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「先進」って何なんだろう―『人類と気候の10万年史』を読んで

僕がこの本と出会ったのは,ある方のTwitterだった。

この本の写真とともに,こんな言葉が。

エピローグ泣ける....素晴らしい一冊だった。

ん?ちょっと待てよ??気候の話だろ?バリバリ理系の本じゃないのか??
泣けるってどういうこと!?

そういうわけで,気づいたらAmazonで「ぽちっ」としていた。

ぽちっとした後に調べると,どうもこの本は福井県の若狭町にある「年縞博物館」の研究者の本らしい。年縞博物館には1度行ったことがあり,年縞のすごさは知っていたので,がぜん興味が出てきた。

「年縞」とは?

「年縞」という聞き慣れない言葉。年の縞(しま)と書いて「年縞」。

年縞とは,ざっくりいうと,1年に1層ずつ積もっている地層のこと。
福井県の南部,若狭町と美浜町にまたがる「三方五湖」の中の1つ,「水月湖」にその世界的にも貴重な年縞があるのだ。

水月湖の年縞は,なんと7万年もの歴史が1年に1層ずつ積み重なり,湖の底に眠っているのだ。7万年。人類がアフリカを出て世界に広がったのが約10万年前。想像できないぐらいの時間の長さだ。

この本では,年縞の調査から,有史以前も含めた世界の気候変動を研究し,気候変動の中で,人類はどう生きてきたのか,また,これからどう生きていくのかについて考察していく。

気候変動を正確に記録する,奇跡の年縞

この本の中で,年縞の研究の過程や,福井の年縞のすごさが熱く語られている。

そもそも,自然が長い歴史を記録し続けるには,荒らされず,安定した環境でなければならない。
それを満たすのは,グリーンランドや南極の氷や,陸から離れた海底の堆積物が挙げられる。ただ,それらには大きな問題がある。
それは,人間の生活範囲からは離れている,いわゆる辺境にあたる場所なのだ。
人間の生活する環境から離れていれば,実際の人間の生活に密着した気候の記録にはならない。
ほしいのは,人間の生活に影響を与えた気候の記録なのだ。

そこで注目されるのが,湖だ。湖は人の生活のすぐ近くにあり,気候の記録を堆積していく。
湖の中でも,堆積物がきれいに残るためには,多くの条件を満たす必要がある。

それらの条件をすべて満たしている奇跡の湖が福井にある。それが,水月湖だ。

水月湖には,数々の奇跡があり,年縞を形成する条件をすべて満たしている。

出典:福井県里山里海湖研究所HP

たとえば,川がなく,隣の三方湖からしか水が入り込まなかったことで,洪水などのエネルギーのある水は三方湖によってせき止められ,水月湖は荒らされずに済んだのだ。
本当に数多くの奇跡が積み重なって水月湖に年縞が形成されている。

数々の奇跡の結果,45mもの深さに,7万年分もの年縞が,1年に1層ずつきれいに堆積しているのだ。年縞になっていない時代を含めて,15万年分もの歴史が記録されている。世界的にも貴重な資料である。

では発掘された年縞を実際にどう使うか(発掘の苦労も文字からひしひしと伝わってきた)。
歴史的な遺物が何年前の物なのかについて調べる方法として,放射性炭素の量から年代を見る方法がある。だが,この測定方法では20%の誤差が出る。1万5000年前の物なら,3000年もの誤差が出るのだ。

この誤差の問題を解決するのが,年縞である。1年に1層ずつ積もっているということは,放射性炭素の量と年代の換算表が,年縞からつくれる!

この結果,2012年に,福井の年縞が世界全体の歴史の「標準時計」として認められ,今では世界共通の時代のものさしとして使われている!!

時代のものさしから,気候変動を見ていく

そして話は,年縞研究のもともとの目的である,気候変動や人類の活動に移っていく。

面白かったのは,気候と農耕の始まりの関係である。
農耕は,氷期の終わり(1万1650年前)から世界各地に広まっていったのだが,なぜ氷期が終わるまで人類は農耕を始めなかったのだろう。

氷期は冷涼だったから,そもそも農耕に適さなかったという考え方があるが,古気候学的に筆者はこれを否定する。氷期において,現在の東京がモスクワぐらいの気候であったとされている。たしかに,今の地球より冷涼なのだが,それでも熱帯では農耕ができた気候なのだ。

とすると,人類は農耕ができたのにしなかった,すなわち知能が発達していない人類だったということなのだろうか?

