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~IRONMAN KONA~ そこは特別な空間だった

レースの日から一か月。現地で頻繁に聞いていた曲を、今になって聴くと、あの時の記憶がよみがえってくる。

この経験があまりにも強烈だったのか、いまだ現実に戻れていない感じがする。

他の出場者のレースレポートやインタビュー記事を見ると、なぜだか心がキュっとする。

「あそこで見たもの、聞いたもの、感じたものすべてを残しておきたい」
そう思った。


~IRONMAN KONA~ そこは特別な空間だった

レースの日を迎えるまで、どれだけのことを積み上げてこれただろうか。


外はまだ暗い。ホテルからスタートの場所へ歩き出した。

ああ、この緊張感は悪くない。

KONAだからって、特別だとは思わなかった。他のレースと同じような緊張感だった。

スイムはいつも通り。自分のペースで。海はきれいだった。小さな魚が泳いでいるのも見えた。身体もよく浮かんでいる感じがする。

バイクもいつも通り、自分のペースを意識して。漕いでいる感じあまり良くない。なんかふわふわしている感覚。

ああ、腰が痛くなってきた。
トップの選手が折り返してきてすれ違う。
世界トップクラスの選手と同じ舞台でレースができているのか、としみじみ感じる。
漕いでいる感覚は相変わらず良くない。徐々にペースも落ちてきた。
くちびるに痺れを感じる。これは、補給が足りていないサイン。当然のごとくペースは落ちる。パワーが出ない。栄養不足だ。
さらには睡魔に襲われる。2秒程目をつぶっては開け、を何度か繰り返す。「さすがにやばいぞ、危ないぞ」と自分に言い聞かせてなんとか目を覚ます。ペースはガクンと落ちている。
ここまでは水と自分で準備していたお餅を摂取していたが、どうやら足りなかったようだ。回復を願ってエイドステーションでスポーツドリンク、エナジージェル等をゲットし、十分に補給する。すると徐々にペースが戻ってきた。
サングラスを外す。気持ちも晴れやかになる感じがした。ランに移っている選手が見えてくる。体調も回復し、バイクフィニッシュ。

ラン、走り出しの感覚は悪くない。にもかかわらず、どんどん抜かされていく。でもこれ以上早いペースでは走れないから、自分のペースを刻む。まだ先は長い。
日本の真夏の日中と比べてもそれほど暑くはない。毎エイドでジェルを摂取。氷を背中と太ももに入れる。スポンジで身体を冷やす。
多くの選手が折り返してきている。だんだんと日が落ちてきた。と思ったら真っ暗。街灯もあまりない。地面に何か落ちていても見えないくらい暗かった。
残り10キロ近くになったところで、少しの間雨に打たれる。
残り8キロくらいだったか、最後の力を振り絞ろうと同じペースの方と並走する。
フィニッシュが近くなり、観客の姿も増えてくる。日本人の声も聞こえた。あと少し。灯りも増えてきた。最後の直線。カーペットの上。灯りに照らされる。異国の地。世界中から集まった人々。あと少し。ここにたどり着けることを待ち望んでいた。

あの時何が見えただろうか。何が聞こえただろうか。何が感じられただろうか。

外は真っ暗なのに、一番明るい場所に、ようやく。
フィニッシュ。

何だか分からない強い感情が込み上げてきた。涙が出てきた。

うれしかったのか、それとも悔しかったのか。フィニッシュできたという安堵なのか。この気持ちは何だろうか。

一年前、
初めての海外。一人でIRONMANに出た。初めてのIRONMANだった。もちろんその時の方がはるかに不安だったと思う。
でも、完走しても、ああ終わったんだ、と。喜びも悔しみもなかった。でも今回は違った。違った感情が溢れ出た。

首に飾りをかけてもらい、肩にタオルをかけてもらう。

ああ、終わった。終わってしまった。

足が痛い。足のどこが痛いというわけではなく、足全体が痛い。
早くホテルに帰って休みたい、そう思った。

バイクなど荷物をピックアップして、選手と関係者のみの入場が許される区間から出る。応援に来てくれていた母が迎えてくれた。

ホテルまで2人で歩いて帰った。何を話したのか、覚えていない。

ホテルに着いて、真っ先に着替えて足を上にして寝転ぶ。思った以上に日焼けをしていた。

外からは歓声が聞こえる。フィニッシュ地点の音がここまで聞こえてくる。フィニッシュのリミットタイムに近くなるほどその音は大きくなっていった。

手が痺れている、顔も痺れている。
脱水症状だ。頭も痛い。足も痛い。日焼けも痛い。

ああこの時の記憶は忘れないようにしなければ。なぜか今強くそう思った。

これでもかというほど水分を取り、母が出してくれたピザを食べた。あの時のピザの味は今も覚えている。

頭が痛い、しんどい、という言葉を何度も発した。
早く眠りたかった。でも眠れなかった。睡眠導入剤を飲んでも、なかなか眠りにつけなかった。

そして朝になった。帰国の日だ。

身体の調子は良かった。しっかり水分と栄養を摂取したからだろう。昨日の夜の苦しみは何だったのだろうというほど元気だった。

飛行機の座席に座る。もうこの場所からお別れか。この地を目に焼き付けるように窓の外を見た。忘れたくなかった。

ほんの一握りの人しか出場できないこのレースで、
誰もがベストを尽くそうと己に挑む。

そんな尊いレースで自分は胸を張って戦ったといえるだろうか。
~IRONMAN KONA~

ここじゃないと見えない景色がそこにあった。聞こえない音がそこにあった。感じられない気持ちがそこにあった。

やっぱりそこは特別な空間だった。


夜、家に着いた。

次の日から数日前と何ら変わりのない日常が始まる。
そして、始まった。でも、いつもと何かが違った。もちろん疲れもあったが、心のもちようが違った。

現実に戻れていないのか。
あの時は現実ではないのか。

レースの映像を見た。涙が出てきた。これは何の涙だろうか。


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