会食恐怖症に関する僕の実体験

会食恐怖症、という言葉をご存知でしょうか。

文字通り、会食(家族以外の誰かと食事を共にすること)に対して恐怖、不安があり、吐き気、めまい、極度の緊張、汗、食事が喉を通らない、しゃべれないなどが起こる病気(?)のようなものです。詳しくはネットで調べればたくさん出てきます。


ちょうど21歳の誕生日を迎える大学3年生の僕は、小学生の頃から約12年間この症状とともに生きてきて、今もなお悩み続けています。

もちろん、治したいって何度も思った。でもいざその時になると、食事のお誘いを断ってしまったり、会食を回避するために病気などの嘘をついてその場しのぎをしたりして、そのたびに罪悪感がつのって。

そんな、何も変わらない自分が嫌になっていることと同時に、僕と同じことで悩み、僕みたいに「食事」という一つの(世間一般的に)楽しいものがないという方が参考にしてくれればいいなぁという思いから、今から僕が人と食事をすることが苦手になった経緯を書きます。また、当事者でない方も「こういう人もいるんだなぁ」という風に思ってくださると、それだけでも僕らにとってうれしいことです。

ただただ思った通りに書き連ねていくので、多少読みにくいかとは思いますがお付き合いください。

きっかけ(保育園)

正直、気づいたら症状が出ていたので、「これがきっかけだ!」と確信できるわけではありません。しかし、これかもなぁというきっかけは保育園の年少のころの給食です。


僕はもともと、とっても小食な子供でした。マクドナルド行ったら5ピースのナゲットでお腹いっぱい。お子様ランチも、半分も食べられない(おかげでずっと背が低いです)。そんな僕にとって、保育園で毎日出される給食を全部食べられるわけがありません。

しかし当時の先生は、全部食べないと給食後の昼あそびの時間も隔離させて食べさせ、ひどいときはその次のおひるねの時間まで食べさせていました。この時間まで給食を食べていたのはたしか僕しかいなかったと思います。暗い教室で、みんなが寝静まっている中、食べたくない給食をじっと見つめるだけで時間が過ぎていきました。

そしてその先生は埒が明かなくなると、僕が嘔吐するまで無理やり「あーん」させます。僕が吐いたときが僕の毎日の給食の終わりでした。

ちなみに、親はその時どころか今もこのことを知りません。先生はもちろん言うわけがないし、僕もそのことは一切言いませんでした。というか、その時の僕はたぶん「僕が食べれないのがいけないんだ」って思ってたと思う。


保育園のことなので覚えていることは少ないし、時間軸もわからないですが、特に印象に残っていて断片的に覚えている日がいくつかあります。

ある日、例によっておひるねタイムまで残っていました。そしていつものように嘔吐しました。そんな僕を見た先生が、鬼の形相で「給食を食べれないのは病気だ」「今から病院に連れていく」「注射を打ってもらおう」と言いながら、僕を教室から暗い廊下へ引きずり出しました。僕は怖かった。ただただ病院に行きたくない、注射を打たれたくないという気持ちで必死に抵抗し、泣き叫んだ覚えがあります。結局行かずに終わったのは覚えていますが、ここまでの記憶が強すぎてそのあとのことは覚えていないです。

保育園の頃はこういった断片的な記憶がいくつかあり、そのどれも今思えばトラウマになってもおかしくないことばかりです。

異変(小3)

小学校に入学し、2年生までは本当に何ともなかったです。異変があったのは、3年生に上がって担任が変わった年の初めての給食のときでした。


クラスが変わると、一番初めにどのような風に1年間やっていくのかを一通り担任が説明する時間があると思います。その時に、3年生の時の担任は給食のことについても話しました。

給食は、基本残さない。食べられなかったら、食べられない理由を先生に言って、お昼休みが終わる10分前まで頑張りなさい」

これが引き金となり、僕はその後の3年生初の給食の時間で、今まで感じたことのないような吐き気、気分の悪さを感じ、ほとんど食べ物を口に入れることができませんでした。自分でも何が起こっているのかわからない。何が起こっているかわからないから、食べられない理由がわからず、先生には「気持ち悪くて食べられない」としか言えませんでした。その先生は「嫌いなものが何もなければ生徒の誰もが完食できる」とでも思っていたのでしょうか。疑うような目で僕の顔と、僕が残した90%分の給食を見て

