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【Ninth Pencil】フレーズボトルの流れ着く先で


-この記事はナツさん主催「Ninth Pencil」の企画記事です。他の参加者様の記事は↓から。

なお、この記事の内容は妄想、あるいは想像であるということを前提にお楽しみ下さい。

・はじめに

「フレーズボトル・バイバイ」

UNISON SQUARE GARDENの9th Album『Ninth Peel』その11曲目、アルバムのトリを飾る楽曲である。

この記事では歌詞について、そしてフレーズボトル・バイバイというタイトルについて、という大きく2つの項目に分けてこの曲を分析してみようと思う。




・「本当の僕ら」はどこに?


さて、この曲の歌詞を見渡して、筆者が特に気になったのが以下の歌詞である。

本当の僕らはどこにいるんでしょう
問いかけはそれっぽいけどお前誰だよ

フレーズボトル・バイバイ

「本当の僕らはどこにいるんでしょう」…筆者はこの部分を、「UNISON SQUARE GARDENの真の姿とは何か?」という問いだと捉えた。

これを読んでくれている皆さんはどうお考えになるだろうか。ユニゾンの真の姿、ってなんだと思いますか?


と投げかけておいて申し訳ないが、恐らくこの問いに答えを出すのは困難を極めるだろう。なぜか?


例えば、3人以外の楽器を多く取り入れてポップを追求した4thアルバム「CIDER ROAD」と逆に3人以外の音を可能な限り絞ってロックを追求した5thアルバム「Catcher In The Spy」の例を見てみよう。

この2枚はサウンド面において真逆の方向に振り切ったアルバムであるにも関わらず、同じバンドの作品だということには全く違和感が無い。どちらが好みかという論争はあれど、どちらが本当のUNISON SQUARE GARDENなのか、という議論は交わされたことがないのではないか?


本作「Ninth Peel」はどうだろう。このアルバムの中におけるユニゾンの真の姿は何処にあるだろうか?スペースシャトル・ララバイのような希望を謳う曲?恋する惑星のような、華やかさに振り切った曲?アンチ・トレンディ・クラブのような、思想がめいっぱいに表れた曲?………
恐らくそのどれかひとつには絞られないだろう。全部そうかもしれないし、全部違うのかもしれない。


つまりは、真の姿=「本当の僕ら」がどこにいるのかということは決め付けられない。試しに本人に聞いてみようとしたって「お前誰だよ」で一蹴されてしまうのだからお手上げである。相手にすらされてない。
…もしかして 答えは無い、ということなのか。



ところで「本当の僕ら」がどこにいるか分からないという状態は、一見ネガティブにも見えてしまう。だがUNISON SQUARE GARDENにとってそれは、マイナスの意味にならないと思うのだ。むしろ彼らに関しては、ロックバンドはそんなことも出来るのか…と「音楽性の広さ」として評価されるのではないだろうか?


なぜか?そこにはどれだけ音楽性の広さがあっても変わらぬスタンスがあるからだ。

ロックバンドは、楽しい。

1st Album「UNISON SQUARE GARDEN」

ロックバンドは、やっぱり楽しい。

UNISON SQUARE GARDEN 20th Anniversary


・歌詞の中の思想

さて話は変わるのだが、筆者は「フレーズボトル・バイバイ」の歌詞の中には一貫した思想が見られるのではないかと考えた。
気になる箇所をピックアップしてみる。

知らないフリするくらいが丁度いいんじゃないですかね

問いかけはそれっぽいけどお前誰だよ
/言ってる事同意だけどお前誰だよ

陰口ごときは問題無し

誰かが用意した答えはくだらないのさ

ランキングなんか全くの大爆笑

楽曲全体にわたって「他人や世界の意見・評価には左右されない」という思想が表れているように感じられる。


まさしくそれは、楽曲の生みの親たちの活動方針そのものではないのか。
ずっと変わることの無い、いや揺るぎないと言った方が良いかもしれない。誰の声にも左右されないという、UNISON SQUARE GARDENのスタンス。
そしてこれを20周年を目前に控えたアルバムの最後に配置することによって、「我々はこれまでもこれからも我々ですよ」と、そんなことを伝えたかったのかもしれない。



・フレーズボトル・バイバイとはなんぞや

ではここからは「フレーズボトル・バイバイ」というタイトルについて考えてみようと思う。
「フレーズボトル」というのは恐らく造語だと思うが、メッセージボトルを想像してもらえるとイメージがしやすいかもしれない。Ninth Peel nextツアーのグッズ「peek a boo Tシャツ」にはそのモチーフと思しきイラストが描かれている。

タイトルの意味を考えるにあたって、まずはメッセージボトルについて考えてみる。
一般的に知られているメッセージボトルとは通常、中に手紙を入れて流すものらしい。これに対してフレーズと言うと言い回しや名言というような、もっと短いものを想像する。

ところで筆者はメッセージボトルと聞いて連想する「ボトルの中に手紙を入れて海に流し、誰かが拾う…」という一連のこの流れを、何かに似ていると感じてしまった。


そう、まるで音楽の作り手と受け取り手の関係みたいではないだろうか。


どこかの誰かに届くようにと祈りを込めて音楽をリリースするアーティスト、それを偶然にも拾い上げ、そしてその曲の中から思い思いに好きなフレーズを受け取るリスナー…というこの関係性のことだ。

そしてリスナーがフレーズを受け取るその理由に、バイバイという言葉が絡んでくる。

どんなに良い曲も、それらが詰まったアルバムも、あるいは楽しいライブも、いつかは終わる。いつかは現実に帰らなければならない。だけど、リスナーは、音楽から受け取った思い思いの好きなフレーズを抱えて生きていく。だから、ただのバイバイではないのだ。
それが、このタイトルに込められた意味なのではないだろうか。


・おわりに

思えばこの「Ninth Peel」の中にも、いくつかの別れが描かれていた。

帰ることの無いスペースシャトルとの別れ、終わってしまう青春との別れ、もう会うことの出来ない誰かとの別れ。

しかしこの最終曲「フレーズボトル・バイバイ」で描かれている別れはある意味、とてもポジティブなものではないだろうか?お別れはお別れでも、再会の約束という意味合いも込められたバイバイではないのかということ。そんな意味合いはないと言われたって願ってしまう。なぜかって、






「またいつか会えたらいいから」。


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