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谷山浩子 デビュー40周年大感謝祭@東京 メルヘンばばぁですが何か?

※この記事は、過去のブログからの転載です。
初出:2012/11/11


イベント名:谷山浩子コンサート ~デビュー40周年大感謝祭~
日時:2012年11月10日(日)17時~20時(16:15開場)
ゲスト:古川昌義、斎藤ネコ、山川恵津子、石井AQ、佐藤研二、ロジャー高橋
会場:東京 東京国際フォーラム ホールC

浩子さんの40周年ライブ、無事に終了しました!
大阪ライブの時の話も交えて、ネタバレ解禁で語ります。
(40周年ライブは、東京の1週間前に大阪でも開催していて、両方参加してました)

私はライブ中、メモを一切とらないので、ブログに書いている内容はいつも記憶が頼りです。セットリストの写真を見て、そこから思い出して書いてます。まちがってたらごめんね!


今度はど真ん中の席だったよ!

大阪では最前列だった私め、東京では1階11列の、ちょうど真ん中あたりでした。もうね、ピアノに座ってる浩子さんが、まっすぐ目の前に見える位置だった!
大阪の時とちがって、ステージ全体が見渡せるので、照明のいろんな変化もちゃんと見れたし、音響もすごくいい感じでした。最前列は照明の変化がいまいちわかりにくかったし、音響もあまり…(大音量が一気に押し寄せる感じだった)

大阪の会場は収容人数900人くらいで、当日券が80枚くらい残ってたそうです。
が、なんと東京の会場は収容人数1500人くらいだったのが完売!
浩子さんおめでとうー!


1部は、浩子さんの歴史を80年代の終わりまで

そして開演。真ん中のピアノに、浩子さんが座っています。

初めて曲をつくったのは、7歳の時でした…と、浩子さんが語り始めました。
NHKの番組で、子どもがつくった曲をプロの編曲家が編曲して、プロのアーティストに歌ってもらえるという番組があった。それを見ていて、なぜか浩子さんは「これなら私の方がうまくできる」と思った、と。


「ほしのよる」

7歳の浩子さんが、この番組に送ったのが「ほしのよる」という曲でした。ピアノを習っていたので、自分で譜面を書いて、それを親に郵送してもらったそうです。
ものすごく短い曲だったけど、これでひとつの曲だと思ってました、と浩子さん。
でもその気持ち、わかるわー。だって小学校低学年の音楽の教科書に載ってる曲と、同じくらいの長さやったもん。

番組からは、何の音沙汰もなかったそうですが。


「クリスマスツリー」

その後、ちょくちょく曲をつくるようになった浩子さん。
その中のひとつとして、10歳の頃につくった「クリスマスツリー」が披露されました。
浩子さんの数多くの楽曲の中で、唯一のクリスマスソングなのに、何をどうまちがったのか諸行無常を歌ったクリスマスソングです。
曲調も、メジャーじゃなくてマイナー、みたいな…ちょっと暗い…。

大阪ライブが終わったあと、彼氏んちに帰って、
「こんな感じのクリスマスソングやねん。暗くて諸行無常やねん」
と、一部を再現して歌ってみせたら、
「ケンタッキーのお店のBGMには流せへんな」
と言われました。

※補足:2017年のアルバム『月に聞いた11の物語』では、谷山浩子史上2曲目となるクリスマスソング「サンタクロースを待っていた」が収録された。これもケンタッキーのお店では流せそうにない。


「天使のつぶやき」

15歳の浩子さん、レコード会社に出入りして曲を見てもらっていたのが縁で、「LP出してみない?」と声をかけられます。それが最初のデビューでした。ここから数えて今年が40周年です。
出したLPは、あの『静かでいいな』っていうアルバム。そのアルバムから1曲を披露。

大阪ライブの時、
「14歳の時につくった歌で、何もわかっちゃいないのに、『わたしもいつか ひとりになるのね』なんて、わかったような歌詞を書いてました」
と、この歌について語ってはりました。


「お早うございますの帽子屋さん」

浩子さん、2回目のデビューは、この歌によるポプコン入選です。
「私はグランプリのつもりだったのですが…!」

最初は2番までしかなかったこの歌、東京の予選が終わったあたりで、お世話になっていた関係者の人(確かヤマハの人?)から、
「2番が終わったあとで、間奏入れてサビをくり返したりして、もうちょい歌を長くした方がいい」
と助言されて、今の長さになったそうです。
今回披露されたのは、長くなる前のバージョンでした。

