ようすい

お幸せに

2012年の照りつける太陽と眩しそうに遠くの山を見ているフジロックの井上陽水の締めの言葉は、「お幸せに」だった。ハッピーニューイヤーみたいに間抜けなハッピーではなく、「お幸せに」っていい重みあるじゃないか。おぅおぅ、なかなかそんな言葉使わないぞ、井上陽水!!尊い人(リスペクト)

さて、最近アンハッピー因子が飛び交って仕方ない気がしている。

わりと見るほうだから見なければいいのだけれど、テレビを見ていても、ウェブ記事を見ていても、ツイッター見てもどこも偏っていて、この情報たちに辟易する。

政治や社会問題に関するものならまだしも、アホな政治家、アイドルのゴシップ、悲惨な事件の犯人たたきなどすべてエンタメ感がしてしまって。テレビは最近ひどいよね。

でもこれ、テレビだけじゃなくてもツイッターとかでもあって。テレビほどしょーもない層に向けてないけど、いや、正義心あるものもあるんだけも、ある種のエゴイズムが遍いていて、というのはやはりバズりを狙っている節もあり、ある種の政治のロビー活動的な匂いが最近するんだな。

最近それらに一喜一憂して感情を無駄遣いすることに、疲弊する。

そして、いいねやフォロワーの数とかに、なんだか自分の小ささを比べてしまったり、感情の磨耗を昔より感じるんだな。

しかし、自分は自分だから。何やっててもハッピーを感じられるならいいじゃんて思いたい。

年収や仕事とか比較しても上には上がいて限りがないのだから、いま石ころみたいに転がってるローリンストーンな人生を愛でてやってもいいんじゃないかって思う。で、アンハッピーなら自分がハッピーだと思う時を、箇条書きでつらつら書き連ねて、逆にアンハッピーなリストも同じように書き連ねて、ハッピー比率前年比1パーセントUPとかやってたら楽しいんじゃないかとか思う。これ資本主義世界で働いてる人たち仕事で結構やってるなぁ、というかやってて思いついた。たぶん自分はリスト化までしてないけど、音楽制作でやっている気がする。

そもそも世界的にトランプみたいな危なっかしいやつがポピュリストで人気になる感じや、形だけつくろって中身の伴わない日本の首相とか、とーでもいいテレビ番組がゴールデンで幅利かせている世界と戦うのもなかなか神経使うと思う。

ここまでついてこれた人いるかわかりませんが、満たされない何かがあるんです。遍いているんだよなぁ。

これらの満たされない何かはなんだろうか。

何というか、テレビやSNSでどうとかできない隙間みたいなもの、いや前からあったと思うんだけど、それは隙間程度かと思っていたら何か巨大な空洞だったみたいな。

何か大きなものが欠落してる。

異種混合の人たちがもっと議論したりぶつけ合ったりするような祭典が何か必要な気がするんだよなぁ。それもともと国と国の争いを運動で解決したいオリンピック的な発想かもしれない。でも素晴らしいアスリートたちが競い合い、それを見る傍観者の構図は何だかもう別物で、所詮エンターテイメントなんだよね。グローバリゼーション以降、国の代表みたいな幻想もどーでもよい。

それよりマイ運動会みたいなことやったほうが楽しそうだな。

それで話がうろちょろしたけど、自分が最近とてもハッピーだったことは、近くのバーで飲んでて、スターウォーズ好きの若者と喋ってて、昔誰かにやってもらったように一杯奢ってみたりとかして、楽しい夜を過ごして、また入れ替わってやってきたお客さんがいい感じに酔って最近あったどーでもよいことをつらつら楽しそうに語っている感じ、そしてバトンタッチをして徒歩10分の道のり。

深夜2時街にはまだまだ眠らない人たちが夜と戯れる。酒場から漏れる音や、付き合ったばかりのカップルが初めて泊まりに行く感じとか(たぶん)垣間見れて、こんな夜が忙しい昼間のハードルをまたいで、無限ループで続いてて、いま自分ここにいると感じた時。

なんだか良い夜だった。

そんなナイトクルージングな曲を今作ってます。それが幸せです。


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