「嘘ではないですか?本当に気分が悪くて食べられませんか。」

と言いました。もちろん嘘なんてつきません。でも自分でもよくわからなかったので、自信をもって言えたわけではないです。

そんなこんなで、その日は見逃してもらえました。こういった経験を初日にしてから、3年生の時の僕はほぼ毎日こんな調子でした。給食の時間が嫌で仕方ない。僕はただ漠然と、給食が嫌いになりました。

人生で最もひどかった年(小5)

クラスが変わると中には「いくらでも残していいよ」っていう先生や、特別給食に言及しない先生に持ってもらった年もあったので、そういう年は平和でした。小4の担任はそんな感じで、何ともなかったです。

小学5年生の担任は、真逆でした。

「残すのはダメ」「残すときは必ず先生に見せて、先生がOKを言ったら残していいよ」

そんな年の給食を僕が食べられるわけもなく、またいつも残して先生に見せに行く毎日を送りました。先生はたいていOKしてくれましたが、何より見せたときの先生の顔が汚いものを見るような表情だったのでとても嫌でした。


僕の学校の5年生は、夏休みにキャンプに行くという恒例行事がありました。会食恐怖症の方は分かってくださると思うのですが、泊りがけでの行事が何よりも一番嫌です。なぜなら、泊りがけであるだけで何度かの会食をすることが確定してしまうからです。

ただでさえ担任の方針に疲弊していた僕は、夏休みが近づくにつれて不安がどんどん膨らみ溜まっていきました。そしてついには、今まで大丈夫だった家族との食事でも吐き気を催すようになりました。夏休みは朝昼晩全て家族との食事でしたが、毎日僕はあまり食べられないままで過ごしていました。

この期間が僕の中で一番ひどかったです。時には「なんで食べやんのや」「はよもう少しぐらい食べろよ」とせかされて、さらに食べられなくなるという悪循環に陥っていました。

家族は心配して胃薬を飲ませたり、病院に連れて行ったりしました。ただ、病院で診察されても、お医者さんはもちろん原因がわからないので、人生初の採血をされたりしました。僕の内心は「意味がないのに...」という気持ちでいっぱいだったと思います。結局診察されてもなにもわからず、親は「夏バテだ」ということでケリをつけています。

来るキャンプの前日、僕は計画を立てました。どうしても行くのが嫌だったので、前日から親に体調が悪そうなところを見せ、当日体調が悪いことを知らせて休むというものです。結果、大成功だったのですが僕は罪悪感にさいなまれました。悲しかったです。僕だってキャンプに行きたかったです。ただ、友達と一緒にご飯を食べるのが嫌だっただけなんです。なぜ僕は人との食事を回避するために仮病を使っているのか、そのときもわかりませんでした。

さいごに

ここまでで一旦区切りたいと思います。12年間もあるので、これ以外にも嫌な思い出は数えきれないほどたくさんあるし話したいのですが、限りがあるのでとりあえず僕が一番印象に残っているものをピックアップしました。


症状が出ている僕を見て、今回の登場人物のような反応をされるのも無理はないかなぁと思います。それだけ、こういったことで悩んでいる人がいるということを知られていないし、言えないんです。言ったとしても「気持ちの問題でしょ」と、重く受け止めてくれなかったり、気づいたときには忘れられていたりした経験もたくさんあります。また、そもそも自分がなぜ食事の時に気持ち悪くなるのかわからないということも多いと思います。そうすると僕のように孤独に悩み続けることになるのです。

なので、もしこれを見てくれた方がいたら、最初にも書いたように「こういう人もいるんだなぁ」といったことを知っておいてもらえると幸いです。そしてそういう方を見かけたら、声をかけてあげてください。話を聞いてあげてください。理解する必要はありません。受け止めてあげてください。それだけでも、僕らの心は救われます。


長くなりましたが、ここまで読んでくれた方に対して心から感謝申し上げます。


トム



(3500字超え...講義の最終レポートかよ!!!)

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