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『夢をかなえるゾウ』の著者に教えられたこと

15年前、『パッチギ』や『フラガール』という映画を手がけた李鳳宇さんというプロデューサーが主宰する学校に通っていた。

ある時『夢をかなえるゾウ』の著者である水野敬也さんがゲストとして講義に来てくれた。

水野さん曰く、ご自身は「コンプレックスの塊のような人」で、どうしてもモテたくて、自己啓発本を数多く読んできたらしい。

そういう類の本を読む男性がモテないということも分かっていたので「恥ずかしくない自己発本を書きたかった」。そして生まれたものが『夢をかなえるゾウ』だった。

振り返ってみれば、僕自身もコンプレックスの塊のような人生だった。

幼少の頃、遺伝的に足の爪が巻き爪であり、爪先をかばうように歩くからどうしても内股歩きになってしまい、かっこうの笑い種となった。

足先が痛くなるので長時間スポーツもできないし、必要以上に人目を気にする性分だったので、面白いことさえ何も言えなかった。

社会人になっても新人の頃は、仕事ができない「落ちこぼれ」のレッテルを貼られ、周囲の悪い噂がストレスになり、同期会に行くことさえ恐くて行けなくなった。

当時、相当な勢いで老け込み、大学時代の友人に会えば老け具合に驚かれるから、どんどん一人の殻に閉じこもっていた。

あの頃の自分を救ってくれたのは、家族や、わずかな親しい友人、そしてnatural Paradox(自分が学生時代につくった映像サークル)だった。

誰かの良い仕事を祝うビデオや結婚式ビデオをつくることで、自分自身の居場所を見つけ、はじめて誰かに必要とされることを知った。

おこがましいことは百も承知だが、いつか、どこかであの時の自分と同じようにどん底に打ちひしがれた人の、最後の救いとなるような作品をつくりたいと思うようになった。

・・・とここまで書いたこのエピソードは、僕が2008年にAmebaブログで書いていたブログからの抜粋である。

当時、ブログを書籍化するサービスがあったので、僕は何かの記録として残しておこうと思った。自費出版の一歩手前にある、羞恥心のかけらもない自己満足本である。

先日、お盆休みの帰省で、実家に戻った時、本棚にあったこの愚書を手に取った。エピソードには続きがあった。

僕は前述の話をもとに、水野敬也さんに「natural Paradox」の構想を話したら、水野さんは手書きでメッセージを書いてくれた。

肝心のメッセージの内容は上記のとおり画質が悪すぎて、ほぼ判読不可能になってしまっている。

その後のまとめを読む限り、筆者にとって相当に耳障りのいい言葉をかけられたに違いない。

15年経った今これを読み返すと、エピソードのまとめに書かれた創作にかける意気込みは、本人もかすかに自覚しているとおり「おこがましい」し「はずかしい」とは思うけれど、ある種の「おこがましさ」や「羞恥心の欠落」がないと書きたいものなんて書けないよなと思った。

恥ずかしさを捨てたうえで、水野さんに教えられたように「恥ずかしくないもの」をつくれるようになりたい。

ある種、ものをつくる(あるいはものを書く)という行為はそのように矛盾した要素をはらんでいるのかもしれない。

ちなみに当時書いていたブログは閉じてしまったけれど、こうしてカタチに残しておいてよかった。当時の自分の気持ちを知ることができるし、書きたいことが思いつかない時のネタになることも知れたから。

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