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旅は終わる。しかし、どうやら私の人生は続く【卒業旅行記#27東京】

東京に帰ってきた。
実感はあるような、ないような。

でも、私が今いるのは、どこをどう見てもコペンハーゲンのホテルでも、フィンランドの友人の家でも、飛行機の中でもなくて、見慣れた東京の自室だ。

飛行機内

イスタンブールから東京までの飛行機機内では、基本的に死んだように眠っていた。
ご飯がきたときだけはキャビンアテンダントさんに起こされて、出てきたものをもそもそと食べてはまた眠った。

ご飯は2度出された。
1度目は、乗ってから割とすぐ、トルコ時間午前3時頃。搭乗前、流石に深夜にご飯は出てこないだろうと思っていたので、深い眠りから起こされたこととご飯が出てきたことの両方になかば驚きながら、チョコレートバナナヌガーのムースを食べた。
2度目は、トルコ時間午前11時頃に出てきた。「朝ごはんです」と言ってサンドウィッチやサラダを手渡された。ということは、最初のは晩御飯だったのだろうか。

2度目のご飯を食べてひと眠りした後は、音楽を聴きながらぼんやりと考え事をしていた。
また、東京での日々が始まるんだな、ということを考えていた。
「不安だな」と、「なんとかなるだろう」が半々か、不安の方が少し大きいかくらいの気持ちだ。東京での暮らしに私はまた呑み込まれる。

自分の心に素直でいられますように。ほとんど、祈るように思う。

羽田空港

乗り継ぎでイスタンブールから乗った飛行機は、日本時間午後8時に羽田空港に到着した。
飛行機の降り際にマスクを渡されて、日本を思い知る。
入国審査の方角へ向けて歩いていると、人だかりがあった。何やら、入国にはWeb上で手続きが必要だったらしいことを知り、眠さと疲れで朦朧とした頭で端末を操作する。

税関

諸々の手続きを終えて、預け入れていた荷物がベルトコンベアーから出てくるのを待っていると犬が近寄ってきた。税関の犬(字義通り)だった。

なにやら、手荷物で持っていた私のリュックサックの中身に、彼か彼女かの鋭い嗅覚が反応したらしい。肉や生鮮食品を持っていないかの確認だったようで、賢そうな顔をした犬が去ると係のお姉さんがやってきてカバンの中身を見せてくださいと頼まれた。特に肉や生鮮食品はなかったはずなので快諾する。

「これは……」ぐしゃぐしゃになったシナモンロールが出てきた。「シナモンロールですねえ」お恥ずかしい。「なるほど、そしたら肉は入ってないですよねえ」「そうですね」
「こちらのつつみは」白い、こちらもしわくちゃになった包みを指さされる。「これは…ミッフィーですね」包みを開いてオランダから連れてきたミッフィーのぬいぐるみを見せる。「ミッフィーでしたか」微笑まれる。

「前にリュックにくだものをいれていたりしたことは?」と聞かれるので、先週バナナを入れていたかもしれないと答える。「それに反応したのかもしれませんね。大丈夫です、ご協力ありがとうございました」と言ってお姉さんはリュックを閉めてくれようとするも、私のリュックはかなりぱんぱんで「あれ、むずかしいな」と手こずっていた。申し訳ない。

タクシー

その後預入荷物も無事回収して、電車に乗ろうかと思ったが、あまりに疲れていたのでタクシーを取ることに決めた。フィンランドでは友人の家に泊めてもらったおかげでかなりお金が浮いたので、よかろう。そう理論づけてタクシー乗り場に向かう。ものの5分ほどでタクシーが来るので、乗り込む。

タクシーでは少しだけ運転手のおじさんと話をした。フィンランドから戻って来たんです、というと「そしたら東京の今日の温度はぽかぽかでしょうねえ」と言われた。そうですねえ。と返す。会話が止むので、静かに窓の外を眺める。

