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「多様性を受け入れる」とは

7月、悲しいニュースがありました。

そうなってしまった理由は分かりませんが、
彼(彼女)が訴えてきた、
「多様性を受け入れる」
とはどういうことか
立ち止まって考えてみました。

まず思うのは
わかったふり
ではなく
本当の意味で「多様性を受け入れる」には
<勉強をして恐怖を乗り越える>
というハイカロリーな作業が発生する
ということ。

簡単ではない
面倒な作業だということです。

誰だって、自分の価値観や自分と違うものを、
<受け入れる>のは怖いです。不安です。

例えば、全く知らない国にいくのは怖いですよね。
見たことも聞いたこともないものを食べるのは怖いです。

知らない、わからないものに対して、
拒絶反応が出るのは人間として当たり前だと思います。

ですが、反射的に拒絶反応をおこしてしまったら
頭の中に「?!」が浮かんだら
その感覚のまますぐに言葉や態度にするのではなく


①まず一呼吸おく。一旦受け止めて相手の話をよく聞く。根気よく聞く。

②恐怖、不安、疑問がわいたら都度自分で調べる、勉強する

③自分の中で咀嚼する。

のプロセスを踏むことが

④相手を尊重する。認める。

🟰受け入れる

にたどり着く方法なのだと考えています。



こう書くと
なんだそんな当たり前のことを
と思う方もいるでしょう。

でも常にスピード感が求められる現代では
反応の速さで優劣、勝ち負けを決められてしまいます。速さが評価につながっています。


じっくり考える
相手の話を聞く
なんて時間はなかなか持てません。
時にかったるく、バカバカしく思いさえします。

だからこそ
拒絶反応をすぐさま跳ね返してしまったり
わかったふりをしてやりすごしてしまう。

それが正の時代だから
そう短絡的な反応を示してしまうのは
致し方無いことだとも言えると思います。
ある種、時代の流れに素直な人。


「多様性を受け入れる」のは書いたように
時間がかかる
ハイカロリーな作業だとするならば
多くの人が叶うには至らないと想像できます。

ここまで考えると
多様性の増加と現代人が求めるものがいかに反比例しているかに気付きます。

そして、それではマイノリティ側に立った場合
苦しいことこの上ないだろうと想像できます。


これだけスピード力が評価されるようになった要因のひとつはやはりSNSの台頭でしょう。

ですがこのSNSを中心とした世界線にのったままでは
ー大事なものを見失うー
ー幸福感につながらないー
と気づいている人も大勢いるはずで

そういった方々が、
この「多様性を受け入れる」ことに長けた
あるいは近いところにいる人なのではないでしょうか。

だから
多様性を本当に受け入れられている人
受け入れ始めた人は
<見えない>
(ネット上では目立たない)
のではないか

わかりやすくSNSに存在などしていないんじゃないか

そんなふうに思うんです。

つまり

疎外感を感じたとしても
SNSを大衆と思うなかれ。
あなたを受け入れた人は
あなたには見えないかもしれないが
確かに存在している

ということ。

この解釈は間違っているかもしれないけど
私には小さい子どもがいるので
この先もし子どもが自分の個性に悩んだとき

お母さんはこう考えてるよ

と話してみようと思っています。

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