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家に着くまでが遠足です

「今、緊急で動画を回しています。」

文章を書くときにもこの言い回しが使えるのならば、まさに今が使いどきである。今、緊急で文章を書いています。

まあ、そんなに緊急で書くべきことも、伝えるべきことも、ないのだが。ただ、なんとなく、いま、文章を書きたいと思った。それだけのことを仰々しく言ってみる、2月の夜。


友達と車で旅行に行ってきた。まさにそのときの状況にぴったり、ということで、帰りの車内で「深夜高速」を聞いた。

曲名ではピンとこなかった。だが、聞いてみるとすぐにわかる。

生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった
そんな夜を探してる

サビのこの歌詞は、あまりにも有名である。
この歌詞について、友達は自分にこう聞いた。

「生きててよかった、って思ったときってある?」

この問いを受けて、2つのことが思い浮かんだ。

1つ目。まずは、ストレートなこの問いへの答え。
「ない。」
この一言だ。

というのも、その理由は明確。
これまでの自分の人生の中に、死ぬという道が存在しなかったから。
これまで一度でも、死ぬかもしれないという状況や死のうという意思に出くわしていれば、生きててよかったと思えるときがあったかもしれない。だが、幸せなことに、事故も病気も自殺も、これまでの人生で無かった。

もう1つ思い浮かんだこと。それは、「生きててよかったと感じることはないけれど、殺さなくてよかったと思ったことはある」ということ。

かつて、人の心を傷つけてしまったことがある。今だからそのときを振り返って言語化することができるが、本当にそのときは、「人を殺してしまったかもしれない」「人に死を選ばせてしまったかもしれない」と思った。

そのときから、人は意識的にでなくても、人を殺せるんだな、と思うようになった。それは、まさに今も、感じている。自分は近いうちに、人を殺すかもしれない、と。

もちろん、その人に対して今でも申し訳なさを抱いているし、自分の至らなさを思い起こす。その一方で、「その出来事があったから今の自分がいるし、その人にとってもその出来事が何らかの意味を持っている」と、その出来事を物語る自分もいる。

このように自分の物語で歴史をつくってしまう自分にも嫌気がさすのだが、そうすることで今の自分が現に生きているのだから、何とも言えない。

話を旅行の帰りの車内に戻そう。まあ、そんなことで、友達に対しては、生きててよかったと思うことはない、ということとその理由、そして殺さなくてよかったと思ったことはあるということを返した。


さて、家に帰り、ふと思い出したこの曲を聴く。

いきものがかりのリーダー・水野さんが作曲された曲。そういえば今日公開だったなと思い、聞いてみる。

まあなんと切ない曲調。「ああ、このメロディ、水野さんだなあ。」「橋本愛さんの声とマッチしてるわあ。」なんてことを感じながら、2回ほど繰り返して聞く。

なんだか心がざわついてくる。なんだろう。寂しさのような感覚が心からしみ出てくる。孤独とも言える感覚。独りでいることへの恐怖、なのか。心がざわざわしている。

そんな心のノイズを感じ取りながら、帰りの車内で友達と話した上白石萌音さんのことを思い出し、YouTubeで彼女の動画を見た。こんなのとか、こんなの。まあおいしそうに、かわいらしく食べること。ああ、生きててよかった。違うか。

このタイミングで、この動画を選んだ自分、さすが。
常にバランスをとろうとする、自分のもつ強い恒常性には、本当に感謝したい。

ただ、そんな動画も、所詮はその心のノイズをかき消すだけ。ずっとそのノイズは、鳴り続けている。

萌音さんの2本の動画を見終わり、心のノイズがより大きく聞こえるようになった。そこに、お願いしてもいないのに勝手に動画をおすすめしてくるYouTubeさん。それに従って見てみる。

この動画に出てくる、印象深い本について豊かな言葉で語る萌音さん。それを見て、萌音さんの選ぶ人生を変えた10冊の中から1冊をぽちり。心のノイズに隠れて、ぽちりとする音は聞こえない。

ぽちりの音も聞こえなくさせてしまうような心のノイズを何とかしたいと思っていたのだろう。無意識に自分は、家の本棚にある上白石萌音さんの本を手に取った。

目次を見て、目に留まったページを読んでみる。
すると、まあ読めない。大体、自分の心がざわざわしているときは、本の文字を追うスピードが上がり、次に次に目を進めてしまう。

萌音さんの言葉も、言葉としてではなく、線の集まりとただの音として頭が認識している。悲しいかな、ただの音である。萌音なのに。やかましいわ。

そこで、意識的に、ゆっくり、一区切り一区切りていねいに読んでみる。声には出さないけれども、心の中で音を味わうように。

しばらくはやはり先に先に目を向けて、ただ文字を追ってしまう瞬間があった。
しかし、そうして数ページ読んでいると、だんだん文字を追うとともに、萌音さんの世界と自分の世界が重なり合ってくる。まるで、インクとインクが重なって滲み合うように。

たぶん、萌音さんの言葉と世界のペースが、自分のペースをチューニングしてくれたのだと思う。
「心のノイズを受けて、頭が焦ってしまってるぞ~」
「まずは焦っている自分に気付け~」
そんな風に言われているようだ。(実際に萌音さんの声で言われてみたい…)

心のノイズの原因は、なんとなくわかっている。でも、それを見たくないから、頭はわざと焦らせているんじゃないかな。

と、萌音さんの文章を読みながら、そしてこの文章を書きながら、自分を振り返る。

そして思いつく。
「殺さなくてよかったと思ったことはある」と言ったけど、自分って、よく自分自身のことを殺すよね。
それも、無意識に。まさにさっきまで、焦りによって心を隠そうとしていたように。

幸運なことに、他人は殺していないけれど、自分のことはよく殺している。自分の心がしゃしゃり出ないように、自分の心が面倒なお願いごとを言い出さないように。

「深夜高速」から、「ただ いま」を聞いて、萌音さんの声を聴き、言葉を読み、そして自分の言葉を書いてみて、こんなことを思った、2月13日の旅行の締めくくりでした。

「家に着くまでが遠足です」とは言うけれど、家に着いて、心の声を清算するまでが、遠足だと思う。あ、旅行のお金も忘れずに清算しないと。

お後がよろしいようで。

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