家、到着

50分ほどで自分の住むマンションの前に到着した。見覚えのある風景の中に佇んでいる月を仰ぎ見て、帰ってきたなあ、と思う。

家には母が居た。
マンションの入り口のインターフォン越しに変顔をして見せたら、「悪霊退散!!」と聞こえてきた。母である。元気そうだ。
「娘を捕まえて悪霊とは失敬な」などとやりとりしていたら、他の住人が通りかかって興味深そうな目でこちらを見ていた。お恥ずかしい。

自分のマンションの階に着くと、「怪しい女が帰ってきた~」と母が扉から少し顔をのぞかせて言っていた。どう見ても、母の方が怪しい女だった。
帰ってきたなあ、と思う。ただいま、という。

荷物を置いて、手を洗って、母が出してくれた美味しいお稲荷さんを食べた。私が不在だった間の家の話や、旅行の話などをした。お互いに笑ったり驚いたりする。

その後続々と家族が帰ってきたのでそれぞれと話をしたり、お土産を渡したりした。父にはデンマークのコーヒー、母にはパリのヘアオイル、弟にはシンガポールのグミ。それぞれ喜んでくれたので満足。
その後、パリでもらって母と食べようと思って持って帰ってきたチョコレートを「おいしいねえ」と言いながら一緒に食べた。

・・・

東京に、帰ってきたなあ。
正直、少し複雑な気持ちだ。「あー、楽しかった!」だけで今はまだ終われていない、自分がいる。
春からの社会人としての暮らしに対する不安がそうさせているのか、それとも何かやり残したことがあるように感じているのか、フィンランドの友人との別れを辛く思っているのか、判然とはしない。

ため息交じりにワッツアップ(海外版LINE)を見たら、フィンランドの親友から「Second homeまで気をつけて帰ってね(とりさの1個目のホームはフィンランドね)✈」とメッセージが来ていた。
「あと、春からの仕事についても、君なら大丈夫だよ。難しいかもしれないけど、自分の夢を忘れないで。がんばれ!」と続いていた。

ああ、もう。君みたいな友達が居て、私はとんだ幸せ者だ。

ここから、次にフィンランドに行けるまでの日々の中できっとたくさんのことが変わっていくんだろう。ここまでの、1年半の日々の中でだって数えきれないほどの変化があった。
私は、また東京の渦の中に自分の身を投じようとしているから、次にヘルシンキで息継ぎをするときに顔を出すのはきっとまた違う私なのだろう。

でも、変わらないこともきっとある。
今回の旅で、変わってなかったと気が付けたこともあった。例えば、フィンランドの友達たちと私との関係。しばらく会ってなかったのでもう元には戻れないかと一人で悲しんでいたけれど、会って話しだしてしまえば全然変わってはいなかった。そのことは、私を酷く安心させた。

だからきっと、大丈夫だ。
もちろん変わっていくものはある。抗えない流れに流されるしかないこともある。けど、変わらないものも、きっとある。私はそう信じていたい。人と人との繋がりを、私は信じていたい。

親友には、「ありがとうね」と返信をする。
ありがとう。ほんとに、ありがとう。

旅は終わる。
しかし、どうやら私の人生は続く。
友人たちの人生も続いていく。
しばらくは、会えないけれど。それぞれの場所で、それぞれが頑張るしかなさそうだけどさ。
でも、また会える。また行ける。そのことを私は確信している。

旅全体を見渡してやることはまだ、できていない。27日間もの出来事の整理には、少し時間がかかるだろう。
でも、卒業旅行は事実としてここでおしまいだ。

出発前の不安げな私に「行ってよかった?」と問われるとする。今の私は、それに「うん、よかったよ」と深く頷いて微笑むことができる。

行って良かったな。ほんと、よかったよ。
見たことのないものを見て、好きな人たちと話して、ときに予定を詰めすぎて疲れ、ときにゆったりまったりと過ごせた日々の中で、いろんなことに気が付けたよ。

ありがとう。
Thank you, Merci, Dank u, Danke schön, Tak, Kiitos.
Kiitos, Paljon (本当にありがとう).

27日間の記憶を少しずつ忘れたり、また思い出したりしながら、これからも私は暮らしていく。人生は、まだまだ続く。

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