筆者は,これも否定する。
ざっくりいうと,現代のような気候が安定している時代には,ある特定の種のみを効率的に育てる農耕の方が適している。
だが氷期は,気候が安定しない時代だった。とすると,多様性のある種を獲得できる狩猟採集の方が適した時代だったのだ。
この点から,人間の気候への適応力が見て取れる。

決して知能の低い人類だったのではなく,気候によく適応していた人類だったのである。

現代の私たちは,「農耕革命」というように,狩猟採集から農耕に移ったことを人類の進化としてとらえがちで,たしかにそう捉える方が気持ちがいい。

だが,それを「進化」と捉えるのは正しいのだろうか?それは,進化というよりも,人類が気候に適応したという,人類の適応力のすごさを示す事実にすぎないのではないだろうか。

確かに,現代の科学技術や優れた文化は,農耕が生み出した余剰の上に成り立っている。だが,それを素晴らしいものとし,そこに至るまでの一直線の歴史として歴史を描くのは,正しい見方とは言えないのかもしれない。

いよいよ,感動のエピローグ

さあ,いよいよ「泣ける」といわれていたエピローグだ。
結論から言うと,泣きはしなかったが,心にグサッと刺さり,「はぁ~」となるエピローグだった(語彙力)。
ぜひ読んでほしい。ここだけでも読んでほしい。

現代は,気候が安定した時代だ。過去の気候変動からすると,温暖で安定した気候が長く続きすぎているのだ(人類の活動の影響も大きいだろう)。
その中で,いつ不安定な気候になるかは,だれも予測できない。

急に不安定な気候にドラスティックに変わった場合,農耕をベースにする私たちの生活はどうなるのだろう。狩猟採集に戻ったとしても,農耕と狩猟採集では維持できる人口が大きく違うので,1000人から1万人に1人しか生き残れないと推測できる。とすると,人類には打つ手なしか。

それも筆者は否定する。たしかに社会は農耕ベースで特化しているが,個人は決して何かに特化した特徴を持っているわけではない。恐竜はある気候に特化しすぎたため,急激な気候変動によって絶滅した。

一方で人類は,驚異的な適応力を持ち,地球上のほとんどの環境で生活できる唯一の種だ。さらに,70億人の人類がいるということは,それだけアイデアが生まれる可能性も大いにあるということだ。

筆者は,人類の環境を大きく変えるドラスティックな気候変動を想像して,「拡張された平等の概念」を思い描く。

思いがけない時代を生きる知恵は,思いがけない場所から見つかる可能性が高い。このことは私に,拡張された平等の概念を想起させる。気候が暴れて農業の基盤が崩壊した時,例えば日本人がアマゾンの先住民族に教えを請うようなことも,全く荒唐無稽とは言い切れなくなる。私たちは無意識のうちに,進んだ科学技術で大きな商品価値を生み出す国を「先進国」と呼ぶことに慣れている。まるで文化も歴史も尊厳もすべて,経済という船に付随する飾り物にすぎないかのようである。しかし,先進国を生きる私たちが「先を進んで」いるような気分でいられるのは,現代の気候がたまたま私たちのライフスタイルに適合しているという,単なる偶然に支えられてのことにすぎない。

僕はここを読んではっとした。

「先進国」とは,「安定した気候」という条件付きで「先に進んで」いるのだ。

人間や社会の価値を経済という一つの基準で見ることに慣れた私たちにとって,見落としている価値がたくさんあるのだろう。

気候について深掘りしていくことで,今を生きる私たちの生活や思考の地盤がこんなにももろいものだったのか,と痛感させられた。

気候に限らず,自分が無意識にもつ差別意識や,優劣の意識など,その前提を見ていくと,意外と薄っぺらいものなのかもしれない。

何をもって「先に進んで」いるのか,深く見つめ直そう。

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