しかし浩子さん、本戦に出ていた他の人の歌を聞いて、自信過剰というわけでもなんでもなく、ごく普通に、
「これなら、私の歌がグランプリだな」
と思っていたのだとか。
それがグランプリでもなく、その次の優秀賞でもなく、さらにその下の入選だったので、
「自分がいいと思うものを、他の人もいいと思うとは限らない」
と初めて気づいたそうでした。社会勉強になった、と。

このへんまでずっと、浩子さんはピアノに座ったまま、ピアノの方を向いてしゃべってはりました。
デビューしてからしばらくずっと、客席を見るのが怖くて、それに何をどうしゃべったらいいかよくわからなくて、こういうスタイルでライブをしていたそうです。
しかし、「失敗しても死ぬわけじゃないし」という後ろ向きのスタンスで開き直って克服し、今ではトークが長すぎて叱られるほどのライブの達人になったのでした。


「カントリーガール(シングルVer.)」「ねこの森には帰れない」

確かこのへんで、山川恵津子さんが登場。シンセのところに座ります。

人前で歌いたくなかった、ソングライターになりたかった若き日の浩子さんですが、シンガーソングライターのブームだった当時、そっち方面のデビューの道ばかりがたくさん開けていたとか。
しょうがないので、シングル「河のほとりに」を出して3回目のデビュー。

初期の浩子さんのアレンジやらプロデューサーやらを務めていたのが、山川恵津子さん。
山川さんのアレンジした歌を2曲続けて歌いました。


「たんぽぽ食べて」「恋するニワトリ」「まっくら森の歌」

このへんで、石井AQさん、斉藤ネコさんが登場。
AQさんがシンセの席に着いて、山川さんはネコさんのとなりへ移動してコーラスを務めます。
「この3人は、私のプロデューサーをやっていた人たちです!全員そろうなんて珍しいよね!」
(AQさんは過去形ではなく現在形です)

AQさんもネコさんも、橋本一子さんの人脈で知り合ったのだとか。
当時の浩子さんは、変な歌ばかり生まれてくるし、自分のそういうテイストを評価してくれる人もいなかった。
しかし、ひょんなことから知り合った一子さんにアレンジをお願いして、デモテープを送ったら、
「すごくいい!椅子からずり落ちた
と大変好意的なお返事。そうして、一子さんのアレンジでアルバムを何枚か出したそうです。

そこからの3曲。
演奏メンバーが増えて、ライトも一気に激しく!
なんていうか…ネコさんのバイオリンは常に暴れてるイメージがある…。


「てんぷら☆さんらいず」「風になれ 〜みどりのために〜」

80年代はバブル期の恩恵を受けて、浩子さんたちもそれなりに贅沢な曲づくりができたそうです。

「関係ないと思ってたけど、今思えばいろいろやってたよね。オーケストラを入れたり、スタジオに行ってからアレンジ考えるとか(つまりスタジオを借りる時間が長くなる)…今そんなことしたら殴られますけど」
「私たちはつつましい方だったよね。他の売れていた人たちは、もっとすごい伝説を残してました。『いつ行けるかわからないから』って言ってスタジオを何ヶ月も借りっぱなしにしておくとか…」

そして浩子さん、ラジオ番組の仕事をするようになります。
自分の声がラジオで聞こえにくいと言われたのを気にして、めっちゃ高い声を出していたそうです(萌え声みたいな)。その声に合わせて、ラジオではキャラもちょっと変えてたそうですが…。
そのラジオ関係で2曲を披露。

ラジオの仕事を通じて、あの時期は一生分の有名人にお会いしました、当時のアイドルの方にもたくさんインタビューしたし…と。
漫画家・高橋留美子の仕事場にも行ったそうです。
むちゃくちゃ汚かったです。すごく売れてらしたからね…」

この後、浩子さんは歌詞よりも曲を先につくるようになりました。
そしてますます自由に好きな歌をつくるようになり、90年代が花開くのですが、それは2部でたっぷりお届けします!
1部、終了。


そして2部。数々の名曲をフルメンバーでお届け

まだ幕が下りている状態で、真っ暗な中、怪しげなシンセの音が。
あ、これは…!

「王国」「海の時間」

あの「王国」の長い長い前奏の間に幕が上がり、バックが青く照らされたステージの上に、浩子さんや他のメンバーの影が、くっきりと切り絵のように浮かび上がります。カッコイイ!

