マラソン

結局仲良くできるやつはできるし、仲良くできないやつはできないってだけの話だろっていうはなし


ここ数年、SNSで人と人との繋がりが簡単になってきたことから、炎上というワードを聞く頻度がますます高くなっています。

なぜ、炎上するのでしょうか

答えは単純で、「価値観の違う人同士が簡単に情報を共有するようになってしまったから」です。

インターネットなどなかった時代、もしくはここまでSNSが発達していなかった時代にも価値観が違う人はたくさんいましたが、何かしらつながりを通して同じ価値観を共有していました。

小中学生なら地元意識であったり、趣味であったり、高校生なら同程度の知能指数であったり、その中でもさらに価値観の合う者同士が友達になったり、仲間になったりします。

その場合、価値観が違っていたとしてもある1つの共通点でうまくやっていくことも可能でした。

それでも合わない人とは距離をとることで、情報をシャットアウトできていました。

もちろん、場合によっては距離をとることなどできません。

学校、職場、いろいろな価値観の人が集まるコミュニティにトラブルはつきものです。

そんな小さなコミュニティーの中でもトラブルやいじめはあるわけです。

小さなコミュニティのトラブル

例えば小さなコミュニティの例として、NGTのメンバー内でトラブルが最近話題になっています。

NGTメンバーのうち1人が、他のメンバーの手引きによって男から暴行を受けたという事件です。

真偽について言及する気はありませんが、当事者同士の間で何かしらのトラブルがあったことでしょう。

メンバー内で確執があったとか、いじめがあったとか、色々言われているようです。

しかし、そもそもの発端は価値観が合わないところからトラブルが発生しているのです。

確執やいじめはその後の行動により、生じたものです。

価値観が合わないから腹を立てるし、価値観が合わないから相手を告発したりします。

被害者の方は、報道内容が真実であれば、アイドルの生き方に自分の信念を持って行動しているようなマジメな方のようです。

そして、その信念において、相手側の行動は目に余るモノがあったのかもしれません。

逆に相手側のほうは、その信念に対する行動を疎ましく思ったのかもしれません。

ここで分かることは、どちらが正しいとか、どちらが悪いとかそういう話ではなく、当事者の価値観が合わず、トラブルに発展したという事実です。

要するに価値観の合わない人と近くにいると必ずトラブルを生むのです。

それは対話によって解決することもありますが、多くの場合は第三者がいないと解決しませんし、いても解決しません。最悪のケースとして、精神だけでなく、肉体的に傷つけてしまうようなケースに発展しまうこともあるでしょう。

それらを解決するために法律があるわけですが、善悪の判断基準が行為にしかない以上、価値観は法律で判断することができません。

法律も具体的な証拠をもとに一定の基準を外したものしか取り締まることができません。

そのため、今回のようなひずみが生まれてしまいます。

相手側が帰宅時間を教えるなどの関与をしたかどうかは分かりませんが、価値観が合わないのであれば、両者の間には大きな溝ができるわけで、関与したかどうかはともかく、トラブルは起こるべくして起こることなのです。

アイドルの生き方として、一見正しく見えようとも、それはその人の価値観にすぎませんし、どれだけ大多数の人間がその価値観に共感しても、その価値観に合わない人間からすると疎ましく見えるものです。

数十人規模程度で、同じアイドルを目指すという価値観を共有した小さなコミュニティにもかかわらずトラブルを生むわけですから、インターネット上ではトラブルの数は当然のごとく増えることになります。

インターネット上では、以前なら絶対に死ぬまで出会うことがなかったであろう価値観の違う人たちが容易につながるようになりました。

そのような大きなコミュニティでトラブルが多く発生するのは当然のことなのです。

それに、インターネット上では、どんなに遠く離れていても、勝手に情報は流れてくるのです。耳をふさいだところで情報は入ってくるのです。

価値観が合わない人の情報を得てしまうことで、疲れることは当然です。

SNS疲れというのは、そういうことです。


結局、仲良くなれるやつはなれるし、仲良くなれないやつはなれないってだけの話だろ

もう1ついわゆるインフルエンサー界隈からは、詐欺疑惑問題が浮上して、こちらも炎上していました。


これについても、真偽は問うことはしません。しかし、イケダハヤト氏の対応に非難の声が集まっています。

正田氏主のプロフィール疑惑に関してイケダハヤト氏は、その真偽を追及してきたもの(イケダハヤト氏いわく荒らし)を一方的に退会処分としました。

その後、対応をみかねてアドバイス?(説教?)をくれた田端氏などもTwitter上でブロックしてしまいます。

周りからは、ビジネスマンとしては失格だとか、フリーランスになると叱ってもらえる人がいなくなるだとかいろいろと言われていますが、対応の是非はともかく、それほどおかしな行動をしているようにも見えません。

むしろ、この生き方って楽ではないでしょうか?

イケダハヤト氏も言っているように、もっと世界は分断されるべきで、わざわざ価値観の合わない人たちと無理に合わせて時間を浪費するべきではないという意見は至極まっとうな意見であるともいえます。

だって、誰だって好きな人とはいっしょにいたいし、嫌いな人とはいっしょにいたくないですよね。

皆が口をそろえて、人に言われて成長することもあるとか、説教してもらう人が大事だとか、正論中の正論で良いこと言っていますが、嫌いな人、価値観が違う人といることってストレスなんですよ。

今回の場合、田端氏はイケダハヤト氏が嫌いだから意見を述べたわけではないですが、イケダハヤト氏は価値観が合わないと考えたようです。

それに、Twitterのみならず、SNS上では正論が多すぎます。だれだって誰にも言えないやましい部分は多かれ少なかれあるはずなのに、それを公の場で口にすることなどできません。

一時期流行ったバカッターなどがよい例ですが、マジョリティが反対している価値観は、批判のもとになります。それがモラルやマナー、法律に触れていようものなら、正義を盾にしたすさまじい数の批判が来るわけです。

まっとうな批判もあれば、批判されている人をおもしろがって罵る人もいますし、意見の表明という立場で間接的に批判する人もいます。

現在、世間一般の思考から離れたイケダハヤト氏は批判にさらされているわけです。

私もこの対応が正しいと思っているわけではないですが、彼のとる対応を皆がとれば、この世界中でつながるSNSという疲れる社会も少しは楽になるのではないかと思いました。

すべての事象に、正しいか間違っているかは本人の主観(価値観)でしか判断できないわけですから、それに合わないからといっていちいち腹を立てたり、悲しんだりしても仕方がないことなんですよ。

かくいう私も会社では理不尽なことをたくさん経験してイライラしているわけですし、たぶんどっかのSNS上では、価値観の違う人に対してつい批判したり、価値観を押し付けたりしてしまうんです。

だいたいほとんどの人間はこんなもんなんですから、争いは消えないんですけどね。

ちなみに私は、イケダハヤト氏が好きでも嫌いでもないですし、彼のあおり発言には嫌な気持ちになることもあるものの、発信者として傍から見る分にはおもしろい人だなぐらいに感じています。

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