれないが、こっちは負け犬になったんだ。生ける屍になったんだ。
 その悲しさ悔しさやるせなさを、あの女はわかっているのか。
 たぶんあの女はまともな人間ではないから、全然わかっていいないのだろう。
 人が一生懸命やっていることをずるずるずるずる引きずり下ろして喜んでいるあの人間の形をした化け物になんとか思い知らせてやる方法はないものか。

 この頃の「元奨くん」がかなり煮詰まっていて、かなり過激なことを言っていた。今考えてみると、「男から見て女が汚い」「子供から見て大人が汚い」等のことは非常に当たり前でわざわざ怒るほどのことでもないし、あくまでも「そういう見方もできる」ということであり相対化して見なければいけないことなのだが、当時の「元奨くん」は本気で怒っていて、純粋と愚劣の入り混じった独特の観点を一方的に正しいと思っている様子だった。それに対して自分は、どうしたらいいのかわからず、本当にもてあましていた。
 「元奨くん」が中心になって「将棋くん」と自分とで、どうすればいいか一生懸命に考えた。ここで「自分」と書いたのは、ごく簡単に言えば日々生活している時に一番表に現れている表層的な意識という意味である。でも、母親に思い知らせてやるためのいい方法を思いつくことはできず、結局、最後の望みを託してI将棋倶楽部にいって下村先生の意見を聞いてみることにした。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その16

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