1部ではステージの前の方に、ステージに向かって左からネコさん、山川さん、浩子さん、AQさんがいたのですが、2部ではさらにその後ろに、残りのメンバーが並んでました。
左からギターの古川昌義さん、ベースの佐藤研二さん、ドラムスのロジャー高橋さん。
そう、今回のライブのフルメンバーです。

2部は、のっけからクライマックスだったよ!
王国すごくよかった。すごくよかった。最初はピアノとシンセとギターくらいだったんだけど、ちょっとずつ楽器が増えてって、ドラムも入ってだだだだーって迫り始めたところから、もう、すごくよかった。

多分この歌のあたりやったと思うんやけど、青く照らされたステージの上の方から、白いライトが何個か客席を照らしてて、それがね、曲に合わせて、じりり、じりりって少しゆれるのよ。
視界いっぱいに広がった青い光と、その合間から客席の顔を目がけて飛んでくる白い光が、激しく鳴り響く王国のメロディーに合わせて、ゆら、ゆらってゆれるの。壊れかけた何かみたいに。海の波間から日の光が差してるみたいに。

あの時に思った。
この感覚は絶対にライブでないとわからない。客席にいないとわからない。
あとでいくらライブの動画を見ても、音源を聞いても、客席から見えるこの景色、音と光に支配されるこの感覚は味わえない。ライブは生きてるからライブなんだなって。
絶対に、ライブに行かないと味わえないものがある。
ネットでは、この景色はわからない。

そのあとに続けて「海の時間」。
今度はステージのバックに、光を反射する四角い紙がたくさん散りばめてあって、海の中で泡がぶわーっと視界いっぱいに広がってるみたいに見えた。
もう泣きそうでしたよ。ていうか涙にじんでたよ。こぼれないように耐え抜いたけど。

大阪の時と同様、浩子さんは1部と2部で衣装を変えてました。特に2部、かわいい!
ちなみに今朝、他の人がTwitterで質問したところ、浩子さんから「一部・二部ともスタイリスト米良晴美さんの手作りです。アクセサリーまで全部!(^_^) 」とのお返事が…。
い、一点物か!

どのへんでこの話が出たのか忘れたけど、浩子さんのデビュー当時、大人の女性がメルヘンな歌を歌うのは珍しくて、散々変なレッテルを貼られたり、余計なアドバイスをされたりしたそうです。
「今でも覚えてるんですが、音楽雑誌で評論家の方から、『いつまでもこんな歌をやっていてもしょうがない。もっと大人の女の歌を歌うべきだ。メルヘンばばぁになるのならいいが…』って書かれたんですよ。おかげさまで、なりました!
場内爆笑、拍手の嵐。

誰やねん、メルヘンばばぁとか評論書いたのは…。

「やっぱりね、人には向き不向きっていうのがあるので…」
「無理をしても駄目なんです。それに年をとったらそれらしい話し方をするようになるかと思ってたけど、そのまま年をとっちゃいましたから」
「おじいさんおばあさんたちだって、自分たちが若い頃の話し方をそのまま遣ってたら、それが若い人たちから『古くて年寄りっぽい』って言われるようになっただけなんです」

(これはわかる…昔の女学校に行ってた人たちが若い頃に遣ってたお嬢様言葉って、当時は年配の人に嫌がられるような若者言葉やったんよね。話し方って、世代ごと入れ替わっちゃうんよね)


「ひとりでお帰り」「カイの迷宮」「ドッペル玄関」

そして続々と90年代の名曲が出てきます。
2010年の人気投票でベスト3だったのは「海の時間」「カントリーガール」「王国」だったので、早くも終わってしまったのですが、まだまだあるよ!

「ひとりでお帰り」については、
「励ましソングなのですが、これを聞いて逆に落ちこんだという人もいます。私はすごく励まされたんですが…。なので、性格とか状況に応じて…」
とコメントされてました。
そうね、これ、失恋した時に聞くと、なんて残酷な歌やろうって思うもんね…。でも、自分を現実に引き戻してくれるのは、こういうスタンスなのよね。

しかし、なんで青白いイメージの「カイの迷宮」のあとに、イエローやレッドの照明が元気に照らしだす「ドッペル玄関」がw

そしてこれも、どのへんで出た話だったか忘れたのですが、年をとることについて。
大阪ライブでは、「年をとると、生きるのがラクになりますよ」と話してはりました。

「年をとると鈍感になるっていうか、あんまり考えなくなります。だから2ちゃんねるとかに悪口書かれても、昔だったら眠れないくらいだったのに、今なら『ふーん』って感じです」
「だから、今もしも毎日すごくいろんなことに傷ついてて苦しんでる人がいたら、あと20年たったらラクになりますよ、って」
「そのかわり、あんまり深く考えられなくなるので、そういうことは若いうちにしといた方がいいです…若い頃にしとけばよかったなーって思うこと、あります。もっと体にぴったりした服を着ておけばよかった、とか…(笑)」


「さよならのかわりに」「電波塔の少年」「よその子」

白い曲で黒い曲をサンドイッチしたような3曲の組み合わせ。
いや、黒くはない、か…。

「さよならのかわりに」は、古川さんのギターソロで浩子さんが歌いました。
そう、浩子さんが座ったまま客席の方を向いて歌ってくれた!ピアノを弾かずに!

