最近こんなんでした:便秘、生理痛、視力検査、絵本、愛読書、創作
noteはライブレポと年末の本のまとめだけ残せばいいやと思っていたのですが、今の私はSNSをほとんどやってないので、たまには生存報告も兼ねて何か書こうと思いました。でも、しばらくしたら「残す必要ないや~」って削除しちゃうかもしれません。その程度の内容だと思ってください。
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昔から便秘になりやすい人生を送ってきた。でも去年、夫の助言で水分の摂取量を増やしてからは馬鹿みたいにお通じが快調になった。1日2回出るのは珍しくもない。するっと出る。まじで今までの人生なんだったんだ!ってくらい劇的な変化。
便秘にならないようにと思って野菜をたくさん食べたり、納豆やヨーグルトを食べたり、冷たい牛乳で腸を刺激したりしてきたけど、「水分をたくさんとる」に比べたら雑魚でしたよ。本当に。
水を飲む量が体感で3倍近く増えた。「いつもコップになみなみと水をそそげ」と具体的な助言をされたのが効果あったみたい。
両親に話したら「あんた小さい頃から全然水飲まんかったもんな~!」と爆笑された。私は自分で自分の人生をやりづらくしていたのだった。
なお、水をたくさん飲む夫は1日4~5回お通じがあるので、いつも「お通じなんて座ったら勝手に出るやん?」って心底不思議そうな顔してる。便秘で悩んでた時は「夫め、庶民の苦労がわからへん貴族みたいな反応しやがって……」と思ったこともありました。
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夫と同居し始めた当初は砂糖を常備していたものの、湿気やケースの汚れが気になり、管理しづらくて砂糖を置くのをやめた。今も我が家には砂糖がない。飲み物に砂糖を入れる習慣もないし、煮物で必要な時はオリゴ糖を使っている(液状なので使いやすい)
そんな数年前のある日、メンタルヘルスにかかわる仕事をしていた人が「情緒不安定でキレやすい患者さんは甘いものをとりまくってた。血糖値の変化が精神にも影響してるかも」とネットに書いているのを見つけた。
ほほう、と思った私はお菓子を買うのをやめた。当時は朝ごはんにフルグラを食べていたが、それもやめた。そしたら生理痛がなくなった。快適!
しかし人間は油断する生き物。いつからか、お菓子を常備して毎日ちょいちょい食べるようになった。もちろん、また生理痛が復活。
アホな私は「なんで最近、生理痛があるんやろ」などと思っていたが、数ヶ月たってようやく気づいた。最近クッキーとかチョコとか食べてた~! わざわざお金をかけて痛い目に遭っていたとは……。
成長期の子どもじゃないんだし、たまに食べる程度がいいや。誰かに会った時とか、なんかのお祝いとか、それくらいで。
とはいえ空腹になると手足がしびれるので、低血糖の症状を防ぐべく飴を常備するようになった。私の場合、飴を1日1個なめる程度だったら砂糖のとりすぎにはならず、生理痛も起きない模様。
ちなみに砂糖の摂取を控えてメンタルが安定したかどうかは不明です。「Twitterをやめた」「刺激の少ない安定した生活になった」みたいな他の要素がでかすぎて比較できない。
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仕事でPC使って趣味でiPad使ってたら、当然ながら目が乾く。たまに市販の目薬を使ってたけど、ネットで調べたら「ドライアイを甘く見るな、気になるなら眼科に行け」って言われるんですよね。
てなわけで眼科に行った。結果、疲れ目のほうのドライアイですね~みたいなこと言われて目薬を処方された。
ついでに視力検査もした。「視力2.0です。よく見えてますねぇ~」「えー、すごい見えてはる!」と先生やスタッフさんが明るい声を上げる。
健康診断では1.2だったのに……環境にめちゃ左右されるやん!