「電波塔の少年」については、
「少年の片思いの歌がいくつかあるのですが、その中でも特に、かわいそうな少年を連れてきました」
とおっしゃってました。確かにかわいそうだが!

この歌、ほんっとうに私はよくライブで当たります。理系っぽい歌とか、少年の歌とか、なんかもう、いろんなくくりで選ばれてるよね。好きな歌なのでうれしい。

そして、8分もある「よその子」をやっちゃうという。
まぁ、同じく8分の「七角錐の少女」に比べたら、ずっと40周年にふさわしいよねっていうか、さすがに「よその子」と「七角錐の少女」を同じライブに入れたら、時間なくなってえらいことになるよね…すでに「王国」もやってるし。

そういえば、「森へおいで」がなかったなぁ。
「冷たい水の中をきみと歩いていく」は、1部のトーク中にちらっと流れたのですが。

「よその子」は、夕焼けを思わせる赤いライトの中で、ちらちらといくつかの星が光ってました。
そして、最後の方の「それでもぼくは〜」のところで、フッと光が消えて、濃い青に照らされたステージのバックに無数の星がきらめいて、星空が出現してました。あれ、すごくよかったです。


「さよならDINO」「NANUK」

お別れの曲です。え、もうライブ終わっちゃうの?3時間構成なのに!
って大阪でも東京でも思ったけど、多分、長い曲が何曲もあったせいです…。

大きい人特集。
恐竜と少年の交流を描いた「さよならDINO」、ホッキョクグマをテーマにした「NANUK」で、しんみり終わります。


1回目のアンコール

客席に1500人もいるためか、なかなかアンコールの拍手のリズムがまとまらなかったのですが、アンコールできました!
(そういえば「たんぽぽ食べて」「ドッペル玄関」では手拍子があったけど、あれもけっこうバラけやすかった)

大阪ライブの時、「きっとアンコールがいただけると信じて、新曲をここに入れてました!」とあいさつ。
10月に出たシングル「同じ月を見ている」です。

しかし、浩子さん、Twitterで検索していたら、「同じ月を見ている」は「銀河通信」とどこがちがうのか…というツイートを見つけてしまいました。

「ちがうんだよ?!」
「ほら、『銀河通信』は、百億光年も離れた遠くの銀河に向かって話しかけてるけど、『同じ月を見ている』は、地球人ですから!」
「年をとって、人との距離がそれくらい近づいたっていうね…」

「というわけで、どこがちがうと言われた、この2曲を、お礼の歌に歌います」
まじかよ!


「銀河通信」「同じ月を見ている」

「同じ月を見ている」では、ステージのバックにハリボテの月が、ででーんとお出ましになりました。
ドラムやら何やらたくさん楽器が入ったので、とても壮大な感じの曲になりましたよ。
確かこのへんで、浩子さんは右手で間奏を弾きながら左手でマグカップの水を飲んでました。初めて見た…。


2回目のアンコール

今度のアンコールは、拍手のリズムがすぐにまとまって整然と鳴り続けました。浩子さんも覚悟してたのか、大阪ライブの時よりも早く出てきてくれはりましたよ。

手、痛かったですよね…といたわりながら、あいさつしてくれはった浩子さん。
やりきった!やった!という気持ちです、という今の心境とか。
お客様が聞いて下さるからこそ、ここまで来れたんです、本当にそう感謝してます、というお礼の言葉とか。
本当に、浩子さんがキラキラしていて、私もうれしかった。

大阪ライブの時と同じく、2回目のアンコールは浩子さん単独です。


「意味なしアリス」

そして浩子さんが選んだ歌は、
「白い歌が3曲続いたけど、黒い歌で終わるのも…白でもなく、黒でもない、灰赤紫…?」
というイメージの歌、「意味なしアリス」。

見事にきっちりやりきった本番から一転して、演奏中にまちがえちゃって舌を出しながら弾き続ける浩子さん。
しかも1ヶ所、「意味がないアリス」という歌詞を、まちがえて「耳がないアリス」と歌ってましたね…。

耳なしアリス、新しい!

ちなみに大阪ライブの2回目のアンコールでは、
「大阪に対する偏見なのかもしれないですけど、あんな静かな曲で終わるのは合わないような…。おいしい食べ物の歌とかがいいですよね?」
と言って、「素晴らしき紅マグロの世界」を歌ってはりました。
えぇ、ピアノソロで。紅マグロを!


終わりに

他にも覚えてることはあるけど、長くなっちゃったので、このへんで。

とても、楽しかった。
ライブは、その場に行かないと味わえないものがあるな、と思いました。