健康診断の視力検査は顕微鏡みたいな機器をのぞきこむタイプで、眼科では離れたところにある表を見るタイプだった。前者は1.5で終わってしまうため、2.0まで測ってもらえたのは実に23年ぶり(高校以来)だった。
しばらくは「2.0だった~!」と浮かれてました。はい。
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数年前から両親が実家の片づけをやっている。一気に片づけるのは疲れるから無理せず進めよう、という方針で少しずつ、少しずつ。
こないだは「あんたの子ども時代の絵本が屋根裏からたくさん出てきた」と連絡をもらって見に行った。懐かしい本ばかりで驚いた。見たら思い出すもんだなぁ。
いろんな国からお手紙が届くという設定の絵本は、見開きのページの片方が封筒の形になっていて、いろんな形の便箋に書かれたお手紙が入っている。贈り物みたいでうれしくて、この絵本を読む時は毎回すべてのお手紙をちゃんと出して読んでいたものだ。
輪郭がふんわりしているパステルカラーの絵柄の絵本も覚えていた。私は文章を読むことに関しては成長が早かったので『例のない遠い国』のルビが一般的ではないことにも気づいており、変わってるなぁと思いながら読んでいたのだ。
まさかのTOTOから出ている絵本である。TOTOということでお気づきかもしれないが、「れーのないとーい国」を並び替えると「といれのない国」になる。そのためのルビ表記なのだろう。
母と一緒に懐かしがりながら、廊下に並んだダンボール数箱分の絵本をひっくり返した。一部の絵本は母の友人がもらってくれるらしいけど、残りは黄ばんでいたし、ほとんど処分になった。
しかし、もとは6人家族で住んでいた一戸建て。ものが多いので、片づけても片づけても見た目はなかなか変わらない……。
我々夫婦は家を買ってないし、両親に何かあったら実家に戻ることになるかもしれんなと思っている。夫の実家はすぐ近くに義姉が住んでいるので、義母に何かあったら義姉を頼るだろうけど。
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千野鶴子さんが先日、愛読書を3冊選ぶという企画に参加してらした。
企画のもとになったnoteにも目を通した。そして自分も乗っかろうと思った私は頭をかかえた。愛読書って……どこまでが愛読書なんだろう。
昔めっちゃ愛読してた本って、大人になると全然読まなかったりするんだよな。今でも読み返せば面白いはずだけど、あれは当時の自分を形成した本であって、今の自分の愛読書ではない気がする。
じゃあ今も愛読してる本はと問われると、とっさには思いつかない。
本棚を眺めて考えればいいじゃないか、と読書家のあなたは思うでしょう。残念ながら本棚がない。紙の本をもう持ってない。
いやいやKindleのコンテンツ一覧をスクロールしてごらんよ、と電子書籍ユーザのあなたは思うでしょう。実は去年、Amazonのアカウントを1個削除した。
Amazonのアカウント、2個持ってたんですよ。最初のアカウントはKindleの蔵書が2000冊を超えて管理が面倒になっちゃって。で、数年前に2個目のアカウントを開設。
開設してから知ったのだが、Amazonの2段階認証に使う電話番号って、両方のアカウントに同じ番号を紐づけることはできないのだ。だから2個目のアカウントは2段階認証を設定できない状態が続いていた。
2年くらい悩んで、最終的に1個目のアカウントを削除(閉鎖)した。過去に読んだ本の多くが、この削除したアカウントに紐づいていた。つまり今は持っていない本ばかりだ。
紙でも電子でも所有していない本を愛読書と呼んでいいのか? さすがにしっくりこない。
一方、現在も使っている2個目のアカウントの蔵書は100冊程度(ほぼ英語の小説)。何度か読み返した本はあるものの、この程度で愛読書と呼ぶのはためらわれる。
活字中毒で読書依存のくせに、愛読書が選べないなんて変な感じ。
一応、愛読書の枠に入りそこねた面々を紹介しておこう。
森博嗣『迷宮百年の睡魔』
Karin Lowachee『Warchild』
Katherine Addison『The Witness for the Dead』
すべて遠い未来もしくは異世界を舞台にした話だ。そして今気づいたけど、上記3冊の主人公には「最も近しい人(家族・恋人)を殺された」という共通点があった。なんでそんな本ばかり選んだんですか?
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子どもの頃からずっと小説を書いてきたけど、ここ1~2年で書かなくなった。そんな自分の変化にほっとしていた。書きたいと思い続けるのはしんどいこともあるし、書かないほうが平和だったから。
でも先日、ふと思いついた場面を言葉にしたくなって、また小説を書き始めた。書くのはわりと面白かった。設定を考えながら行きつ戻りつ書き足して話を進めていく。誰かに見せようと思ってないから、ただ自分の楽しみのためだけに書いていた。
そして1週間たたずに頓挫した。
英語の小説を読んでいると、「自分らしく生きるのが最善、そのために闘うのは正しい!」という価値観のお話が多いなと思う。特に21世紀の作品ほどその印象が強い。
既存の体制に反発して自分の人生を切り開かんとする主人公は王道なのだが、一方で「自分に課せられた義務や共同体を守ることよりも、自分の欲望や感情を自分らしさだと主張して貫くのが正しいと思ってる」みたいな主人公もわりと見受けられる。
わかりやすく言うと「置かれた場所で咲きなさい」的な価値観と真逆のお話が多いのだ。置かれた場所が気に食わないからぶっ壊す! あるいは全部投げ捨てる! 責任を負いたくないから逃げる!
正直、読んでいて首をかしげることもあった。きみが自分のお気持ちを押し通すのはいいけど、そのあとどうすんの?と。
それに、置かれた場所で咲こうとする主人公も私は好きなのだ。そこには自分に配られた手札とどう向き合うか、自分の人生とどう折り合いをつけていくかという展開が加わってくる。与えられた環境という制限の中で、どうやって最善をつかむのか、と。
だって大半の人間にとって人生はそういうものである。多くの人は革命など起こさないし、起こせない。革命を起こしたところでその後の新体制を築くこともできない。そんな現実を受け止めて置かれた場所でなんとか咲こうとする主人公のほうが共感しやすいのも事実だ。
というわけで、自分の身に起こった理不尽な状況を受け止めて生きていく主人公を書こうとしたわけだが……うん、難しかったですね。考えるのが面倒になって、つい「主人公にラノベっぽいチートな能力を与えて突破させたら話が一気に進むだろうな」と思ってしまった。台無しである。
なるほどなー、これ書くの難しいわ。
昔なら「じゃあどうする?」とあれこれ考えて、時には睡眠を削るほど夢中になって続きを書こうとしただろうが、今はもう意欲が湧いてこない。そんなことより毎日の運動の習慣を守りたいし、9時間睡眠を確保したいと思ってしまう。健康的で平和な生活を維持したい。
そんなわけで「書くのは楽しかったなぁ」と言いながら私は書きかけの小説を放り出し、再び書かない生活に戻っていくのだった。